今回は小品です。「ゆらゆらと舞い落ち、緩やかに流れる」の続きは次回に。
僕の人生最初の記憶はオッペンおじさんのどアップの顔だ。金髪で白い肌に茶色い目をしている。顎のとがった縦長の顔。真ん中に大きな鼻。 僕の意識の中で加工され年齢とともに細部は変わってきていると思うがとにかく金色に輝くつやのある髪にデパートの壁によくあるような白い肌。そして茶色い瞳。その瞳がポイントだ。僕の瞳が茶色いから。小さいころから心無い友達(そういう子が何人もいた)は僕の目をのぞき込んでなんで茶色なのとぶしつけに聞いてくる。なんでと聞かれても答えようもない。生まれた時からこうなんだから。
その顔は満面の笑みを浮かべいる。外でのことみたいでオッペンおじさんの頭の後ろに青が広がっている。たぶん空なんだろう。
3,4歳ぐらいの記憶だと思う。どこなのか、何をしていたのかは全く覚えていない、ただ大きな顔。満面の笑み、そして茶色い瞳。他にもいろいろ小さい頃の思い出はありそうだがとにかく強烈だったんだろう。小さい頃のことを思い出すとすぐおじさんの顔が浮かんでくる。半世紀近くの時がたっているのに鮮明だ。いや時とともに鮮明になってきているのかも。記憶の不思議を想う。
オッペンおじさん。小さい時からそう呼んでいる。本名は知らない。中学生のころ友達におじさんの話をしたら、なに、その名前、と大笑いされたことがある。物心がつく前からその名前で呼ばれていたからなんの違和感もなかったけど改めて考えてみたら変かもしれない。その時はそう思って友人と一緒に笑っていた。
日本語は上手だった。ただところどころイントネーションに変なところがあってやっぱり外国の人なんだと安心したりしていた。小さい時だとあの顔ですらすらと日本語を話されるとこっちの頭が混乱させられてめまいがしたことが何度かあった。見慣れない容姿がちょっと怖かったのかもしれない。泣き出したこともあったらしい。ほんとに小さい頃のことだ。まだ僕がいた街では外国人の姿を見ることがほとんどない時代の話。
子供の時から突然ひょいと姿を現す。忘れたころに出てくる失くしものみたいに。学校から帰ってくると母とちゃぶ台で縦長の湯飲みでお茶を飲んでいたり、おばさんの家族と一緒に遊園地に遊びにいってみんなでソフトクリームを食べていると突然後ろから現れて僕を驚かしたり。
母と二人暮らしだった僕たちは母の姉である家族とよく一緒に過ごした。旅行に行ったり誕生日会(おばさん夫婦には二人子供がいた。上が男でしたが女。下の子とも5,6歳離れていてお互い遊び相手にはならなかったけど)をしたりしていた。
僕の小学校に入学したときのお祝いの食事会のことをよく覚えている。家の近く中華屋の2階を貸し切りにして、おばさんの家族や母の親しい人が参加して10人ぐらいの集まっていたと思う。わざわざ新品のランドセルをもっていってみんなの前で背負って写真を撮ったり、プレゼントをもらたっりしてすごくうれしかった。母との二人暮らしだったのでふだんは賑やかなこともないし僕が周りから注目されることもほとんどない生活だったからすごく新鮮な感じだったんだと思う。
―おめでとう!とその時も突然現れて微妙にずれた発音で声をかけていきなり僕を抱き上げた。背も高く(180センチ近くあったんじゃないか)力も強いから年の割に小柄な僕を両手で軽々と持ち上げ抱きしめ両手を伸ばし小さい子にするように高い、高いをしてひどく恥ずかしたっかのをよく覚えている。みんなは大笑いしていたけど僕はひどく子ども扱いされているようで機嫌をそこね憮然としていた。それを見てまた母は笑っていたけど。
ドイツ人よ、私の親戚になるの。あなたの目が茶色いのはおじさんの遺伝かもね、と小学2年のころに母に言われたその言葉が僕の柔らかい心に深く突き刺さった。とても深く。自分でも意識できないほど深く。おぼろげな記憶だが母は台所で洗い物をしていて僕がなにかの拍子に聞いたんだと思う。とくに深い理由はなく、いったいあの人は誰。どこの人。近所に住んでいいる人なの。みたいな感じで。母は明日の天気の話でもするように何気なく話したいた。
ドイツ。僕と親戚。僕の目が茶色いのはあの人から受けついだ。まだなんのことかよくわかっていなかっただろうがとにかく衝撃を受けたのは今でもありありと思いだせる。どこにあるのかよくわからないが遠くにある国。ドイツ。頭の中では一気に空想が広がってその空想が僕を包んだように足がふわふわとして少し床から浮いているような気分で隣の部屋のひきっぱなしの布団の上にどさっと身を投げた。たぶんその時のことは母は覚えていないだろう。その何げない言葉がどれほどその後の僕の人生に影響を与えたか。
海を越え砂漠を越え巨大な山並みを越えていく。僕の一部はそこからやってきたんだ。その後の何年間かは母の言葉を思い出すたび全身が細かく震えるほど興奮した。その血をぼくが受け継いでいる。ほんの少しなんだろうけどはるかかなた(どこかはわからないがはるか遠くにあるのは間違いじゃないだろう)の人々とつながっていると考えると想像力を刺激された。幼い想像力を。
風の吹きすさぶ荒野を甲冑をつけて槍を持ちある者は馬に乗り(みんな顔にはひげをたくわえている)胸をはり遠くを見やりなながら進む一群。敵をおおきな剣でたおし血しぶきを浴びながら雄たけびをあげる。またある時は大きな木造の船に乗り帆を広げたマストや先端に立ち腕を組みはるか海原をにらんでいる。
もちろんそこにはオッペンおじさんがいる。たいていリーダー役だ。顔を思い浮かべられるのはおじさんしかいないからしょうがない。すぐそばには僕がいる。まだ小さいけどしっかり者でリーダーを補佐している。想像の中でもう少し大きくなっている時は筋肉が盛り上がった凛々しい姿(かなりの男前)でリーダーと共に戦う。
小学生の間はそんな想像(妄想?)が繰り返し湧き出て、体が火照ってくるような興奮をよく覚えている。実際に熱をあげていたんじゃないだろうか。最初のころは本当にそのまま熱がでて寝込んだこともあった。ただ病気にかかっていただけなのかよくわからないが知恵熱という言葉を知った時あれはそうだったんだと納得したこともある。なにせ突然立ち上がって拳を突き上げたりして。敵と戦い切られながらも倒したつもりで実際に部屋で一人でのたうっていたり。買い物から帰ってきた母をびっくりさせて後々何度も蒸し返され笑い話にされた。
現実のぼくは体の小さな運動の苦手な子供だった。勉強だってあまりできない。要するにとりえのない子だ。家にいて本を読むのが好きだった。母が図書館でいつも借りてきてくれたので困ることはなかったがあるていど大きくなってくると自分で学校の図書室で借りてきた。バイキングだったり円卓の騎士だったりそれっぽい挿絵があるかないかが選ぶ基準だったけど。ローマ皇帝の本だったりして何か違うなとは思ったが中身はあまり関係なかった。読んでも理解できなかったし、そもそもほとんで読んでなかったような。僕の想像を刺激してくれる挿絵とかがあればそこから勝手に自分で話をこしらえてオッペンおじさんが出てき僕が出てきて大活躍する。
今思い出しても恥ずかしくなるぐらいの稚拙なお話(お話にもなっていない思いつきの場面の羅列がほとんどだけど)だが飽きもせず何時間でも空想の中にひたっていられた。今思えば僕の子供時代の幸せな時間だったのかもしれない。現実から軽々と飛翔して空想世界を跳ね回り壁を乗り越えていく。
もう少し大きくなってくるとドイツという国がどのへんにあってどういう国かというのがなんとなくわかってくる。僕が最初に持ったイメージはソーセージとビールの国だった。たぶんテレビの番組でそんな特集をやっていたのだろう。とにかく男も女もソーセージを食べながらでかいジョッキでビールを飲んでいる。そういう国になんだと思っていた。今でもドイツと聞くと反射的にビールとソーセージのイメージが湧いてくる。出会いというのは恐ろしいもんだ。
テレビでドイツの話題が出ると食い入るように画面を見た。スポーツ(競技の種目とかは関係なく)でもドイツを応援して勝つと心の底から嬉しかっし負けると涙目になってなにもやる気がしなくなる。学校で地理とか歴史とか勉強しだすとドイツの場所を何度も確認して、年表でドイツのとこだけ繰り返し見てほとんど暗記していた。戦争で勝ったと書いてあれば喜び、負けたと書いてあれば悔しがった。年とともにその熱は薄れたいったが。でも今思い出しても熱い気持ちを覚えている。他の子は好きな野球やサッカーのチームの勝ち負けに一喜一憂していたところをドイツという(僕の中だけの幻想のドイツだが)存在に一喜一憂していたわけだ。
でもおじさんの話は母とはしなかった。小学校も高学年になって物心がついてきて僕がおじさんのことをあれこれ聞くと必ず何か他のことを話し出す。そのうちに聞いちゃいけないんだと子供心に思って二人の間で話題になることはなくなっていた。でもたまに(家に来るのは一年に一回ぐらいだったろうか)オッペンおじさんが姿を現すと母の機嫌は良かった。子供の僕が見ても分かるくらいに。その意味は分からなかったが。いや深いところでは本当は理解していたのかもしれない。
父の顔は覚えていない。オレが生まれてすぐ病気で死んだらしい。写真が一枚残っている。小さな写真で寝室の和たんすの一番上のガラスの引き戸がついたところに入れてある。母が椅子に座ってその横に父さんが立って二人とも生真面目な表情でカメラを見つめている。その写真は高い位置にあるのでふだんは見えない。子供のころ時々布団を踏み台にしてその写真を取り出して眺めていた。その写真を見る時はじっと父の目を凝視する。なに色だろうと。でも小さい写真だからいくら見ても瞳の色はわからない。一度その写真とにらめっこしているみたいに見続けていたら母が何してるの、と声をかけてきた。振り返ってただ見ていただけ、と言おうとしたら母の表情にびっくりして黙ってしまった。なにかに怯えているような不安げな顔。あまり見たことのない表情だったのでこっちも驚いて悪いことをしたみたいな気になってすぐ元に戻して外に遊びに出ていった。
高校生のころにはオッペンおじさんとドイツに対する僕の勝手な妄想は空気の抜けた風船みたいにどこかに飛んで行って見えなくなった。ほかにやるべきこと、友達との遊び、異性への興味、なんやかんやで時が過ぎていった。たまにおじさんのことを思い出すことはあっても母の知り合いの一人で遠い親戚とはいってもほかにドイツ人との付き合いがあるわけじゃないしただの遠いつながりのある人という感じだった。でも血のつながりがあるというのはいつも頭の中にあったと思う。それも高校3年の時何かの話の流れでずっと思っていた疑問を母に聞くまでだった。
ーオッペンおじさんて確か母さんのお兄さんの奥さんの弟なんでしょ。
ーそうよ。
しばしの沈黙のあとじゃあ、オレと血のつながりはないじゃん。そうね。さも当たり前のように軽く言う。僕が呆然としているのを不思議そうな目で見ながら、でも親戚でしょ。
なにかが崩れ落ちる音がオレの中からした。
大学生のころは一人暮らしを始めてほとんどオッペンおじさんと会うことはなくなっていた。幼い幻想は徐々に背景に吸い込まれ意識することはなくなっていた。でも背景の陰に隠れていてもなくなっていないのは確かだと思う。小さい頃の思い出がなくならないように。僕の目が茶色いのはおじさんの遺伝と言った母さんの言葉が僕の聞き違いなのか、母さんのただの軽口だったのか(よく冗談を言う人ではあった)今となっては分からないが子供時代の大事な一部というのは間違いないと思う。クラスの中でも目立たないグループのその中で目立たない立ち位置だった僕の自尊心をくすぐって多少でも自分に自信を持たせてくれたところはある。人とは違う。なにせ遠い外国の血が入っているんだから。子供時代の卑屈になりがちなとりえのない僕の一条の光だったんじゃないだろうか。とくに大きく道を踏み外さず大人になれたのはオッペンおじさんのというか、母さんのあの一言がけっこう影響しているじゃないかと思っている。
いつ子供時代が終わったのかよくわからないが、大学に入り就職して社会人になりさすがに妄想につき動かされることはなくなったが、子供時代から残されたのは人の瞳をのぞき込む癖だった。この癖は治らなった。子供のころから無意識にしていたみたいだけど中学や高校生ぐらいになると相手からとやかく言われて(お前って目をのぞき込んでくるよな、とか 何見てんのよ、気持ち悪いとか)自分の癖なんだと知った。よくないと分かっていても気がつくと相手の瞳をのぞき込んでいる。ただその癖のお陰で結婚ができた。妻とは会社で出会った。職場結婚だ。会社の倉庫の片隅でたまたま二人きりになった時にいつもの癖でつい瞳をのぞき込む。だいたいは戸惑った顔をして顔を背けられて、ぼくが謝ることになるんだけど、その時妻(になる女性)は見つめ返してきた。一瞬だったが瞳を見つめ合った。その時の感覚。なにかが混じりあうような流れ込むような大げさにいえば何かを分かりあったような奇妙な瞬間。その女性の漆黒の瞳が僕の脳裏に焼き付けられた。なにか確かなもの、この人とつながっているという感覚。ただそれもただの錯覚だったのはその後の人生ではっきりしたわけだけど。でもその第一印象が忘れられず付き合いを申し込むことになり一年後には結婚していた。
子供ができた時 産院で始めて対面して抱き上げた時もまず目をのぞき込む。できたての新鮮で何の混じりけもない瞳。吸い込まれるようなその瞳は黒だった。漆黒の瞳。妻と同じ漆黒の瞳。どれだけ見ていても飽きることはなかった。でも本当に何かが吸い込まれるのかもしれないなと思った。僕の中から娘に。娘の中から僕に。瞳には何か特殊な力がある。僕の実感だ。
娘の1歳の誕生日におばさん、叔父さんや親しい人たちと食事会をしたときにオッペンおじさんが現れてた時はビックリした。妻もびっくりしてあれ誰と聞いてきたけど、昔からの母さんの知り合いなんだぐらいにしか話せなかった。実際のところ僕もどういう人なのか知らないわけだから。改めて何も知らないことに気がつく。そして知ろうとしなかったことに。
オッペンおじさんは相変わらずの満面の笑みを浮かべ右手を差し出し力強く握手する。僕が大きくなってからの癖だ。握って大げさに上下に振る。でも何年振りだったろう。時の流れを感じた。少し背が前かがみになりしわも増え全体に縮んだ印象を与える。
ーおめでとう。女の子なんだね。
娘を抱き上げ顔をのぞき込みにっこり笑う。その様子に既視感を覚えた。強烈な既視感。体が、というより僕の中の細胞(変な言い方だけど)が震えていた。おじさんをじっと見る。子供の時からのおじさんとの思い出がよみがえる。思い出と言ってもそんなにあるわけじゃない。二人でどこかに出かけたとか遊びにいったりしたことはなかった。いつも母と一緒で3人かもっと多い集まりの中にいたりする。娘が泣き出した。おじさんはなんとかあやそうとしている。僕の中で時間が溶け出し娘と僕が入れ替わり、僕がおじさんになり、かつてあった思いや感情があふれ出し奇妙に重なり合う。見たことのない景色が見え経験したこともない思い出がよみがえる。気がつくと娘はきゃっきゃっとかわいい笑い声をあげていた。
結婚して少ししてから会社を辞めてフリーランスとして働いている。それなりの大学を出てそれなりの会社に就職した。小さな広告代理店だがコンピューター関係もできたので重宝されデジタルの広告制作を任されるようになりいろんな人たちとのつながりもでき面白く仕事をしていた。最初は自分で制作にも携わっていたが調整役が自分にあっているのに気がついた。もともと控えめな性格だから前にでるのでなく裏方で黙々とやるのがあっていたようだ。まわりからも重宝され(僕から見ればみんな我が強い)自分の仕事での立ち位置を作っていた。
結婚を機に思い切ってフリーランスになったわけだが僕としてはかなり思い切った決断だった。どこかで自分を変えなくちゃという思いがずっとあっていろんなタイミング重なり合ってできたことだった。妻の後押しも大きかった。僕の見栄ももちろんあるが若い二人が単純にもっといい暮らしをしたいと思うのも自然なことだろう。最初のうちは良かった。会社にいた時の2倍ぐらい稼げて妻と余裕の暮らしを送れた。ただ朝も晩も関係なく仕事をこなしていたが。若いから体もついてきて公私ともに歯車がかみ合った順調な時期だった。妻も僕のサポートを理由に会社を辞めそして娘が生まれた。娘は僕なりに溺愛したつもりだ。経済的にも余裕がある時期でよくいろんなところに連れて行った。でも何かいつも違和感があった。ほんの少しの違和感。きれいに整頓された本棚を眺めていると一つだけ少しはみ出しているような。よく見ないと気がつかないが何か落ち着かない気持ちにさせるズレ。自分の本当の気持ちに向き合っていないんじゃないかという不安。
仕事が順調だったのも最初の2,3年で、時代の流れに乗っていただけで自分の強い意思で切り開いたわけじゃない。そんなやつのやることだからだんだん収入が不安定になり落ち込むときは限りなく落ち込んだ。フリーだから無理してでも仕事をとらなきゃいけない時があるが、相手に強く出られるとどうしても引いてしまう。競争心が持たなくちゃいけない時に持てない自分にあきれて(妻もあきれて)だんだん酒量が増えた。そんなこんなで別居が始まり40で正式に離婚することになる。簡単に言えばそういうことだ。
40の時(ちょうど40歳、僕の誕生日に離婚届を出した。たまたまだけど)妻と別れ、娘とも疎遠になった。それ以前から一緒に暮らしていなかったし生活が変わるわけじゃなかったが大きな節目ではあった。収まるところに収まったというか。正式に離婚した後に妻(元だけど)と娘と高級レストランで食事をした。けじめとして最後に三人で会おうと僕から提案して元妻もそうね、最後にね、と気乗りはしないようだったが応じてくれた。でも食事が始まってすぐやめておけばよかったと思い知らされた。テーブルの上に冷たい冷気の固まりが頑として居座って目の前の元妻と娘の距離を縮めることを拒んでいる。その冷気を感じれるぐらいはっきりと。
一度壊れたものをもとに戻すのは簡単じゃない。僕としては娘とのつながりを失いたくないというただそれだけだったのだが子供みたいに無いものねだりをしているだけだったようだ。椅子の上で落ち着かず足を組み替えまわりを見て何とか話題を探そうとして何も見つからずついグラスに手が伸び杯数を重ねる。元妻があまり見たことのない表情を浮かべていた。懐かしい故郷の景色を遠くから眺めてるような慈しみと反感がないまぜになった陰りのあるような晴れ晴れとしたような不思議な表情。帰ったあとにあれは別れて正解だったという安堵の顔だったのかもしれないと思いいたった。
元妻はそれでも気を使って会話らしきものをしてくれたが、もう高校生の娘は視線をあげずずっと黙っていた。話しかけても目を上げようともしない。その様子を見ているとオッペンおじさんが思い出された。突然ここに現れないかな、そうすればまたうまく元に戻れるかもしれない。そんな気がしたのだ。もちろんオレの勝手な妄想だ。子供のころの二人で荒れる大海原を乗り越え、深い森を獣たちを退治しながら駆け抜けた妄想が蘇ったのだろう。あの時は自由で力強くまわりも自分も光り輝いていたのに。でも実際にそんな体験なんてしたことがないわけだ。当たり前だ。ただの妄想。今目の前にあるのが現実。
夜に暗くひっそりとした部屋でひとりでウイスキーをストレートで飲んでいる時に何かが崩れる音がした。思わず辺りを見たがなにも変わりはない。オレの中から音がしたんだとしばらくして気がついた。
単調な生活で経済的にも楽ではないがそれなりに満足はしている。つまらない会議はないし嫌味を言ってくる上司もいない。気楽と言えば気楽だ。ある程度の仕事のネットワークを作っているしこれからもなんとか一人で食べていくぐらいはやっていけるだろう。でも先のことを考えると思わず酒に手が出る。若い頃はビールだったが今はウイスキーだ。
そんな鬱々というか淡々というかのっぺりとした日々を送り50になった。50になったからと言って特別な感慨はないが散歩に行くとついてくる野良猫みたいにもう50という思いがどこか頭の中にあってなにをしていてもふと浮かんでくる。
このあいだ母が突然電話してきた。珍しいことでなんだろうと思ったが取り立てて用事があるわけでなくお互いの近況報告みたいな話になった。
―いや、どうしてるかと思ってね。この前お正月に会ってから連絡ないし。
母が珍しく饒舌に話して奇妙な感じがしたが最近はあまり外ににも出ないようで退屈しているんだろうと半分話をききながしていた。外交的な性格でいつも人と一緒だった母だががさすがに歳と共に億劫になったようで一人でいることが多くなっていた。今年の二人だけの正月を思い出していたら母の瞳が浮かんできた。母の瞳は黒というより褐色に近い。お正月に二人でいるときに年とともに薄くなっている感じがしたので見つめていたら、なに見てんの、とがめられたことがあった。その時も瞳の色が歳とともに変わったりするんだろうか、とぼんやり考えていた。
気のない相づちをうちながら今度の連休にでも訪ねておこうかなと考えていたが、いつもは電話だとぶっきらぼうで用件を言えばすぐ切るタイプなのにその日はだらだらとしゃべり続ける。小一時間も話し続けてさすがにもういいかと母の言葉が途切れたときに、仕事があるから、じゃあ、切るね、と言ったところで、オッペンおじさんが死んだの、と一言いって沈黙が流れた。聞きたいこと、言わなければいけいこと、頭の中で一瞬に言葉が沸点を越えた水から蒸気がほとばしるように湧き出てきたが形にはならず口から漏れることはなかった。沈黙が返事のように電話が切れプツンという音の後にさっきの言葉が目の前に差し出される。オッペンおじさんが死んだ。最初に浮かんだのはあの茶色い瞳だった。少し黄色みがかった透明感のある茶色い瞳。しばらく受話器を握っていたが洗面所にいき鏡をのぞき込む。よどんだ茶色い瞳があった。
それからしばらく仕事もあまり手につかづ気がつくとぼんやりしている。なにを考えているわけでもない。ただぼんやり。
そういう時になぜか人生最初の記憶がよみがえる。何十年も前の記憶。波打つ金髪に茶色い瞳。そして満面の笑み。


※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます