ライトフロウズ ノウト:Lightflowz-Note

音の和 彩の波 響き合う
五感豊かなひとときを♪ 

グリーン♪xグリーン♪ ~「紺青の鈴」

2018-05-18 | 色彩日記

ライトフロウズノウト 今日の1ページへようこそ♪


初夏の入り口 今扉をあけたところ、という感じ
ですね^^ 

風薫る良い季節になりました


雨の日以外は家の中にいても 緑地から散歩に?くる小鳥たちの声 
おなじみの雀のチュン のほかツピイツピイ ピチュチピー
ティーティーピュイ ピウピウピウなど色々聞こえます

昨日は不思議に美しいさえずりが聞こえたような…

ルルルルー とエコーがかかったような響きで
何回か、

出かける支度しながら聴いていたので
しっかり確かめられなかったのですが

確かに鳥の声だったと思う 
公園のサイトに載っているかな?
今度調べてみます^^

小鳥の声は 雨の音や木の葉の揺れる音と同じく
自然の音楽♪ と私には感じられます

そのほかカエルの声もよく聞こえている

最寄り駅のひとつが大きな公園を通って
行く道筋なのですが

一年のうちで緑の色数がいちばん多い今の季節、
公園のさまざまな種類の樹々は

潤いある色調のグラデーションを
見せてくれています。


今の季節に決まって思い出す、とある小説の一シーン


「紺青の鈴」高橋治著 角川文庫 この物語では
北陸の伝統的な古九谷五彩と継承の使命をもつ
九谷の窯元の家の娘に生まれた
新進の陶工であるヒロインを軸にそれぞれの陶芸の道を
究めんとする焼き物師の姿が描かれます…

この小説の最後近い場面で主人公 彩子と
窯元九代目である父親 十九蔵との
さまざまな確執を乗り越えたのちの会話が場面が
あるのですが それが

白山 平泉寺の新緑の庭の描写とともに
まことに見事で印象的なので、本文から拝借して少しご紹介を‥

「常緑の杉、苔、苔の間から背をのばしている様々な種類の雑草、
水辺のあやめ、睡蓮の葉、開いたばかりの三つ葉つつじの葉、
その上にかぶさるほどに繁った槙。」

そして老杉の葉を通る木漏れ日の中 楓の若葉の下での
十九蔵の言葉

「これだけの緑の中でどんだけの数の色がだせる」
「緑を古九谷ほどうまく使うとる焼物はほかに見当たらん。
その古九谷につながっとってこんな程度や。わしら一生かけて
いったい何こそしとるやら」
幻といわれた古九谷五彩をほぼ再現し名実ともに
当代一の陶芸家として 迎えた晩年、
「ぶんわりとそこに立っていながら気力の溢れた」姿の
「からっと抜けた楽しさに近い」響きの述懐です

そして小説の最後では 彩子の愛する人であり
十九蔵が一旦は破門、長年の確執の後 和解を果たした
これも最高の九谷焼作家である東山が

平泉寺の緑を青に置き換えた と十九蔵が認めるほど見事に
紺青の色を極めて日本海夕景を九谷の皿に写し取り完成させるまで、

またその先に続く登場人物たちの命懸けの道、終わらない物語

小説の会話の大部分が北陸弁で私にはとても慕わしく
最初にこの小説を手に取ったのはそのほうがきっかけ
だったように記憶します。著者は歴史と文化深い日本各地を作品で
取り上げられていますが、出身地の北陸を舞台に代表作
「風の盆恋歌」ほか数々の名作を世に残されました。

「紺青の鈴」は登場人物のドラマの背景として
小説全体が焼物・織物・自然の色彩に
満ちているのですが 陶芸・染色、和服の専門の知識がない私でも
わかりやすく読める作品で時折読み返します。

自然の色彩に魅せられて 追いかけて確かに追いついた
と心から得心した芸術家は今日まで幾人おられるのか

あるいは分野を問わず
本質 深さ を求めることを自らに
課した道を歩む場合はどこにゴールがあるのか

いったいに「創造」することが自然な欲求である
性質を持って生まれたひとの場合 息をするように創ることが
できるなら その時間の中では幸福、

「創造」を止められる環境内では程度の差はあれ
どうしても苦しいことになる

今 ご縁あるクラシック音楽の世界も
本質 深さ そこに美しさ 純粋さを求められるところであり
そこで出会った真摯な演奏家がたに敬意もちつつ思いを馳せたりも
いたします。

コンサートスタッフとしては心を込めてお手伝いする
以上に大事なことはないと思いつつ。

あと、そこから私の頭をよぎるのは
創造 表現 一人一人の個性をいかすことを良しとして
伝えきれない(止めているともいえる)
今の教育のシステムのことであったりします。

2020年前後 実社会と国際社会の変化に呼応して
大学から小学校まで連動してくる教育改革の流れ
(公立、私立の格差が少し気になる)

ありますが でも良い方向に向かうこと
心から希望します

創造 表現を育むヒントは自然の千変万化の色彩や音や薫りの
中に必ずあるけれど これは授業の範疇にはなかなか
入ってこないかも知れない 

今は色・音・匂い かなりな分量、生活は人工のものに
囲まれているので(日本の都市部は特に) 
五感を自然のもので調整すると心身の健康にも
良いのですが…

ほんもの 本質を感じる感性を磨くことは
情報インフレ社会(←最近新聞の記事でみた言葉)の中では 
大人でも子供でも 余分を端折ってものごと決めて
先にすっと行けて 何かと生活の役にも立つので
一講師としては機会があればお話していきたいと
思っています。

さて それでは具体的にどんな風に
クラスの生徒さんに伝えていこうか?
緑の数はいくつある? 葉っぱの色を数えてみてね‥‥
時折でてくる ”正解のないワタナベ先生の質問”
になるでしょうか。
保護者様にはクラス通信のプリントに一度
書いてみよう。

けれど本当は何心なくあるまま感じるのが
いちばん大事なので 堅苦しいお伝えにならないように
しなくてはですね^^
纏めることがうまく出来たら

また緑の薫り 小鳥の声に ただ幸せを感じる
そんな私に戻ります














 







 

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