あるきメデス

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中山道 本庄宿と郊外を歩く(埼玉)

2010-10-19 15:39:43 | カントリーウオーク
 さわやかな秋空に恵まれた10月16日(土)、カントリーウオークグループの第177
回例会に参加した。

 集合地はJR高崎線の本庄駅、10時8分に駅北口をスタートする。

 =中山道本庄宿の町中をめぐる=

 駅前を北へ、次の通りを左折して、まずは武州本庄七福神の大黒天を祭る城立寺
(じようりゆうじ)へ。

 新しい大黒天は、薬師堂の前でほほえんでいた。境内には、コイなどの絵入りの
「淡水魚介類供養碑」もあった。

 昔は賑やかだったと思われる銀座通りの商店街を進み、寿老人の泉林寺に参拝し、
北側の中山道に入る。

 赤レンガ造りの大きな建物は、旧本庄商業銀行倉庫。現在はローヤル洋菓子店の
店舗兼製菓工場だという。

 国の登録有形文化財だが、店の中で求めた洋菓子を味あうこともできる。

  中山道沿いにはほかに、宿場の面影を残す古い商店や、洋館の医院などがいく
つか残っていた。


 さらに進んだ国道462号との交差点際には、うっそうとした境内に極彩色の社殿が
目につく金讃(かなさな)神社がある。

 創立は欽明天皇の2年(541)と伝えられ、武蔵七党の児玉党の氏神として崇敬され
たという。社殿には精巧な木彫が施され、早めの七五三参りの家族も見られる。


 境内には、県の天然記念物で樹齢350年を越えるというクスノキ↑の巨樹が枝を広
げ、そばのカヤの古木も市の文化財である。

 武州本庄七福神の恵比寿尊は、大石の上に竹ざおを持って鎮座していた。

 西側の国道462号の歩道には、中山道六十九宿の宿場名を刻んだタイルが、埋め
込まれている。

 次の通りを右折すると、七福神の銭洗い弁天の佛母寺(ぶつもじ)である。

 境内は広いが、大本堂のほかは空き地が多く、新しい弘法大師像と、ユーモラスな
銭洗い弁天以外には、目立つものはない。


 本庄西小の横を下って、きれいな流れの若泉公園に入る。コイの泳ぐ流れは、すぐ
北側を流れる元小山川(もとこやまがわ)の古い流路らしい。

 流れに沿って進み、西小の先で台地に上がって阿夫利天(あふりてん)神社へ。
もとの社殿は10年前に火災で消失し、現在の社殿は2003年の再建という。若泉
公園側の森で、小鳥が賑やかにさえずる。

 住宅の間を少しで、南側の普寛(ふかん)霊場に入る。木曽御嶽山(おんたけさん)
の御嶽教直轄の霊場で、4月10日と10月10日の大祭には、境内で火渡りが行わ
れるとか。境内に、黒焦げの土の残る一角があった。


 拝殿の天井には精巧な龍の木彫が、前側上部も亀や鳥、龍などの複雑な木彫が
施されていた。


 さらに南に、ひときわ目をひく大本堂が見える。回ってみると毘沙門天の安養院。


 中門は修理中で囲いに覆われている。新しい毘沙門天像は、山門際に立っていた。

 その横には、線刻の観音像を刻んだ石碑2基などが並んでいる。

 寺の前の通りを東へ。最初の交差点の先に、ポツンと山門が立つ。「田村本陣門」
と呼ばれ、本庄宿の北本陣の正門を移築したもので、皇女和宮が御降嫁下の折、く
ぐったといわれているという。


 背後には、古い洋館が残っている。現在は本庄市立民俗資料館だが、明治16年
(1883)に本庄警察署として建てられたもの。

 モダンな警察署として、市民に長く親しまれ、県文化財となっている。

 T字路を曲がって一つ北の通りに入り、七福神のもう一つの銭洗い弁財天を祭る
慈恩寺へ。

 琵琶を弾く鋳造の弁財天像は、本堂の左手前のツツジの植え込みの間に立ってい
て、ちょっとわかりにくい。

 東へ向かい、近くの海善寺は、徳川氏の家臣で、本庄領一万石を領した本庄城主・
小笠原信嶺(のぶみね)が開基した寺とか。七福神の寺でもあり、笑顔の布袋尊は、
境内隅の大石の上に乗っていた。



 道路を挟んだ南側の墓地には、開基した小笠原掃部太夫信嶺公夫妻の墓がある。

     (続く)

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