あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

塩の道 千国街道を歩く(信濃木崎から白馬)(2002年)

2009-07-27 21:24:54 | 塩の道を歩く
 今日も、7年前の2002年7月に歩いた最初の塩の道・千国街道、2日
目のレポートです。

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 =仁科三湖を経て白馬村へ=

 2002年7月21日(日)


 
 2日間大変お世話になったKさんの別荘を7時20分に出る。今日は
一人で昨日のコースの先を歩くことにした。

 8時19分、ここも無人の信濃木崎駅に下車。西側は木崎の集落が並
ぶが、東側は安曇沓掛駅と同様、緑あふれる田んぼで、すぐ先に山が迫
っている。



 大きなイチイの木のある木崎集落を抜け、ゆーぷる木崎湖までは前日
の道をたどる。森集落の南西から田んぼの西、山すそへ回り、塩の道の
西ルートに入る。

 アオサギが飛び、ノカンゾウ、ヒメジョオン、ムラサキツメクサなどがたく
さん咲く野道は、向かい風が爽やか。

 山麓の木立の中、太い木の下に「鬼穴古墳」の石碑が立っていた。

 鬼塚とも呼び、直刀などが出土したところのようだ。林でウグイスが競っ
てさえずっている。

 木崎湖西岸に出るとキャンプ場があり、湖畔にはキャンパーや釣り人が
何人か姿を見せていた。


 500mほどで塩の道は山道に入るが、草が茂って通過しにくそうなの
でそのまま湖畔の車道を進む。唐松林の先は杉木立の上りとなり、陽は
差さぬが汗が出る。林床にオカトラノオがたくさん咲いている。

 南平集落からは、木崎湖北面が見下ろせ、展望が気持ちよい。集落に
は3戸のかやぶき民家があった。宮沢の神社で小休止。杉木立の下に
ある手水鉢に、石垣からきれいな水が勢いよく落ちている。

 宮沢に残るかやぶき屋根は、穀物倉だろうか。



 湖を離れ、田んぼや民家をを見ながら北村集落を抜ける。集落内に咲き
競う夏の花。


 木陰が無くなり、日差しが強く暑い。大糸線の東に出て、棚田の間を勢
いよく流れる清流沿いに進んで国道に上がった。

 高速で通過する車に注意し、1㎞余り国道を進む。大町やなば信号を
左へ、中綱集落に入り車から開放され、ほっとする。水神社(下)で小休
止。冬はスキー客で賑わう集落も今は静か。


 民宿が続く中綱集落を縦断する。下は民宿中屋の納屋。


 オタマジャクシがたくさん泳ぐ田んぼの畔から、中綱湖西岸へ。この小さ
い湖にも釣り人がいる。聞くと、ブラックバスが釣れるとのこと。塩の道の
湖から、ブラックバスの追放はできないのだろうかと思う。

 両側から山が迫る糀原から振り返る中綱湖。



 糀原を抜けると、仁科三湖で最大の青木湖。青木集落の入口で、小さ
なかやぶき屋根のかやを10数人で、はいでいた。

 仁科三十三番札所15番の堂崎観音堂の屋根、集落の人が総出で、
1週間かけてふき替えるのだという。

 説明してくれた方が、横に外してあった古い掲額を見せてくれた。堂の
ことを読んだ歌のようだが、達筆で読めない。東側には、たくさんの石仏
が並んでいた。

 青木集落も民宿が多い。集落を出て、西岸に細く突き出た岬、秋葉崎
に向かう林には、ドクダミやオカトラノオ、ガクアジサイなどが咲いている。


 サンアルビナ青木湖スキー場のゲレンデ下付近はキャンプ場で、家族
づれや若いキャンパーの姿が見える。


 キャンプ場が終わる辺りから、杉木立の下を佐野坂に向かっての上り、
佐野坂三十三番観音が道の左側に並んでいる。

 およそ20~30m間隔、最後の方は100m間隔くらいで、文政12年
(1829)に高遠石工によって彫られたという苔むした観音像が続く。

 この2日間で、最も塩の道らしい雰囲気を感じたところであった。

 4番観音が坂の頂上。思ったより楽に佐野坂を越え、白馬村に入る。
2番観音と道を挟んで鬼石というのがあった。西行法師が巡礼の際、休
息された腰掛け石とか、鬼が投げようとして爪を立てた石とかの伝承が
ある。道は佐野に向かって杉木立を下る。
 
 ほぼ下りきって大糸線の東に出た。そばの流れを越えたところに蚕彰
社と呼ぶ小さい社がある。

 木陰で風も通りそうなので、草の上にシートを敷いて昼食にした。(続く)

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