あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

宮崎歩き旅日記③ 真幸駅から京町温泉へ

2013-05-13 12:33:49 | カントリーウオーク

 帰ってから2週間以上も経過し、季節感がずれてしまいそうですが、宮崎の旅最終日の
模様を2回に分けて報告します。

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 2013年4月25日(木)

 JR吉都(きっと)線の、京町温泉駅8時56分発下り隼人行きで吉松まで行き、肥薩
線上り人吉(ひとよし)行きに乗り換え、9時19分に無人の真幸(まさき)駅に下りた。

 真幸駅は標高およそ385m。吉松駅から少しずつ高度を上げ、次の矢岳(やたけ)駅
へも急な上り勾配が続き、肥薩線でも「山線」と呼ばれる険しい区間で、逆Z字型のスイ
ッチバック構造になっている。


 駅の1日平均乗降人員は、2010年度には1人とか。今日は私が下りたので、もうほ
かに乗降客は無いかもしれない。


 吉松から突き当たりのホームに入った列車は、バックして引き込み線に入り、再度向き
を変えて駅の西側から斜度を上げて矢岳駅に向かって上がって行く。駅に入らずには通過
できない構造である。


 ホームの先端に、昭和47(1972)年7月に発生した山津波で駅を襲った重さ約8
トンという大石が、記念石として現地にそのまま保存されていた。


 構内には、2年前に迎えた開業100周年の看板が残る。明治44(1911)年5月
11日の開業で、宮崎県内で最初の駅だという。宮崎県最西端の駅でもある。

 看板の前には、この地方独特の「田の神さぁ」と呼ぶ石像が並んでいた。


 ホームに、駅名ゆかりの、幸せを感じる度合いに応じて鳴らすのがよいとされる「幸せ
の鐘」が吊され、駅舎の横には幸せを祈る絵馬がたくさん下がる。



 待合室にも、幸せにちなむ掲示が幾つも貼られていた。北側の、新緑に彩られた山並み
が気持ちよい。



 スイッチバックの末端を見ようと駅下の国道447号に下り、線路を越えて吉松側に1
㎞近く戻ってみたが、木が茂っていて確認できなかった。


 駅の方に戻る途中では南側の展望が開け、眼下の西内堅集落や、春霞ながらも霧島連山
が望まれる。


 今日のウオーキングは、白川に沿って走る国道447号を主に、京町温泉に向かって下
ろうという計画である。

 最初は国道を離れ、駅の南側、白川を挟んで数戸の西内堅集落を抜ける細道に入る。

 谷間に棚田があるが、まだ水が入らず田植えはしばらく先になりそう。


 周辺の新緑の山並みや、行く手の霧島連山を長めながら少しずつ下る。そちこちの斜面
にフジの花が咲いているのが望まれる。


 家並みが途切れて白川を渡り、東側の国道に上がった。川の近くに、今も使われている
らしい水車が回るのが見える。



 さわやかな風を感じ、周囲の山並みの展望を楽しみながら少しずつ高度を下げる。


 谷が広がり、田んぼも増えてきた。きれいな空気と清涼な水に恵まれたこの環境が、あ
のおいしい真幸米となって食前に上がるのだろうか…。



 向こう見える霧島連山が、駅周辺よりはっきりと望まれるようになってきた。純白のオ
オデマリが花盛りである。


 1時間余り国道を下ったが、通過した自動車は10台も無く、周辺の景観を楽しみなが
ら安心して歩ける。


 左に大きくカーブして梅木集落にかかったところで、国道を離れて集落を貫く旧道に入
った。

 東側の山並みの稜線上に、10本前後のアンテナ群が見える。地形図で調べたら、陸上
自衛隊えびの送信所のアンテナと分かった。


 集落を東北に抜け、右から回ってきた国道に合する十字路に出た。この先は、周辺にあ
る四つの「田の神さぁ」と呼ぶ、石像を探すのが今日の主な目的である。昨夜旅館で、こ
の周辺にある5か所の田の神の場所を、地元の農家の方に教えてもらってある。

 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田を守り、豊作をもたらす神として信じ
られ、民俗行事として古来から農村に浸透していたようだが、田の神を刻んだ田の神神像
を造り、豊作を祈願する風習は、18世紀初頭に始まった薩摩藩独特の文化とのこと。私
も見るのは初めてのことだ。

 この十字路近くにあるはずの最初の田の神を探したが見つからない。そばの家のご主人
が帰宅されたので聞くと、国道を200mほど戻ったところと教えてくれた。


 行ってみたら、そばに隣の田の作業に来た方の軽トラックが止めてあり、正面からは撮
りにくい。

 傍らに、えびの市指定文化財の説明板もあり、像の背面には「享保十(1725)年六
月吉日」の刻銘があり、えびの市内で2番目に古い田の神像だという。背後の田はレンゲ
が花盛りになっていた。

 交差点に戻り、90度右カーブする国道に分かれ、北に伸びる道を東内堅集落へ。ツツ
ジが咲き競うお宅の入口に、「国指定天然記念物薩摩鶏」の標柱が立っていた。

 この家で薩摩鶏が飼育されているのだろうか。時間が無いので聞かずに通過する。

 この集落からも、霧島連山や周辺の田園地帯などの展望が広がり、鯉のぼりの泳ぐ家も
ある。


 この後回る予定の、田んぼの中の神社の森も間近に見下ろせる。

 東内堅集落を抜けて、右からの車道に合する。次の湯園集落の末端辺り、車道が左カー
ブするところに、大イチョウの立つ日枝神社があった。


 境内はわずかで社殿も小さい。ふと見たら鳥居の左下に、田の神が祭られていた。


 この神社は、昨夜旅館で聞いたが場所が分からず、地図にも無く、この先の寺のそばに
あるのではと言われていたので、早めに分かって幸いだった。

 田の神の台座には、「大正七(1918)年二月二十五日に福岡さんが満七十歳記念に
造って奉納」したことが刻まれていた。


 緑あふれる周囲の景色を眺めながら、田んぼの中に見える神社に向かう。



 田のあぜ道を東へ、湯ノ川左岸まで行き、左岸に沿って進んで少し先、「水流(つる)
天満宮」とも呼ばれる菅原神社に入る。

 太鼓橋を渡ると、精悍な風貌の仁王像が両側に立つている。八代将軍吉宗の時代の享保
10(1725)年4月の建立だという。12時半近いので、拝殿に参拝後、横の濡れ縁
を借りて昼食をする。

 昼食後探したら、穏やかな顔立ちの「田の神さぁ」は、鳥居の左手の小さい社に祭られ
ていた。

 建立の時期などは分からないが、えびの市の観光パンフレット「えびナビ」によれば、
市内で5番目に古いとのこと。ちなみに「えびなび」には、市内にある19の田の神の場
所が記されている。

 田んぼの中を南に貫く参道を真っ直ぐに進む。赤鳥居から振り返る鎮守の森も、新緑に
彩られていてみずみずしい。



 明治2(1869)年の猿田彦大神碑のある十字路を過ぎ、水流集落に入った。集落の
家々は、りっぱな生け垣や石垣に囲まれていて、数10年前にタイムスリップしたような
感じ。


 古い門構えの屋敷もあった。


 集落を南に抜け、川内川(せんだいがわ)右岸に出て国道に合し、悠々と流れる川を渡
る。流れは、3㎞足らず下流で県境を越えて鹿児島県に入る。


 橋を渡って右岸堤防上を少し進み、昨夜泊まった京町観光ホテルの横を抜け、京町温泉
の町並みを貫く国道268号を横断する。

 えびの共立病院前を通過し、この辺りにあるという4つ目の田の神を探したが見つから
ない。病院前に戻り、玄関にいた人に聞くと、線路の踏切際にあると教えてくれた。行っ
てみたら、川内川に流れ込む支流の堤防上にあった。

 素朴な顔立ちの、この田の神にも花束が供えられていて、地元の人々の信仰の深さがし
のばれる。

 昨夜旅館では、もう1か所、田の神のある場所を教えてもらっていたが、列車の時間も
あり、回るのは省いて駅に向かう。13時36分に京町温泉駅に着いた。

 駅前に京町温泉駅前公園があり、昭和10(1935)年と12年の2度、この地を地
れた野口雨情の直筆の歌碑があり、「真幸京町別れが辛い 霧が姿をまた隠す」と記され
ていた。


 公園の中心には、昭和43(1968)年2月に発生したえびの地震による被災のこと
を記した「えびの地震記念碑」もある。


 駅前には、地元7つの自治公民館で制作した、田の神さぁが並んで迎えてくれている。


 宮崎空港に向かって帰路につくことにして、14時9分発吉都線上りワンマン列車に乗
った。


(天気 快晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 吉松、加久藤、歩行地 えびの市、
 歩数 20,200、累積標高差 上り約150m、下り約310m)




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1 コメント

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真幸駅 (もののはじめiina)
2015-10-28 08:41:57
空から真幸駅を見ました。^^

ここからスイッチバックになっているのですネ。

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