あるきメデス

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関東百駅巡礼歩行 東武日光線 新大平下駅(栃木)

2011-06-28 15:48:02 | 関東百駅巡礼歩行
 2011年6月25日(土)

 6月に2回目となる、やまさんの関東百駅巡礼歩行に参加した。集合は東武日光線線の新大平下
(しんおおひらした)駅。一日中雨の予報のためか、参加者はやまさんと私のみ。10時51分に駅西口
をスタートした。


 北に少しで最初の角を左折する。近くにあったのが、大ケヤキが目につく如意輪寺。下野(しもつけ)
観音霊場の二十五番札所で、創建は宝亀元年(770)という古寺である。

 延徳2年(1490)にこの地に移され、のち、徳川家康が立ち寄り十石の朱印を賜り、徳川家ゆかり
の寺となったという。境内のアジサイが見頃。六地蔵と北向き地蔵などの地蔵群が並んでいた。

 例幣使(れいへいし)街道に出て、ご神木の大イチョウが目につく八坂神社へ。

 境内を清掃していたのは女性の神主さん。県内には40人の女性の神主がおられるとのこと。夫の急
死後、先代神主を務められたというお母さんも出てこられ、冷たいお茶をいただいた。

 交通量の多い県道11号を横断、内宿の新しい住宅地を抜けると、トウモロコシ畑が現れ、緑濃くなっ
た水田の向こうに晃石山(てるいしさん)(419m)の山並みが広がる。


 JR両毛線に沿って田園地帯を西に進む。前方に、採石のためだろうか一部をざっくり切り取られた山
が見える。踏切を越えて片岡集落に入った。


 北側の山田集落にかけてぶどう園が多く、道路際には直売場が並んでいる。



 ブドウ棚には、かなり大きくはなったがまだ熟す前の緑の実がたくさん見られた。この辺り一帯に、
ぶどう園が70余りもあるようだ。

 集落の北端から山すそに入り、「山田かかしの里」に行く。上部に県内一長いというローラースライダー
が見え、その下のバーベキュー広場には、車で来た人たちが、バーベキューを楽しんでいる。近くにあっ
た東屋で昼食にした。


 農産物直売所を少しだけのぞき、広域農道を北東へ、晃石山ろくの小荷田集落に入った。ブドウ畑に
混じってナシ畑も見られる。


 集落の最奥まで上がると、豊富な緑に覆われた清水寺(せいすいじ)がある。下野観音霊場二十六番
札所で、東国花の寺百か所霊場でもある。


 境内では、今が見頃のアジサイのほか、季節によりスイセンやツツジ、シャクナゲ、ボタンなどの花が見
られるようだ。標高130mほどの高台なので、南面の展望が開けている。



 ほぼ等高線に沿った林道山田線を東に向かう。沿道にはアジサイが続き、まだ若木もあるが、白、青、
紫などの彩りを楽しませてくれる。それらに混じってトラノオやホタルブクロも咲いていた。


 林の切れ目から田園地帯を見下ろし、竹樋から冷水の流れ落ちる地を過ぎ、さらに続くアジサイの道を
少しずつ下って池上集落へ。

 集落を貫く道を北に上がり、うっそうとした杉木立の下にアジサイの咲く参道を大中寺(だいちゆうじ)に
入る。1月生まれという乳児を抱いた宇都宮の若ご夫婦が、アジサイとお子さんを携帯電話で撮っていた。


 大中寺は延徳元年(1489)の再興、のち越後の上杉家に守られ、徳川幕府からも高い位を与えられた
由緒ある寺だという。上田秋成作の「雨月物語」にある七不思議の伝説でも知られているようだ。

 石段を上がった本堂下、七不思議の一つ「油坂」の斜面に、アジサイや何色かのユリが咲き、本堂前に
はカエデの古木が立っていた。


 本堂東側下には、七不思議の一つ、「不開の雪隠(せつちん)」と呼ぶかやぶき屋根の建物がある。

 もとの道を林道まで戻り、少し先で旧東山道だった道を下って、峰町谷集落へ。りっぱな門構えで庭の
広い民家が並び、このあたりもブドウ畑が多い。


 広域農道に出て、おおひら歴史民俗資料館へ。館内には旧大平町の原始から現代までの考古、歴史、
民俗資料などを展示している。

 企画展示として、近県を含めた各地の寺の野仏を切り絵にした「野仏賛歌」が展示されていた。

 隣接する郷土資料館「白石家戸長屋敷」にも入る。江戸後期の文政年間(1818~29)に整備された大
庄屋の屋敷。かやぶき屋根の大きな母屋(おもや)、味噌蔵、離れ屋敷など趣ある建物が並ぶ。




 長屋門近くの土蔵は、「ぎゃらりい蔵」と呼ばれ、こけしや人形、だるまなどが数え切れないほど展示され
ていて、週末には、飲物をいただくことも出来る。

 奥にある大きな木造スピーカーからの素晴らしいジャズの音を聴きながら、コーヒーをいただいた。


 広域農道を東へ、中山の西麓に並ぶ向堀集落を南に向かう。南麓の神の倉集落を回ってJR大平下駅の
西側踏切を渡り、大平西小の校門際に出た。

 「富田城跡」の説明板があり、この一帯東西400m、南北500mに、嘉吉元年(1441)~元和3年(1617)、
富田氏などが支配した平城(ひらじろ)があったことが記されていた。

 県道11号を横切り、旧例幣使街道から県道311号に回って、新大平下駅に16時06に戻った。

 一日雨の予報だったがほとんど降られず、気温もさほど上がらず、梅雨時としては快適なカントリーウオー
ク日和だった。

 (参加 2人、天気 曇、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 栃木、歩行地 栃木市(旧大平町)、歩数 22,400、
  累積標高差 約450m)


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