サイコロの一点物日記、真央さんと共に!

浅田真央さんを応援します。そして、指原莉乃さんのファンでイコノイジョイも推してます。特に佐々木舞香さん推しです!

■良いコラムなのに紹介出来なくておりました。舞さんにとって真央さんはお互いにリスペクト出来る存在!

2020年05月29日 00時00分04秒 | 日記と女性アスリート応援




昨日は予定通りバンサンカンの購入サイトなどのご紹介が出来ませんでした。goブログとバンサンカン編集社の相性、禁止ワードが含めれていると言う理由で蹴られてしまいました。皆さんなりに購入方法は模索願います。(微笑)



新型コロナのニュースに隠れてご紹介できないでいた舞さんの情報です。
特に語る事はございません。
今が総てですがどんなに仲の良い姉妹にも苦悩に悩まされた時もありましたね!
姉妹の関係って微妙ですね、でも、気持ちは、修復出来ると言う事。
血は水よりも濃いですね。(微笑)
◆NUMBER“才色健美な挑戦者たち”より

妹・真央とともに歩んだ、浅田舞のフィギュアスケート人生。



 2002年初出場の世界ジュニア選手権で4位、2003年には全日本選手権で6位を獲得した浅田舞。言わずと知れた、元フィギュアスケーター浅田真央の実姉だ。舞自身もジュニア時代から将来を嘱望されたスケーターであったが、2008-2009年シーズンに引退を宣言することなく、ひっそりと競技から退いた。そんな彼女のスケート人生には常に、妹・真央の存在があった。


 3歳からクラシックバレエを始めて、小学2年生の時に、私からやりたいと言ってフィギュアスケートを始めました。そこからはもう朝起きてから夜寝るまで、フィギュアスケートのための生活。それ以外のことは本当に何もしていませんでした。

 中学生ぐらいになってくると、これだけ努力をしていても、いつか妹に抜かれるんだろうなという予感はしていました。

 13歳の頃から指導を受けていた山田満知子先生が、表現することについて、演技や滑りには性格が出るとおっしゃっていたんですよ。例えば同じアルゼンチンタンゴを振り付けても、私が踊る場合と、妹が踊る場合では、雰囲気も変わるし、絶対に同じ演技にはならない。いくら作ろうとしても同じ雰囲気は作れないし、性格は隠せないっておっしゃっていて。

高校生になると、妹の方が上手になってきて。
 それって生まれた時からの育ち方とか、両親との関係とか、お姉ちゃんなのか、妹なのか。何を食べてきて、どんな生活をしてきたのかという積み重ねなんですよね。ジャンプや滑りの技術は練習すれば進化しますけど、雰囲気は高めようと思って高められるものではない。だから、自分を変えて、演技をする必要はないというのはすごく勉強になりました。最近始めた社交ダンスでも、この教えは生きていて、無理をして演じるのではなく、ありのままの自分でナチュラルに踊ればいいのかなと思っています。

 というのも、高校生になると、妹の方が上手になってきて、ついに順位が逆転したんですね。

 生活のすべてをフィギュアスケートに注いでいたので、若かった私はその事実を乗り越えられなかった。それまでは好き嫌いという感情ではなく、生活の一部だったフィギュアスケートに対して、私はなんでやっているんだろう、なんでやらないといけないんだろう、という「嫌い」の感情が出てきてしまった。

フィギュアスケートと喧嘩をしている感じ。



 フィギュアスケーターはアスリートなのか、アーティストなのか、とよく聞かれるのですが、私はやっぱりアスリートだと思います。キラキラのドレスを着て、きれいにメイクして、見た目はすごく華やかだし、アーティスト性のある競技だと。でも、体の管理、食事、睡眠、生活スタイルまで、すべてがトレーニングの一環で、華やかな世界の裏では、みんな怪我をしたり、傷だらけになったり、ジャンプに支障が出るから体重管理が大変だったり。フィギュアスケーターの生活って想像以上に過酷で、ゴリゴリのアスリートなんです。

 だから競技が嫌いになってしまってから、私のフィギュアスケート人生は今までと真逆になってしまいました。フィギュアスケートと自分が関係していることがすごくストレスで、異常なぐらい食べていて、三段腹だったし、体もパツパツ。衣装が何も入らない状態でしたから。逆に食事を取れなくなったこともあって、今より15kg痩せていた時もありました。その頃は自分の精神的な部分が弱くて、物事に対応できず、それが体にも現れていた。

 感覚としては、フィギュアスケートと喧嘩をしている感じです。ちゃんと向き合えない時期が長くなってしまったことで、結局、競技をフェードアウトしてしまいました。アイスショーにも出ていなかったし、競技をやめたときは今より15kgも太っていたんですよ。

突き詰めていけたのは、妹がいたから。
 フィギュアスケートが嫌いになってしまったことで、家族と仲が悪くなったり、妹と心が離れてしまった時期もありました。

 それでもアイスショーに出るようになったのは、周りの方やファンの方から「ジャンプやスピンがなくても、舞ちゃんの滑りが見たい人はたくさんいるんだよ」という声をいただいたから。自分が戻れる場所がまだフィギュアスケートにあるんだということ、そして自分にもまだ滑りたいという感情があるんだということに、初めて向き合えたのです。

 今では妹にはとても感謝をしています。多分、妹がいなかったら、挫折しても食らいついたりしなかっただろうし、習い事で終わっていたでしょうね。30歳過ぎるまで滑って突き詰めていけたのは、妹がいたからこそだし、海外に練習に行けたり、いろいろな世界を見ることができたのも妹のおかげです。

ちょっと誰かに頼ってみるのも悪くない。
 そう思えるようになったのは、母が亡くなってから。ずっと心の距離があったのですが、母の死をきっかけに、妹とは多くのことを話すようになりました。母のことはもちろん、心が離れた時にお互いをどう思っていたのか、実はこんなことがあったんだよとかいろいろ話すようになって、距離がぐっと縮まりましたね。

 私はずっと、誰かに相談することがいいこととは思えなくて、自分で抱え込みがちでした。今でも相談相手が多いわけではないけれど、誰かに話すことで自分の心が楽になれるんだって気づきました。

 妹にもなんでも話してって言われましたね。「隠し事をしないで、真央にはなんでも話して。話してくれないのは逆にショック」って言われて「あ、話してもいいんだ」って。30代になってから、ちょっと誰かに頼ってみるのも悪くないって学びました。

 私は競技でもプライベートでも、何度も挫折をしてきました。だけど、周りの方が支えてくれたこともあって、どんなことがあっても投げ捨てず、諦めなかったから、こうして過去のことも笑って話せるようになったのだと思うんです。だから、これからも投げ出さず、諦めず、いろいろなことに挑戦することで、自分の人生を楽しく彩っていきたいですね。


才色健美の番組も拝見させて頂きましたがとても良い番組でした。
内容は、この記事と同じですが舞さんの表情を見ていれる安心感がこの記事との大きな違いだと感じます。
活字では伝わらない真央さんへの感謝だったり!(微笑)





◆浅田真央さんの動画のご紹介です。
動画主の皆さま、いつもありがとうございます。(真央さんと無関係な動画も含みます。)


★浅田真央(mao asada) J.W. 2005 SP - Somewhere Over The Rainbow ~ 「Mao Thanks Tour」使用曲(ボーカル)に変更してみた!


★浅田真央(mao asada) とても美しい曲! ~ チャイコフスキー ピアノ協奏曲 No1





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2 コメント

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Unknown ()
2020-05-29 21:54:57
サイコロさま こんばんは。
素敵な記事のご紹介、ありがとうございました。
今までも これからも ずっと真央ちゃんの
大ファンなのは変わらないのですが、舞さんのことは、真央ちゃんのお姉さんという思いだけで見てきました。天才アスリートの妹を持つ、舞さんの率直な思いが綴られていて、舞さんのファンにもなりました。本当に素晴らしい姉妹ですね。
いつも素敵な記事&動画のご紹介 ありがとうございます。
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雪さま、こんばんわ。 (サイコロ)
2020-05-29 22:57:15
誤解されやすい舞さんなんですよね~。
とにかく、お二人で助け合っているお姿が多くのファンを魅了してくださいます。
自由奔放に思われる舞さん、大分損をしていると思います。とても真央さん思いの良きお姉さんです!

コメントありがとうございます。(微笑)
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