サイコロの一点物日記、真央さんと共に!

浅田真央さんを応援します。そして、指原莉乃さんのファンでイコノイジョイも推してます。特に佐々木舞香さん推しです!

悪夢の平成23年3月11日。福島県の復興には、まだまだ皆さんのお力を貸してください。

平成23年3月11日14時46分18秒東日本大震災発生。 頑張れ!東北。頑張れ!福島。放射能の被害の甚大な福島県をず~っと応援します。◆ふくしま復興ステーション

■苦難の時を経て一流になるんですね。少なくても大輔さんと真央さんはそうでした。頑張ろう!

2014年12月20日 00時04分00秒 | 日記と女性アスリート応援
泣くほど購入して欲しいなら購入して、おまけに当たってあげましょう、織田君!(微笑)
すっかり泣き芸で有名になったのではないでしょうか?
自虐ネタとでも言いましょうか?
大の大人の男性が泣くと言うのは、余程の事だと言うのが、普通です。
などど言っても始まりませんし、織田君がそこまでして宝くじを買えて言うなら購入しましょ!
ところが、12月19日は、年末ジャンボ宝くじ、年末ミニジャンボ宝くじ売り場には、購入者の列が・・・50人ほどは居るでしょうか?
こんなことなら早く購入すれば良かったと思いつつも、織田君に当てさせてあげると言われては、“残り物には福が有る。”も考えて残り物に人生を賭ける事に致しました。(大袈裟:笑)

でも、一つ疑問が・・・私の順番になるまでに売れ切れもありうることに気づきました。
でも、心配を他所に、無事に購入、ただし、ここまでに私は、運を使ってしまった?(笑)

こんな記事を見つけましたが、お金持ちが宝くじを買うという話は、当然ながら有り得ませんよね。
取り上げるまでもありませんし、宝くじに当たらなくても良い方が、お金を使う筈が無いですよ。

お金持ちが「宝くじ」買わない訳 胴元が確実に儲かるシステム?

まぁ~、こんな記事しか書けないところを見ると“アンチ宝くじ”ですね。
みんなが同じ考えになれば、宝くじそのものが成り立たないことに気づきませんか?(笑)

まぁ~庶民の夢をこんな記事で、揶揄するのもどうかと思いますが?
お金持ちの皆さんに迷惑を掛けている訳でもなく、小さな、小さな夢です。
いつかは、自分に順番が回ってくると信じてお金を使う貧乏人であった!(微笑)



訃報を見て不謹慎にも懐かしい思いをしてしまいました。
“安全バンド”“頭脳警察”“四人囃子”“ハッピーエンド”など私の青春の中で聴いていた曲の演奏バンドです。
そして、その中に”村八分“と言うバンドもありました。
その、村八分のギタリスト、初めてお名前を知りました。当時も個人のお名前を知っていたとは言い難い。
19日のニュースで始めてお名前を知りました。

一切、メロディーは蘇って来ませんが、とても懐かしい気持ちになる事が出来ました。不謹慎では有りますが、青木様、青春時代を思い出させて頂いてありがとうございました。
もちろん、天国でも奏でてくださいね。(微笑)
元村八分・青木真一さん肺炎のため死去
不覚にも、村八分以降の所属バンドは耳にした事のあるバンドもありますが、存じませんでした。
今まで活躍されていたんですね。当然ですよね、職業ですから・・・と理解していても不思議なものです。
勝手に、自分が聞かなくなったら辞めてしまっていると感じるのは、おかしですね。(苦笑)皆さんもこんな勘違い有りませんか?もうろくとは違うと思います。(微笑)

青木真一様、謹んでお悔やみ申し上げます。



【橋大輔の軌跡】2005年、日本男子フィギュアのエースが泣いていた
不慮の事故と言えば高橋大輔さんの靭帯断裂も大きなニュースでもありましたね。
日本のチームリーダーとしても活躍していた大ちゃんが突然、現役を離脱すると言う事に、動揺したものです。
大ちゃんの人柄に依存する事が大きかったですからね。
真央さんも友加里さんも、そして、小塚さんも頼りしていましたし、親しい間柄でしたからね。
引退までに色々ありました。
真央さんを共通する糞連との確執も存在していると感じました。
そんな大輔さんの回顧録と言っても良いのではないでしょうか?

12月“スポナビ”特集 アスリート、現役続行と引退の波間(10) スケーター・高橋大輔の軌跡 port1
2014年2月のソチ五輪の後、3月の世界選手権出場を辞退した橋大輔は、1年間の競技休養を表明した。そして2014年10月、現役引退を発表――。

 ソチ五輪のフリーが競技者・橋大輔としての最後の舞台となり、日本男子フィギュア界の道を切り開いてきた第一人者は、その戦いに静かに幕を引いた。

 日本フィギュアスケートの歴史にいくつもの”初”という文字を刻んだ橋大輔。日本男子初の五輪銅メダル(2010年バンクーバー五輪)、世界選手権優勝(2010年)、グランプリファイナル優勝(2012年)など、数え上げればきりがない。その最初の「初」が、初出場した2002年世界ジュニア選手権での日本男子として初となる優勝だった。

 当時の男子フィギュアスケートは、02年ソルトレークシティ五輪で4位になった本田武史の実力が突出していた時代。サルコウとトーループの2種類の4回転ジャンプを跳び、世界選手権で02年から2年連続で銅メダルを獲得した本田は、橋にとって追いかけるには遠過ぎる存在だった。

 橋は、シニアに移行した02‐03年は、全日本選手権4位で四大陸選手権代表に抜擢されたが13位。本田がケガで休養した03‐04年には全日本では3位になり、四大陸選手権上位選手として世界選手権に出場して11位。シニアの厚い壁に跳ね返された。

 一方、女子フィギュアスケートでは、世界選手権2年連続3位(02年、03年)の村主章枝や、04年世界選手権優勝の荒川静香に加え、女子で史上初の4回転サルコウを成功させた当時15歳の安藤美姫の登場で一気に注目を集め始めた頃だった。しかし、男子の注目度は上がらず、橋自身は苦戦続きだった。

 04-05年シーズン、橋は本田とともに世界選手権代表になったが、その大会は2006年トリノ五輪の出場枠獲得がかかった重要な大会だった。橋は予選A組6位とまずまずの発進。だが、全日本王者として出場した本田が練習で左足首を捻挫。さらに、予選B組の最初のジャンプで転倒して動けなくなり棄権してしまったのだ。

 突然、19歳の橋の背中に、五輪出場権獲得の全責任がのしかかり、トリノ五輪出場枠を2つ獲得するには、10位以内に入ることが必要になった。そんな状況で、橋はSP7位と好位置につけたが、フリーでは冒頭の4回転ジャンプが2回転になったうえに転倒。終盤のジャンプも転倒やミスを連発してボロボロの演技になった。
「ショートプログラムまでは何とかやり終えることができたけど、最後は2枠を確保しなければいけないということで、頭の中がいっぱいになってしまった。ウォーミングアップの時から焦ってソワソワしていたし、そのうえ4回転が跳べなくて、余計に焦ってしまって……」

 本田という大きな存在がいて、まだ日本でトップを獲れていない状況。試合後、記者に囲まれて話をする橋の表情には、まだ幼さも垣間見えた。橋のフリーは18位。予選とショートプログラム(SP)を合計した総合順位は15位になり、トリノ五輪の日本男子出場枠は「1」になってしまった。

 迎えた05‐06年トリノ五輪シーズン。この年から、これまで指導を受けてきた長光歌子コーチとともに、ニコライ・モロゾフコーチの指導も受けるようになった橋は、アメリカ大会でグランプリシリーズ初優勝を果たすと、グランプリファイナルでも3位と急成長。そして、勝利した選手がトリノ五輪出場となる12月の全日本選手権では、織田信成との激しい争いとなった。

 05年3月の世界ジュニアで橋に次ぐ日本人2人目の優勝を果たし、このシーズンからシニアに移行した織田は、11月のNHK杯では橋を抑えて優勝。グランプリファイナル4位と急成長していた。その織田は、全日本のSPで完璧な演技をして79・90点で首位。それに対して橋は、トリプルアクセルでミスをして5・38点差の2位発進となってしまった。

 翌日のフリーは、最初に登場した織田がSPと同じように伸び伸びした演技でほぼパーフェクト。合計226・10点でトップに立った。一方の橋は、フリーの得点こそ織田を上回る148・60点だったが、合計では223・12点に止まった。

 演技終了後、橋は「自分の演技を見てもらうことだけを意識しようと思ったけど、五輪へ行きたいという気持ちを抑えられませんでした……」と話し、流れる涙を「悔し涙です」と説明した。「五輪には手が届かなかった」と橋はあきらめていたが、表彰式終了後に事態が急変する。織田のフリー演技の得点に集計ミスがあったとして変更されたのだ。

 織田は冒頭のトリプルアクセル+3回転トーループ+3回転ループの最後のループが2回転になっていた。そのため、中盤の連続ジャンプの後半の2回転トーループを3回転にした。その結果、失敗した冒頭のジャンプが3回転に挑戦したと判断され、「2回跳べる3回転ジャンプは2種類のみ」というルールに抵触。最後に跳んだ2回目の3回転ルッツが0点になり、当初の得点から7・40点が引かれた。この結果、橋の勝利とトリノ五輪代表が決まった。

 混乱の中でトリノ五輪出場権を獲得し、橋はこう語った。
「SPでもフリーでもトリプルアクセルを失敗しました。もしちゃんとやっていれば文句なしに勝てていたと思う……。やっぱりそれは自分のミスです。優勝して五輪代表に決まったとはいっても気持ちは複雑で、素直には喜べない」

 初めて全日本選手権を制したとはいえ、それは自分の力でもぎ取ったとはいえないような状況に、橋は困惑していた。初の五輪代表をどう受け止めればいいかと考えてしまう迷い、割り切れないような彼の表情が、今でも印象に残っている。


この色々な出来事が、高橋大輔さんの人格とも繋がって行ったと思います。
今後も後輩のために、そして、プロスケーターとして日本のフィギュア界を牽引してほしいと思います。

大ちゃんなら糞連から選手を守ってくれそうな気がしてなりません。
現実になります様に!(微笑)

今後も、大輔さんの未来を応援と共に拝見させて頂きますね。(微笑)



糞連の事かと勘違いして一瞬喜んでしまいました。
全く人騒がせなタイトルです。
どう考えても日本スケート連盟の事じゃないの~?
http://news.goo.ne.jp/article/nikkansports/sports/p-sc-tp3-141218-0003.html
何処のスポーツ協会や連盟と言うものは一緒なんですね。
これは、明らかに自分たちが何もしないで君臨する気ばかりに問題があるでしょう。
自分たちもシニア競技者として一緒に汗を書く事が大事なんですよね。
一緒に汗を流すことから、改革を始めてみませんか?
日本スケート連盟ともども!(微笑でやるよ!)



動画のご紹介です。動画主様、感謝申し上げます。
真央サンタ、本日は動画です。(微笑)
★浅田真央、今年一番の“甘い思い出”を告白 「ロッテ クリスマス・チョコツリー」イベント2


★浅田真央、ミニスカサンタ姿で点灯式


★“スケートが好きなんだ” クリスマスイベントで浅田真央さん


★浅田真央 恋人は “真央サンタクロース” ~ Merry christmas!! 【MAD】



京都“清水寺”2014年9月後半の画像です。
















“サイコロのブログ”
にほんブログ村 その他スポーツブログ スケートへまた、再開致しました。以前のように訪問してくださる事をお待ちしています。(微笑)・・・・・・・・・・
コメント (9)
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