わたし達の再開発問題反対住民運動のメンバーの中で、竣工した再開発ビルの中に
商業床を取得し、店舗の再出発した家族が居た。
その家族と再開発ビル竣工後しばらくしてから会う機会を得た。
当初から、再開発計画に不審を抱き、現行のまま商売を続けたいと言う要望を持っていた。
Kさんの商売は、駅前で借家契約をしていて、長い間会社帰りの会社員の憩いの場として、
串焼き屋は、毎晩盛況で順調に見えた、建物も昭和の雰囲気をかもしだし
楽しい飲み屋さんでした。
居住している場所は、再開発エリア外であったが、
生活の糧である商売の場所がどうなってしまうかによって、自身の生活も激変してしまう事を
不安視して一緒に、再開発計画に問題提起し、反対の意思を表明していた。
さきの記事にも書いたように、わたし達の再開発反対運動は成果を得られず
計画は進行し、転居か、ビルへ入るかの選択を迫られた。
Kさん家族の選択はどうしたかと言うと、飲食エリアの一角の商業床を購入し
再開発ビルの一部で、今までと同じ飲食の商売を続ける選択をした。
選択する事は、そこの家族の生活形態を尊重する為、反対派住民の会に所属しても
構わないとした。
だが、念のため、専門の弁護士を付け、書類の確認を注意して行った。
再開発ビルへの入居が決まっても、ビルの工事期間は転出しなければならない。
転出先は、プレハブ2階建ての仮店舗建屋だ。
仮店舗はスケルトン渡し(内装工事を行わず、箱のみの提供)で内装費が掛かり
36ヶ月間のために、内装工事を自費で行わなければならなかった、
店舗を引き続き営業出来るとして、休業補償などは無かった。
36ヵ月後再開発ビルのの中に入るため、また内装工事の費用を自費で施工した。
排気ルートに関しては、鉄筋コンクリート造の為決まっており、
設計段階で計算された換気扇と排気ダクトまでは、ビルの設備として取り付けられた
さあ、心機一転でココから奮起して商売を復活させてやるという意気込みで
開店初日を向かえ、客を入れ串焼きをはじめ、換気扇を回したときに異常が起きた
換気扇の排気が甘く、店の中まで煙にまみれてしまったのである。
設計ミス?施工ミス?いずれにしても、商売にならない
煙が店内に充満しては、お客様が煙で目が開けられない
串焼きを手元で行っている、店主の体にも以上が出てきた。
排気が弱いため、手元の熱い煙によって失明の寸前まで悪くなってしまったのだ。
店主も命がけ、毎日開ける店、排気がうまく行くように設計、工事側と交渉して
一刻も早い解決を迫らなければ、店の損害も大きくなっていく
のらりくらりの再開発業者とのやり取りも、日々神経をすり減らしてった。
そんな中、ふと思い出したのが、かつての上手く行っていた頃の店舗のことだった。
店の構え、雰囲気(木造の古さと味わい)排気された良い匂いが
帰りの会社員の足を止め、店に入ってくれたあの頃。。。
でも決めた以上このビルでやっていかなければならない。
現在の店舗のカウンターそばに、以前の、撤去される前の、
店の入り口付近を撮った写真を飾ってあるのを見たとき、昔を想う気持ちと
前に進む気持ちを同時に感じました。
再開発ビルに入っても、駅前にこだわり、商売を続けたいと想う事は当然だ。
ただ、住まいが別の所に有る方が尚良いだろう。
真新しいビルで商売を再開したからといって楽になった、儲かったなんてことは無い
かつてと同じか、キビシイくらいである様だ、
以前と違うのは、共同ビルであるがゆえに、共益費や商店組合からの
要望などがきつくなり、ビル内店舗の足並みを揃え、強調していかなければならないところ
面倒な事や経費が多くなったと言っていた。
協調性やお金を捻出しなければならないのに
再開発ビルの中での営業の努力は個店の責任として押し付け
誰も助けてくれる事も無く。補償も無く。
自立して個々に売り上げを伸ばす戦いを続けなければならないことだ。
再開発ビルになったから、売り上げが2倍になった話などは夢の話で
夢のような事をかつて言っていた、再開発コンサル、役所担当者、商業コンサルなどは
建物を引き渡したら次の現場へ行く為、その街にはもう居ない。