週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
045-941-3541

無常への無情

2011-08-09 01:32:18 | 仏教小話

「形あるもの、いつか壊れる」

小さい頃から、何となく聞き続け、言い続けてきた言葉です。
それは真理の言葉ではあるけれど、使い方としては壊れたことを自他に対する言い訳するときに用いることが多かったように思います。

この世は諸行無常であるのだから、形あるものが、いつまでも同じ形を保ち続けることは叶いません。
物も人も、認識される全てのものは、生滅と変化を繰り返し、止まることはありません。

諸行無常を悟られたお釈迦さまは、王子の立場を捨て出家されました。
後に祖国が隣国に攻め入れられようとするとき、二国をつなぐ道に立ち、隣国の王を説得し引き返してもらうということを、二度なさいました。
しかし、三度目には道を開け、軍を祖国に通し、そして祖国は滅びの道を辿ったのです。
(これが「仏の顔も三度まで」のもとにあるお話です。 ※四度目に道を開けたという説もあり)

永遠不変のものなどないのだと、形あるものは壊れるのだと、悟っていたお釈迦さまでさえ、滅びる祖国を思いつつ、その現実を受け入れることに苦しんだのだと思います。

けれど、その受け入れ難い現実を、受け入れながら生きていったのでしょう。
そうした葛藤が、苦しみがあるからこそ、諸行無常という悟りはこの上なく重いものと感じ入るのです。


昨日、神奈川区にある善龍寺さんで、組内の若手僧侶の会議がありました。

行く途中で渋滞に巻き込まれ、回避するために遠回りをしたので、現場はよく見ていないのですが、お寺のすぐ近くにある六角橋商店街で火災が発生し、17店舗が被災されたそうです。
商店街という密集した場所の火災ということで、20台近くの消防車に加え、ハイパーレスキュー隊も出動していました。

けが人はなかったようですが、それが幸いだと喜ぶには、あまりに大きな代償だと、嘆く声もあったのかもしれません。

3月11日の出来事を経て、いま諸行無常の理を多くの人が感じ入る時機にあるのだと思います。
しかしそれは、あくまで真理の話であり、喪失感を癒すものではありません。

戻らないと分かっていても、それでも元の形に戻して欲しいと、切に願う人がいます。
壊れたものを思いながら、涙に暮れる人がいます。

その「人」が、自分自身にならない限り、無常の中に生きていることを実感することは難しい。
受け入れることは、もっともっと難しい。

ならばせめて、他人事だと通り過ぎるのではなく、一つ一つに立ち止まり、思いを巡らせたい。
無常の前に、無情となってはいけない・・・、そう思う1日でした。