週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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またまた盆踊り

2011-08-08 00:34:34 | 近況報告

昨日は北山田で開催されていた山田富士公園盆踊り大会に行ってきました。

雨で龍くんを連れて行けなかった勝田町の盆踊りのリベンジ・・・だったのですが、3時過ぎに雷が鳴り出し、大雨が降り始めました。
今日も無理かなと一度は諦めたのですが、4時過ぎに雨も落ち着いきて、さっと行ってさっと帰ろうということで出発です。

        
行ってビックリ!! 勝田町内会の盆踊りとは、規模が違います。
人の数も、屋台の数も、桁違いでした。 (しかし、稲光の中の盆踊りです)

     
焼きそば・焼き鳥など、お祭りの王道の食べ物はもちろん、揚げピザやインド人が作る焼きたてナン付きカレーなど、近所の飲食店が出す本格的なお料理も食べられました。


さて話はわき道に反れますが、盆踊りというと、数年前に原稿を依頼され、築地本願寺新報に掲載された記事を思い出します。
盆踊りをテーマにと依頼されてから締切まで10日という、とてつもないムチャぶりに、思い返すだけでも胃が痛くなる原稿でした。

以下は抜粋です。


盆踊りは、昔はお面をつけて踊っていたという話を聞いたことがある。それは、顔を隠して踊っている人の中に、お盆に帰ってきた仏さまがいるからということらしい。

(中略)

お盆は、古来よりご先祖を迎えて供養する仏事としての面が広く浸透していることは周知のことであろう。亡くなった大切な人と、一目でいいから会いたいと思う気持ちが、人びとにお面をつけさせたのかもしれない。きっと中には、お面の群集にまぎれて、大切な人の面影を見た人もいるのだろう。
人間とは、自分の見たいものを見るものだ。だからそれは錯覚だと、言うだけなら簡単なこと。けれど、お面の群衆の中に、大切な人はいないと分かっていても探してしまう。
そういう人の心があるということに対して、ただ否定するのでもなく、ただ無視するのでもなく、そこにある迷いと真正面から向き合うこともまた、私たちには重要なことではないだろうか。

(中略)

お盆とは、ご先祖をはじめ、ありとあらゆる「つながり」に生かされている我が身を思う機縁とする仏事であると同時に、己自信を省みる機縁ともなる仏事である。その期間に営まれる盆踊りという行事に、遠く昔から様々な人を通して私のところまで受け継がれてきたという「つながり」を思い、そしてその「つながり」の根底にあるお念仏を悦ぶ心を思う。
今年は、そのお念仏の鏡に映し出された自身の姿を見つめながら、盆踊りに参加されてみてはいかがだろう。


とか何とか偉そうなことを書いておきながら、実際に行くと食べ物のことしか考えていない自分が恥ずかしい・・・。

記事の内容は、盆踊りの起源から浄土真宗との関わりについてといった、大雑把なものです。
もしご覧になりたいという奇特な方がいらっしゃいましたら、数部残っていますので、お声を掛けてくださいませ。

で、龍くんはというと・・・。

       ヨーヨーを装着中。
次は、神奈川組の善教寺の盆踊り大会で締めになる予定です(笑)