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アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」の声明

2006年07月25日 | Weblog
埼玉県知事 上田清司様
                 
■上田埼玉県知事の「従軍慰安婦はいない」発言と見解に抗議し、撤回と謝罪を求めます

 上田埼玉県知事は、6月27日の県議会本会議で、小島信昭議員(自民党)の埼玉県平 和資料館に関する質問に答えて、「古今東西、慰安婦はいても従軍慰安婦はいない。 民間の業者が連れていったりするのであって、軍そのものが連れていったりするわけ は絶対にない」「自虐的な感情を出させることなく、真の史実、日本の正確な立場を 学べるようにすることが大切だ」と述べました。そして県平和資料館の展示年表にあ る「1991年 従軍慰安婦問題など日本の戦争責任論議多発」という箇所を取り上げ、 「こうした間違った記述は修正しなければならない」と発言しました。さらに7月3日 には「軍に強制的に徴用された女性がいたという証拠はない」という「見解」を報道 機関に文書で発表しています。

 私たちは平和と非暴力、平等の社会の実現を願い、日本軍による戦争被害と加害事 実を集めた資料館を作り運営している立場から、県知事が歪曲された歴史観と誤った 事実認識のもとに暴論・暴言を吐き、県の平和資料館展示への介入を行うことに強く 抗議し、発言の撤回と謝罪を求めます。

 県議会での知事の発言は、1991年に日本政府が国会で行った「慰安婦は民間業者が 連れ歩いたものであり、軍と国家は関与していない」という答弁と同様の内容です。 この政府答弁は、韓国の「慰安婦」被害者の激しい怒りを呼び、被害者が沈黙を破る きっかけとなり、「慰安婦」問題を戦後補償問題、女性の人権の問題として浮上させ ていく発端になりました。その後、日本政府は、日本軍の証拠文書が発見されたこと で軍の関与を認めざるをえなくなり、2度にわたる調査を行いました。そして93年には 慰安所の設置・管理、「慰安婦」の移送、徴集などに軍や官憲が関与していたことを 認め、「歴史の真実を回避することなく、むしろ歴史の教訓として直視していきた い」という官房長官談話を発表しました。これは今でも日本政府の公式見解です。

 知事は本会議での発言に対して、日本政府の対応やその他の多くの調査・研究、 「慰安婦」裁判の判決文で認定された軍の加害事実などを各方面から指摘されて、 「慰安婦はいた。慰安所もあった。しかし、軍が徴用した従軍慰安婦がいたという証 拠はない」という「見解」を発表しました。ここでは「証拠もないのに『従軍』慰安 婦という言葉を使うのは慎むべきではないかということを、私は訴えたいのです」と 述べています。

 戦後に作られた「従軍慰安婦」という呼称は、被害女性から「自分たちは進んで従軍 したわけではない」として反発を呼びました。私たちは'いわゆる'の意味をこめて、 括弧をつけた「慰安婦」を使うことが多く、「慰安婦」制度の主体と実態を明確に表 すために厳密には「日本軍性奴隷制」とも言っています。しかし知事の「見解」は議 会発言と同様、「慰安婦」に対する日本軍の関与と加害性を否定しようとする意図で あることは明白です。

「慰安婦」にされた女性たちの徴集には、さまざまな強制的な方法が使われました。 軍は自ら選定した業者に女性を集めさせたり、憲兵や警察が深く関わったケースもあ りました。植民地だった朝鮮や台湾では女性をだましたり、就業詐欺や甘言によって 連れ出すケースが多く、誘拐や暴力的な連行もあります。こうして集められた女性た ちを日本軍が移送し、各地の慰安所に送り込んでいたことを示す資料はいくつも発見 されています。

 例えば内務省警保局の1938年11月4日付「支那渡航婦女に関する件伺」には、中国南部 を占領した第21軍の参謀と陸軍省の徴募課長が400名の「慰安婦」の徴集を要求したこ と、内務省では各都道府県知事に命じて警察に業者を選ばせ女性たちを集めさせる、 と書かれています。台湾総督府では300人の女性の渡航手配を済ませたこともわかります。

 一方、中国やフィリピン、東ティモールなどの占領地では軍が直接、討伐の際に女性 を拉致・監禁したり、地元の有力者に命じて「供出」させるケースが多くみられま す。中国の山西省性暴力被害者損害賠償請求裁判では、東京地裁・東京高裁の判決文 の中で、日本軍によるこうした加害行為を「著しく常軌を逸した卑劣な蛮行」と断罪 し、立法的・行政的な解決が望まれる旨の付言がなされました。

 埼玉県平和資料館は、子どもたちに戦時下の生活を追体験できるような工夫がこら されている資料館です。入り口近くに掲載されている年表の1991年に「従軍慰安婦問 題など日本の戦争責任論議多発」という記述がありますが、これのどこに誤りがある のでしょうか。実際、この年には「慰安婦」被害者・金学順さんが韓国で初めて名乗 り出て、被害者が次々と立ち上がりました。金さんたちが日本政府を相手取った裁判 を起こしたこともあって「慰安婦」関連の報道が急増し、日本の戦争責任に関する議 論が活発に行われるようになりました。このように調べればすぐにわかるような事実 さえ隠蔽し、展示から削除しようとする姿勢は、平和構築のために作られた平和資料 館への不当な介入に他なりません。

 日本では1980年代に各地で開かれた戦争展や歴史博物館の積み上げの上に、90年代に は本格的な平和資料館が続々と誕生しました。そのひとつである埼玉県平和資料館へ の県知事によるこうした暴言と介入は、アジアの被害女性たちに対するさらなる侮辱 であり加害行為であるだけでなく、これから戦争と平和を学ぼうとする若い世代に対 して歴史を歪曲し隠蔽することになり、未来に向けての犯罪的な行為でもあるといえ ます。私たちはこのような発言を決して許すことができません。

 知事は「慰安婦」の被害と加害の事実に真摯に向き合い、これまでの不見識な発言を 撤回し、謝罪を行い、二度とこのような発言と不当介入をしないと誓うよう強く求め ます。
 

2006年7月24日
          アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」



1 コメント

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だから、あった証拠を出しなさい (ww)
2006-10-27 00:48:07
政府は以前、「」

平成09年03月12日-参議院予算委員会8号 「平林答弁」

平成09年03月18日-参議院予算委員会11号 「平林答弁」



http://kokkai.ndl.go.jp/

から平成9年3月12日~平成9年3月18日、平林議員の名前で検索すると出てきます。



言っておきますが、「強制連行が無かった証拠を示せ」という言い方は通用しませんよ。これは「悪魔の証明」と言われているもので、法廷などでは通用しません。

あったと言う以上、証明責任はそれを主張する側にあります。



例えば、ある人が「お前がいきなり俺を殴った! 損害賠償を請求してやる!」と言ってきた場合、その証明責任はあなたにありますか? それとも訴えてきた人にありますか?
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