遠野郷 佐比内しし踊り保存会 オフィシャルブログ

岩手県遠野市上郷町佐比内に伝わる、しし踊り団体です。しし踊りネタは、カテゴリーを絞ってご覧ください。

佐比内しし踊りの由来

2017-12-10 22:40:01 | 佐比内しし踊り


佐比内しし踊りは何時の時代から始められたかは其の由来を記録せし文章は全くなく知る由も御座居ませんが先祖の古老の言い伝えに依れば閉伊郡駒木村(現在の松崎町一大字)が、遠野郷しし踊りの発祥の地にして其の駒木より當佐比内に伝わりしものなりと云う、所謂本家は駒木なれども當佐比内に於いて本家の建物(しし頭の建物本家と九曜の星は其の元祖とも云うべき所謂本家駒木のものなり)を有して居るのは駒木の本家をかぶって居た人が當佐比内の連中に賣れる故に駒木に於いては此の2つの建物は無い、九曜の星の建物は南部家より下されたものなれども此れも共に佐比内に於いて買いしなりと云う、故に本家は佐比内であると云う説なれどたとい本家の重要な建物が移動したから本家なんだと云う事にならないものなれば、あくまで本家は駒木で、しし踊りを伝授されたと云う言い伝いがあります。
尚、故佐々木久七氏(甲子部落、屋号:長谷場)の口述により菊池章道氏が、集録したものにも依りますれば故佐々木久七氏が、佐々木清之助(大正3年没、83歳)からの口伝によれば、その昔南部公時代に城屋敷に上がり踊るとある事又太田有功氏の石田マサエ氏(川原部落、川上)口伝による記述には、マサエ氏の曽祖父三郎兵工藤父吉(明治37年没、80歳)万延元年(1860年)佐比内高炉建設の際、山神祭に佐比内からしし踊りが来て云々と云われている事からこれ以前に既に佐比内に伝承されていたと推測される。
1887年 明治20年、小森清左エ門、佐々木清之助の両名、駒木踊りから改めて伝授を受ける
1905年 明治38年、世話人 金浜源蔵、鈴木喜平、庭元 鈴木馬之助宅、太夫 金浜花蔵・山崎孫六・鈴木馬之助、踊りの中心 小森熊蔵・佐々木千太郎
此の時本家駒木踊りから、あまりの上達のため後殿(あとしがり)に「本家違鎌」の建物をもらい以後現在も後殿のしし頭は「本家違鎌」の建物が使用されている。本家から戴いた違鎌しし頭は宝として佐々木吉エ門氏が所蔵している。(現在は、佐々木勉氏(甲子部落、屋号:長谷場)が所蔵)
1913年 大正2年、世話人 鈴木西松・鈴木馬之助・小森熊蔵、庭元 鈴木馬之助宅、太夫 石田徳三郎・佐々木長蔵・小林愛蔵、踊りの中心 鈴木栄蔵・佐々木千太郎・石田祐治
○此の時、再度駒木踊りから踊り方の手習いを受ける

1921年 大正10年、世話人 鈴木西松・鈴木馬之助・小森熊蔵、庭元 鈴木馬之助宅、太夫 石田徳三郎・佐々木長蔵・小林愛蔵・金浜常蔵、踊りの中心 山﨑孫兵工・太田鉄之助・近江嘉八

1930年 昭和5年、世話人 石田徳三郎・太田鉄之助、庭元 小森千代治宅、太夫 金浜常蔵・佐々木長蔵・佐々木与一、踊りの中心 佐々木善右エ門・石田勇人、鈴木徳右エ門・石田祐助・佐々木吉右エ門
○これまでが故佐々木久七氏の口述により、菊池章道氏が集録したものである。

1931~1933年 昭和6年~8年、世話人 鈴木喜蔵・山崎政蔵、庭元 小森千代治宅、太夫 金浜常蔵・小森千代治・佐々木長蔵、踊りの中心 佐々木善右エ門・鈴木徳右エ門・石田祐助・佐々木吉右エ門
○昭和8年遠野小学校(現遠野市民センター)に於いて上閉伊郡内郷土芸能大会が開催され此の大会に参加する。
1948年 昭和23年、世話人 金浜幸夫・佐々木富雄、庭元 小森千代治宅、太夫 金浜常蔵・小森千代治・金浜久次郎、踊りの中心 山﨑陸太郎・佐々木敬光・佐々木千之助、佐々木福一郎・佐々木吉右エ門

1955年 昭和30年、世話人 金浜幸夫・佐々木富雄・細川専松・佐々木千之助、庭元 小森千代治宅、太夫 金浜常蔵・小森千代治・金浜久次郎、踊りの中心 佐々木敬光・佐々木蔵吉、佐々木章次郎・小森義雄・佐々木功・佐々木萬・佐々木吉右エ門

1965年 昭和40年、世話人 金浜幸夫・佐々木富雄、庭元 小森千代治宅、太夫 金浜常蔵・小森千代治・太田斉・金浜久次郎・金浜要蔵、踊りの中心 山﨑陸太郎、菊池兵吉、佐々木吉右エ門・小森彬資

1984年 昭和59年4月、区長 石田常人、自治会長 金浜一見、区長代理 太田斉、鈴木明三、鈴木國弘、以上5名で佐比内しし踊り保存会結成準備会を発足させる。世話人 山﨑政志・佐々木敬光・太田斉・佐々木萬、庭元 佐比内公民館、太夫 鈴木國弘・佐々木清公・太田斉・近江多吉・金浜要蔵・小森長悦、踊りの中心 小森清助・佐々木祐二・山崎政則、佐々木勉・佐々木清夫・堀切弘憲、小森清
○佐比内溜池(佐比内ダム)の落成式に、岩手県知事が来ると云う事で踊るために急遽発足した。

以降、昭和59年より現在まで、続いております。

備考:佐比内しし踊りの中に「めじしぐるい」13種、「柱がかり」12種もあり数の多いのが特徴とされている。

◎佐比内しし踊りしし頭建物として次の12基が定められている。
(1)九曜の星 (2)六角牛山 (3)大神宮 (4)八幡宮 (5)三笠山 (6)鹿に紅葉(7)山神社 (8)愛宕山 (9)天満宮 (10)月山 (11)違鎌 (12)違鎌


故佐々木栄氏が書いたもので、コピーを起こしました。

作成:2017年12月10日 佐々木英幸

長文を読んで頂きありがとうございます。
過去に残す為に頑張りました。
資料作りのついでにUPします。

調べてみると意外にも面白い部分があり、今活動しているメンバーのご先祖様が、同じ様に同じ太鼓叩いていたりしたりして、因縁などを感じたりやるべきして伝承活動をやっている定めを持って生まれているのか?

関係も、会うべきして会っているのか!とか縁についても考えさせられます
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2 コメント

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Unknown (とらねこ)
2017-12-11 06:23:38
なるほど・・・思うばかりです。
踊りばかりではなく、こうしたことの記録やこの分野の伝承も大切だと思います。
駒木との関係、てっきり板沢からの流れかと思ってましたが、佐比内さん、たいへん親しみを覚えますので、今後はどんどん撮りたいと思います。
とらねこさんへ! (管理人!)
2017-12-11 06:51:40
訳あって、何年か振りに昔の資料を引っ張り出して由来をまとめました。
歴史的には、佐比内高炉と言う場所が私どもの聖地になります。なぜかと言うと万延元年(1860年)に完成した際、山神祭りに踊ったと言う記録があり、尚その佐比内高炉跡が昭和59年に佐比内ダム湖が完成して、その際県知事が見に来ると言うことで、再度復活して現在まで絶えることなく続けております。

駒木さんとの関係も、調べると親密な関係となっております。

調べてみると意外にも面白い部分があり、今活動しているメンバーのご先祖様が、同じ様に同じ太鼓叩いていたりしたりして、因縁などを感じたりやるべきして伝承活動をやっている定めを持って生まれているのか?
私ととらねこさんとの関係も、会うべきして会っているのか!とか縁についても考えさせられます。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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