場所と人にまつわる物語

時間と空間のはざまに浮き沈みする場所の記憶をたどる旅

鼬(いたち)の道 

2021-10-22 21:02:57 | 場所の記憶
 八年前に蓄電し、その後行方しれずの弟、半次がふい新蔵を訪ねて来た。その姿は見るからにうらぶれたなりをしていた。その日から弟は兄の家に居候することになる。仕事を探すでもなく、ごろごろ酒浸りの日々を過ごしていた。
 新蔵が弟にこれまでのことを尋ねると、妻帯することもなく、仕事も何をやっていたのか判然としなかった。弟を何とかしてやりたい気持ちと、今の自分の生活を守りたいという気持ちが交差するなか、ある日、弟が数人の男たち に追われているのを目撃する。数日後、新蔵の店を訪ねてきた弟が、江戸を去って、また上方に帰ると告げる。
「これでもう二度と会うことはないのだな、と思った。兄弟といってもこの程度のものなのかと思ったとき、新蔵は急に気持ちが際限なく沈んで行くのを感じた。おれにはおれの守らなければならない手一杯の暮らしがある」  
  「本所しぐれ町物語」より

小説の舞台:深川  地図:国会図書館デジタルコレクション「江戸切絵図」 タイトル写真:深川神明宮

・両国橋をわたって河岸通りに出ると、新蔵はいつも自分の町にもどったという気がして、気持までゆるんで来るのを感じる。新蔵は、自分の住む本所や、境を接する深川の町々ほどいい土地はないと思っていた。小名木川の南ほどではないが、竪川とか六間堀、五間堀といった川から、時どきふっと水が匂ってくる。そういう土地柄が好きだった。
・何か気持にひっかかるものがあるような気がしたのは、石置場の前を通りすぎて御船蔵にさしかかったときだった。