時雨スタジオより

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なんとなく再開してみました。

群狼の街・別府

2020-05-19 21:36:08 | 『別府と占領軍』より
これは、昭和24年4月16日に起きた米兵による集団暴行事件の犯罪発生現場予想図です(人名は仮名)。


 占領軍は別府に大枚を落とし色街の繁栄を助けたが、同時に幾多の犯罪を残していった。これは『別府と占領軍』に記された忌まわしい記録の一部だ。

 それは全く、無法に等しい夜の街であった。
 矢田渡(仮名)は、駅の売店で雑誌とポケットウイスキーを買って、夜道を家路に急いでいた。寝床に入り、ウイスキーをなめながら雑誌を読むのが唯一の楽しみだった。服のポケットに入ったウイスキーの瓶の重さが渡の心を浮き浮きさせた。自然に口笛が唇から流れていた。
 向こうから五、六人の米兵が声高にしゃべりながらやってくるのが見えた。第二十四歩兵団十九連隊の兵士は実戦部隊であり、各地からの寄り集りで気が荒い。街の中でもあちこちで暴行事件が後を絶たなかった。渡は引っ返そうと思った。道の暗さも不吉な予感を起こさせた。どうしようかと躊躇していた間に米兵達の足は予想以上の速さで接近していた。もう逃げることも、後を見せることも出来なかった。彼は努めて平静をよそおい米兵達をやりすごそうと歩調をゆるめず歩いていった。一人の米兵が何か言った。それにつれてドッと哄笑が起きた。言葉が笑いを誘発したようだった。
 群が割れた。街角の電灯が向こうに見えた。渡は米兵の間を通り抜けた。左手がポケットの中のウイスキーの瓶をしっかりと握っていた。
 夜空の中に外人特有の精肉工場に似たムッとするような体臭が入り混り、それが鼻腔の中で膨らんだ。
 突然一人の米兵が奇声を上げた。「イエロードッグ」という言葉が耳に入った。黄色い犬という意味で、アメリカ人が日本人を侮辱するときに使う言葉だった。
 振り向いた渡の眼に一撃がとんで来た。ガーンと眼の奥で火花が散り、仰向けに倒れた渡の足に二、三人の革靴が、ガシッ、ガシッと音を立て、倒れた拍子に割れたウイスキーのにおいがツーンと鼻腔を刺すのが薄れる意識の底にあった。
 渡は国立病院で全治二週間の診断を受けた。右目の上と左足に五糎ほどの擦過傷を受けたものだった。
 その夜、昭和二十四年四月十六日午後八時三十分より九時三十分までの間に、野口原を中心に計九名の日本人男性が米兵の集団から暴行を受け、犠牲者の中の一人の少年が死亡した。
 別表は群狼のたどった道順の予想図である。出くわした小羊こそ、いい面の皮である。彼等にとって対手が日本人の男性なら誰でもよかった。MP達の懸命の捜索にも関わらず犯人達は遂に分からなかった。

[第24歩兵師団について]
 本文中、第二十四歩兵団とあるのは、U.S.Army 24th Infantry Division(第24歩兵師団)のことであろう。ウィキペディアによると「第二次世界大戦中、ハワイ師団から編制され、ニューギニアで戦い、その後フィリピンのレイテとルソン島に上陸し日本軍と戦い、第二次世界大戦後は日本の占領に参加した。1950年から始まった朝鮮戦争では最前線に配備された。朝鮮戦争の最初の18か月間を戦い、北朝鮮と中国からの攻撃により1万人以上の死傷者が出た」とある。
 第19歩兵連隊(本文は十九連隊と表記)についての記載もある。それによると、1950年7月13日と16日は、第34歩兵連隊とともに韓国の釜山周辺で北朝鮮軍と交戦し、3,401人が負傷し、650人が死亡。また、8月1日には第19歩兵連隊のみで北朝鮮軍と交戦し90人が戦死したという。
 朝鮮戦争の勃発は1950(昭和25)年6月25日であるから、別府での米兵による集団暴行事件はそのちょうど1年あまり前のことになる。第24歩兵師団は朝鮮戦争に最初に投入された日本駐屯隊である。
 ちなみに、父の兄(僕の伯父)はルソン島で第24歩兵師団と対峙し戦病死している。
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