時雨スタジオより

9年の休止期間を経て、
なんとなく再開してみました。

悲しき口笛

2020-05-25 02:00:53 | 『別府と占領軍』より
映画『悲しき口笛』のスクリーンショットです。


 ──父は、旧制中学を卒業して地方銀行の大分銀行に就職したが、胸を患い療養生活を余儀なくされた。太宰治の本を片時も離さないような文学少年にとって、胸を患うのは十分にありえる道筋だったとはいえ、終戦直後のリアル世界で生き抜くのは極めて困難な時世であった。父が『別府ガイド』に投稿した記事の一部を紹介する。ガイド本の原稿にしては、かなり異質なタッチかもしれない。原題名は「私の戦後」であるが、ガイド本ではない本ブログでは、「悲しき口笛」にしたいと思う。

 胸を病んで娑婆に出て来た私にとって、終戦後の社会は、文字通りの就職難の時代だった。やっと伝手を求めて、当時別府駅にあったR・T・O(進駐軍輸送事務所)の小荷物係に職を得た。何のことはない。あちらさん専用の赤帽である。衣類を一杯つめ込んだスーツケースや米兵のダブルバックを肩に担いで跨線橋を上がっていくと、病み上がりの痩せた肩に荷が喰い込み、足がふらついた。息をはずませ、やっと向うホームまで運んで、何がしのチップや煙草をもらった。「ヘイ、スキニーボーイ(痩せっぽち)!」等と呼びながら、歯を喰いしばって荷を運ぶ私の後を、ガムをぐちゃぐちゃと噛み、笑いながら歩いてくる米兵もあった。中には煙草をわざと地面に投げ、拾えとジェスチャをした。うずくまって、それを拾いながら、私の胸の中は屈辱と怒りで煮えくり返る思いだった。

 ──終戦直後、多くの日本人は父のような屈辱の体験をしたのだろう。米兵相手に商売をしなければ生きていけない日本人が続出した時代、米兵に媚びへつらうように見せながら、多くの人々は屈辱に震え、歯を喰いしばりながら、「いつかはきっと」と思いながら仕事を続けたのだ。

 或日、ホームの向こうから暴発したピストルの弾が、此方のホームで立っている私のすぐ傍の柱に当った。始めは何が起こったのか分からなかったが、二人の黒人兵がピストルを奪い合っているのを見て、私は事の重大さを知り、すぐMPに連絡したが、既にその兵隊は姿をくらませてしまっていた。あと数十センチ、いや十数センチの生命だった。

 ──かくして父は生き延びたわけだが、万一弾が命中していたとしても、じゃれ合っていた米兵は見つからなかったことだろう。

 一八七空挺部隊の演習でパラシュートが開かず墜死した米兵の遺体を小倉のA・G・R・S(死体処理場)に運ぶため、貨車に詰め込む作業もした。
 夏の日、重い棺桶を四人がかりで運んでいると、臭気が鼻を覆い、二、三日は飯が喉を通らなかった。
 楽しみもあった。専用列車が別府止めになったとき、空になった車内に散らばっているラジオやカンヅメを拾い引込線に停まっている貨車の車輪の内側に隠しおいて、駅職員や鉄道公安官に見つからぬように、後でこっそり拾いに行って金に代えた。中々スリルのある仕事だった。
 あの当時、夕暮れの駅前から流れていた、ひばりの「悲しき口笛」の曲が、今も私の耳の奥に、しめつける悲しさをもって響いてくる。

 ♪ふしも悲しい 口笛が 恋の街角 露路の細道 ながれ行く

 ──米兵は去り、月日は流れ、父は思う。

 あの当時のギラギラした異様な雰囲気は、街の何処を探しても見当たらない。
 基地というものは、戦争という非日常性が日常の中に食い込んでくるわけだから、そこに集まる人間の欲望も意識もまともなかたちをとるわけがない。私を含めたこうした人間を、ストレートに安保体制下の犠牲者とする教条主義的なきめつけ方をしてはどうかと思う。「生きのびるための戦後」として地にのたうち廻りながら、がむしゃらに生きたこれらの人々は皆たくましい生活力溢れたカンカン虫であった。

 ──カンカン虫とは、虫のようにへばりついてハンマーでかんかんとさびを叩き落とすところから、船舶・ボイラー・煙突などのさび落としをする下級労働者のことだという。有島武郎の小説に『かんかん虫』があり、港湾労働者と支配階級の対立を描いている。父は、白人に媚びを売る黒人の蔑称を持ち出す。

 私は現在、別府のホテルの支配人として生活しているが、今、別府を世界の観光地として売る為には、表面的なメークアップ丈ではなく、別府を誇りとする人々の心からのもてなしが大切である。決して、かつて基地別府が背負わされていた白人におべっかをつかう黒人、つまり、アンクル・トム・ケビンであってはならない。

 ──そして、父は『別府と占領軍』著作の意図を綴る。

 風化していく別府の戦後史。被占領体験は苦しいものでしかなかったが、その事実を直視することによって、私は自分の拠って立つべき場所を求め続けていく。それは、戦後がどこに自分の歴史的な位置を発見するかという問いかけである。
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