時雨スタジオより

9年の休止期間を経て、
なんとなく再開してみました。

心と体に魔物が住む病気。(後編)

2020-05-16 22:09:13 | アデクション
寮生活
 25歳になっていた。やり直そうと思っていた。仕事は組み立て作業だった。
「2交代制でみっちり働かされました。ただ、残業代はしっかり出ました。寮費とかいろいろ引かれてるんですが、手元には結構残りました。何と言っても、酒を飲みませんでしたから」
 仕事の仲間は、酒を飲んでいる男性を知らなかった。
「今までと違う自分を演じることができました。ねくらだった僕のイメージとは真逆な振る舞いをしました」
 しかし数か月後、酒を飲み始めていた。禁酒の禁を解くきっかけはどこにでもある。結局は、いつもの自分に戻ったのだ。それは破滅への道。男性にはぼんやりと分かってはいた。目の前の酒に手が伸びた。

元の木阿弥
「すぐに日本酒だと物足りなくなりました。さつま白波という芋焼酎を飲みました。その時は真剣に、大五郎を飲むほどにはアル中じゃないと思っていました」
 白波の五合瓶は1時間ほどで空いた。飲み過ぎて気絶するように倒れることもしばしばだった。「恥ずかしい話ですが、寝小便をするようになりました。押し入れをトイレと間違えて小便することもありました。これじゃ寮には居られないと真面目に悩みました。でも酒は飲まずにいられません」
 まさに窮地。進退これきわまるである。
「そんな時、焼酎ではなく日本酒だと寝小便をしないことが分かったんです。一つの発見でした。しかし、日本酒だと物足りない。本当に困ってしまいました。
 食が細った。季節は夏。極度の夏ばてに陥った。病院に行った。
「お医者さんが、肝臓が悪いと言ってくれればいいのになあと思っていました。なぜそんな気持ちになったんでしょう」
 医者は「肝臓が悪いね」と言った。
「なんだかほっとしたことを覚えています。ところが次の一言で元の木阿弥です」
「安心しなさい、お酒やめれば大丈夫だから」と続けたのだ。
「がっかりしました。酒がやめられないから困っているのに……」

奈落の底へ
 酒を飲むから食欲が戻らない。でも食べなければ体がもたない。
「ひどい二日酔いで起きる毎日でした。仕事に行く前に自販機で酒を買って飲んでみました。そうしたら体が楽になり、食欲が出てきたような気がしました。仕事の日は、さすがに夜しか飲んでなかったんですが、ついに朝酒を始めてしまいました」
 朝酒だけにはとどまらなかった。
「職場に紙パックの酒を持っていくようになりました。瓶とか缶だと捨てるときに見つかってしまうじゃないですか。昼食の前に1パック飲むことが習慣になりました」
 1パックが2パック、そして3パックと増えた。
「小さいやつじゃ面倒だからと五合の紙パックを持ち込みました。でも、こりゃばれるだろうなと思い、具合が悪いからと早退させてもらいました」
 次の日は仕事に行けなかった。
「朝方まで飲んでいたからです。熱が下がらないので休ませてくださいと電話をしました。吐きながら飲みました。2〜3時間飲むと倒れるように寝て、目が覚めるとまた飲みました。ついに仕事を無断で休むようになりました」
 当然のように寮を追い出された。実家に帰るわけにはいかず安宿をとった。誰に気兼ねをすることなく飲めるようになった。
「飲まない時分にためていた金を持っていました。だから飲み続けることができました」
 飲んでは寝て、寝ては起きて、起きては飲んでといういう生活だった。
「3週間くらいそんな生活を続けたでしょうか。すると、突然酒が飲めなくなったんです。前のように血を吐くわけではないんですが、なぜか一滴も入っていかないんです。酒を入れたらすぐに吐き出して……」
 足は実家に向かっていた。やっとのことで実家にたどりついた。母親が出てきた。
「なんとかしてください、助けてくださいとすがりました。とても不安で怖かったんです」
 母親は何も言わずに、ぼろぼろになった自分の息子を病院に連れていった。

診断
「肝臓は治らないと言われました。心臓は房室ブロックと診断されました。少しでも悪くなるとペースメーカーになるとも言われ、ほんとうにやばいと思いました。まだ26歳です。やっぱり死にたくはありませんでしたから」
 胃も膵臓も多くの臓器が問題ありとされた。血液検査の結果も、でたらめ過ぎるほど悪かった。そして医者は、アルコール依存症だと告げた。
「なぜか、その診断を聞いたとき、酒を本当にやめようという気になりました。それからAAという自助グループを紹介され、通い続けました」
 AAとは、アルコホーリクス・アノニマス®という匿名で参加する自助グループだ。その説明はまたの機会に譲るとして、結果として、男性は飲まない日を一日また一日と重ねられている。

イネイブラー
 母親は夫がアルコール依存症と診断されたことを契機に、アルコール依存症という病気について学ぶ機会を得たという。
「母は、自分がイネイブラーだということを知ったんです」
 イネイブラーとは、依存症の者(本人)の行動を無意識のうちに助けている人のことだ。本人が起こしたトラブルを肩代わりする、本人に代わって欠勤の連絡などをする、本人の脅しに屈する、金銭的援助をする、騙され続けても世話をするなど、イネイブラーがいるから本人は依存症であり続けることができるのだ。
「だからは母は、ある日を境にお金を貸してくれなくなり、脅しても動じなくなり、あなた一人で生きていきなさいと突き放したんです。おかげで、僕は奈落の底を経験することになりました。深い暗闇の底の中で、不安になり怖くなり、母親に心の底から助けを求めました」
 男性は、自分の心と体に住む悪魔の存在を知り、生還した。

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