南佐渡の狭い県道を東に向かい、岩首を過ぎると、海鵜の白い糞で覆われ、まるで白いペンキでも塗ったかのように見える島が点在する、東鵜島という集落に到達した。そしてそこを過ぎたあたりでようやく道幅が広くなった。ここが豊岡という集落らしい。海には小さな祠をてっぺんに乗せた弁天岩のようなものがあり、山側には棚田が広がり、豊岡は典型的な半農半漁の集落のように思えた。
この地区では山側に向かって、家々が階段状に並んでいる。まるでお雛様の段飾りのようだ。何故平面に広げずに、上へ上へと向かっていったのだろうか?家が高台にあれば眺望がよく、毎日の海のなぎの状態もつぶさに観察できるので、そのような集落形態になったのだろうか?強烈な季節風が吹き荒れる外海府では見たことが無い景色だったので実に印象深かった。ちなみに「豊岡」の地名の由来は「豊かな岡」だそうだ。
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この地区では山側に向かって、家々が階段状に並んでいる。まるでお雛様の段飾りのようだ。何故平面に広げずに、上へ上へと向かっていったのだろうか?家が高台にあれば眺望がよく、毎日の海のなぎの状態もつぶさに観察できるので、そのような集落形態になったのだろうか?強烈な季節風が吹き荒れる外海府では見たことが無い景色だったので実に印象深かった。ちなみに「豊岡」の地名の由来は「豊かな岡」だそうだ。