佐渡むじなが都会で得た情報~むじなのひとりごとblog ver,

佐渡出身の長男坊「佐渡むじな」が、都会で過ごす日々の記録。佐渡と東京で得た情報を公開しております。

2008/5/9~佐渡汽船「こさど丸」が鹿児島~屋久島直航フェリーに転身

2008年05月09日 | Weblog
■今日の発見(一般ニュースより)

 佐渡汽船で25年にわたり長年就航していた、こさど丸(3965トン)が鹿児島でバスや船舶事業を手がけているいわさきコーポレーションに転身され、屋久島丸という船名で鹿児島~屋久島間の直航フェリーとして就航されると今朝の日経流通新聞に掲載されていました。

 こさど丸といえば、俺がかつて佐渡汽船の船員だった頃、J級(佐渡汽船では、今から12年ほど前までは高卒で就職するとJ級と呼ばれる下積み職位がありました。)として働いていたときに、ここに乗船していた船員用の調理師と喧嘩して調理室の壁をぶち壊してしまい、しかも手を怪我して船長から下船命令を出されて、色々と怒られていた記憶が克明に刻まれています。

 高校から卒業して間もない18歳の頃の話で、今となってはアホらしい話で単純な若気の至りだったなぁと自分でも思います。確かにその頃の俺も生意気にケツが青く、妙にプライドが高く非常識的な考えも持っていました…。
 その後は佐渡汽船を辞め、やりたい仕事を見つけに東京に飛び出して、その考えも通用しないという社会の厳しい洗礼も受け、今の自分があるわけでありますが…。あれはアレで良い経験になったもんだと今でも思っています。
  
 また、こさど丸は佐渡汽船で初めて横揺れ防止装置(スタビライザー)が搭載された船で、俺が小学一年生の頃に「8000トン型大型カーフェリーこさど丸就航!」と言うキャッチコピーで大々的に宣伝していたのを良く覚えております。
 こさど丸就航記念として、昔から就航していた歴代船の一覧が見られる下敷きが配られていました。この下敷きが結構面白く、俺が船に関心を持ち始めたのもこの下敷きのお陰だと言っても過言ではないかと思います。

 この頃はバブル時期であった為、古川長四郎という社長がバンバン佐渡汽船の広告宣伝費を掛けていたり、レジャー施設・ホテル事業・観光事業の発展と、他業種にわたって巨額に事業投資をしていた時代でもありました。
 その後はバブル崩壊に伴い、巨額投資をしていたツケがまわり今の佐渡汽船は大赤字になってしまい、真面目に働いている職員や船員さんたちにも給与カットなど、全く理不尽な状況に陥ってしまっている会社になっている様子です。

 しかし、こさど丸が就航してからはや25年ですか…。
 屋久島丸と改名され、航海場所も日本海(越佐海峡)から太平洋・東シナ海(大隈海峡)へと新天地に変わりますが、こさど丸の無事なる活躍を祈っております。

 あ。
 今度の旅行計画でこさど丸に会いに屋久島へ遊びに行くのもいいかも!?

■今日のひとりごと

 今日は朝から東京・大手町で仕事です。
 なので朝の通勤はいつもと違う経路です。
 都内へ向かう電車ってのは、いつも混んでてホント大変です。

 いつもは埼玉県内の各地で仕事をしているため、久しぶりに東京に来ると…妙に何かが目覚めます。特に地下鉄から出てくるサラリーマンたちの表情や歩く速度、ビジネス街で感じられる独特の雰囲気が、何とも堪りません。

 o(・_・= ・_・)o キョロキョロ

 毎日毎日、東京へ出勤するってのは日々ストレスや何かしらの疲れと言うものが蓄積されますが、田舎からたまに来るというスタンスが丁度いいかも知れない?

 ( ゜д゜)ハッ!
 いやいや、そんなんじゃビジネスでは通用しないよな…。
 やっぱ仕事に励むなら東京だよなぁ…。

 と、実感していた今朝でありました。
 さて、今日も一日頑張るとするか。
コメント
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