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重量挙げの五輪チャンピオンの墓を父子鑑定のため発掘

2018年07月04日 | 国内
7月6日 トルコのウエイトリフティングのオリンピック・チャンピオン、ナイム・シュレイマンオールの墓が、彼の娘だと主張する日本女性モリ・セカイさんの訴えで、イスタンブルで発掘されました。

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シュレイマンオールの娘と主張する日本女性モリ・セカイさん(右)と彼女の代理人


ブルガリア生まれのシュレイマンオールは“小さなヘラクレス”と呼ばれていましたが、肝臓移植手術を受けた1か月後、2017年11月、50歳でなくなりました。彼は長らく肝硬変を患っていました。

トルコ人妻との間に生まれたシュレイマンオールの娘たちは、遺体を掘り出すことには反対でしたが、裁判所は遺体を発掘して父子鑑定をする判決を下しました。「父親がなくなっていたら、父子確認の場合、遺体の発掘は慣例です」と、モリさんの代理人ヒュリア・アクサカルさんはエディルネカプの墓地で記者に語り、病院にあるシュレイマンオールのサンプルは父子鑑定には不十分だったと付け加えました。

結婚しなかったが、子供は4人
シュレイマンオールが自分の意志で、「モリ・セカイも自分の遺産を受け取る権利がある」と書き残していることは、トルコのメディアでもすでに報じられています。

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報道によると、シュレイマンオールは、日本のジャーナリストのモリ・キョウコさんと、1988年のソウル・オリンピック中に会ったそうです。シュレイマンオールより10歳上のモリさんは、彼とトルコに住み、1991年、アンカラで女の子を産みました。カップルはその後、別れ、2年後、モリさんは娘を連れてトルコを訪れましたが、シュレイマンオールに会えませんでした。

月日が流れ、トルコのスポーツ・レジェンド、シュレイマンオールがなくなった後、彼の兄弟のムハッレム・シュレイマンオールさんの努力によって、日本でモリ・セカイさんが見つかりました。ハベルテュルクのコラムニスト、ムハッレム・サルカヤさんによると、「シュレイマンオールは結婚はしなかったが、3人の女性との間に、4人の子供がいるということです。

ブルガリアを逃れて
シュレイマンオールは身長147センチと小さかったが、1988年ソウル、1992年バルセロナ、1996年アトランタで、連続してオリンピックで優勝した歴史的記録を残しています。彼は3回のオリンピックで金メダルを取った唯一のウエイトリフターです。

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ブルガリアで少数民族トルコ人として生まれたナイム・スレイマノフ(シュレイマンオール)のスターダムへの道は平坦ではなかったようです。彼は最初はブルガリア人として競技していましたが、メルボルンのウエイトリフティング・ワールドカップ開催中の1986年12月、当時、共産主義国家だったブルガリアから脱走しました。

当時、衝撃的なニュースとなりましたが、シュレイマンオールは、トルコ首相のジェット機でロンドンへ逃げ、その後トルコへ逃れて英雄として迎えられました。

3つの金メダル
ブルガリアは彼の逃亡に怒り、シュレイマンは1年間、出場停止になりました。しかし、その後、彼は1988年のオリンピックで勝利を上げ、小さなヘラクレスはその腕力で観客の喝采を浴びました。彼は自分の体重の3倍の重量を持ち上げることができる数少ないウエイトリフターでした。

アトランタで3つ目の金メダルを獲得した彼は、2000年、シドニー五輪に挑戦しましたが、失敗、145キロに3回挑戦しましたが、手ぶらでオーストラリアを去りました。


イスタンブル空港で乗客の荷物から30キロのコカイン押収

7月3日、イスタンブル空港で、当局はブラジル人乗客の荷物から1000万リラ相当の、コカイン30.5キロを押収しました。

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イスタンブル警察のドラッグ隊は、チームが行っているリスク・アセスメントによって、ブラジル人乗客の荷物を怪しいと見ました。乗客ウイルコ・ダ・コンセイチャオAは、ブラジルからイスタンブル経由でバグダードへ行こうとしていました。警察は2匹の探知犬の助けを借りて、容疑者の荷物を調べました。

乗客はオモチャの下に、真空バッグに入れたコカインを隠していました。乗客は拘束され、目下、取り調べ中です。


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