そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

ミラクルバナナ

2006年11月11日 | 人間/社会派ドラマ

2005年 日本 105分
2006.11.11 TOHOシネマズ緑井
■監督 錦織良成
■出演
  小山田サユリ(三島幸子)
  山本耕史(中田亨輔)   
  アドゴニー・ロロ(フィリップ)
  スタンリー・ダルシッド(ジャック)
  津田寛治(松井康弘)
  近藤公園(鈴木信夫)
  小日向文世(森山紘一)
  宮崎美子(大澤江利子)
  緒形拳(山崎喬史)

《story》

「たくさん実れ バナナの紙」

大使館の派遣員として面接を受けた幸子。タヒチとハイチを間違え、行ってみたら、大変な国だった。国民は貧困にあえぎ、学校に行けない子どもがたくさんいた。豊かな日本で育った幸子は大きなショックを受けた。ある日、日本から送られてきたビデオを見ていて、バナナの葉や茎などを原料として紙を作る紹介に目がとまった。これだと直感した幸子は、さっそく紙の研究をしている中田を呼び寄せ、バナナの紙を作るプロジェクトを計画する。そして和紙職人の山村を説得し、ハイチに呼び寄せ、そのプロジェクトはスタートした。

◎映画の良さは、いつもは自分の身の回りしか見えないけど、世界のことについて知らせてくれるところにもあると思っている。ハイチという国について、映画を通して少し知ることができた。貧しい国はいっぱいある。物の貧しさだけでなく、今の日本のように心の貧しさもある。物があることが幸せの条件ではなく、みんなで何かを作り上げたりやり遂げたりしたときの笑顔が、何よりも人の生きてきた道を輝かせてくれる。そしてそれが多くの人々のために役立つことが何より幸せを感じさせてくれる。この映画を見て、自分も子どもたちの笑顔を少しでも作れたらどんなに幸せだろうかとあらためて思った。バナナの茎や葉で紙を作る。物をただ消費するのではなく、身の回りのいつもは捨てられる物で何か役立つ物が作れないだろうか。
ラストは、あっけなく紙ができてしまったので、映画としては物足らない感じがした。現地に職人を呼んだ意味は何なのか。そこに苦労があったはず。それなのに、職人がいなくても紙ができそうな雰囲気があった。苦労して説得して連れてきたのだから、現地での悪戦苦闘があって、やっと完成する喜びをもっと大きくしたかった。

公式サイト「ミラクルバナナ」

メゾン・ド・ヒミコ

2006年11月10日 | 人間/社会派ドラマ

2005年 日本 131分
■2006.11.10 wowow
■監督 犬童一心
■出演 オダギリジョー(春彦) 柴咲コウ(沙織) 田中泯(照男) 西島秀俊(細川専務) 歌澤寅右衛門(ルビイ) 青山吉良(山崎)

《story》

「私を迎えに来たのは、若くて美しい男。彼は、父の恋人だった」

塗装会社につとめる沙織は、大きな借金を抱えていた。夜はコンビニで働くなど、苦しい生活を送っていた。そんなある日、沙織の元に若くて美しい男が訪ねてくる。彼は、幼いときに出ていった父の恋人だった。父、照男はゲイバー「卑弥呼」を継いだあと、ゲイのための老人ホームを作った。沙織の元を訪ねた男、春彦は、父が余命短く、彼の老人ホームで働かないかとすすめる。悩んだ末、破格の日給であったことから、そこで働くことを決意する。そこは、穏やかで優しくて哀しい場所。老人たちは、沙織を暖かく迎えた。しかし、沙織の父に対する憎しみはますます大きくなっていった。

◎人は、遠くから見ているだけでは、何もわからない。自分の中にある何かが、嫌悪感を持てば、そういう目で見ていく。でも、近づけば、ふれあえば、だれでも暖かさを感じる。そして大事にしたくなる。もし、沙織のところに春彦が来なければ、誰とも心を通わせることなく、沙織はずっと父を恨み続けたことだろう。そしてゲイに対する考えも、嫌悪感以上のものは持つことができなかっただろう。
でも、正直に言って、私自身はこの映画を見ても、ゲイというものがよくわからない。「性同一性障害」という名前を金八先生のドラマから教わったが、それではないような気がする。単なる趣味、自分の本能的な欲求のように見える。自分の好きなように生き、子どもの心を踏みにじった人にしか見えない。人として許せても、父としては許せない。まあ、それは置いておいても、だれでもともに生活して、あたたかな触れ合いがあれば、好きになれる。それは確かにある。あの中学生もそうなんじゃないかなと思う。ゲイに目覚めたのではなく、触れ合いにはまったのだと思う。そう思いたい。「ゲイ」というものが、人間とのつながりの壁だとしたら、私はそれを乗り越えられないでいるのかもしれない。そういう形ではなく、根本の人と人とのつながりを、私に問うているのだ。

公式サイト「メゾン・ド・ヒミコ」

ただ、君を愛してる

2006年11月08日 | ラブロマンス/青春


2006年 日本 116分
2006.11.8 バルト11
■監督 新城毅彦
■出演 玉木宏(瀬川誠人)   宮崎あおい(里中静流)   黒木メイサ(富山みゆき)   小出恵介(関口恭平)   上原美佐(井上早樹)   青木崇高(白浜亮)   大西麻恵(矢口由香)

《story》

「生涯ただ一度のキス ただ一度の恋」

静流との出会いは6年前の大学の入学式の日。人に対しコンプレックスを持っている誠人は、入学しに出ないで大学の周りを歩いていた。そこで、横断歩道をなかなか渡れないでいる少女、静流に出会い声をかける。そして写真を趣味にしていた誠人はシャッターをきる。このとき静流は誠人に恋しはじめる。
なかなか大学生活に慣れない二人。誠人はみゆきに片思い、そのみゆきに声をかけられ、仲良しのグループの仲間に入る。静流は、いつも誠人といっしょにいるのだが、誠人は静流を女性として見ることができず、静流は誠人に気に入られようと、大人の女になろうと決意する。

◎とってもさわやかな感じがした映画だった。結局ハッピーエンドとは言えないけれども、どろくささがなく、過去の懐かしい想い出の一場面として、美しい風景の一場面として、心に刻まれていく。
コンプレックスって、そう簡単にはぬぐいきれないものなのだと思う。「においがする」「自分は嫌われている」人がどう思っているか気になったら、まっすぐ人を見れなくなってしまう。でも、誠人も静流もそうじゃないような気がした。反対に人にどう思われようと、自分の信念があって、それをうまく表現できないでいるだけのように思えた。そんな二人だからこそ、写真を通じて語り合い、心がふれあえたのだと思う。
森の中の、二人の世界がさわやかでいい。それをレンズを通して、一瞬の静寂をとらえることができた。共通のつながった時。
もしニューヨークで、二人が出会っていたら、もっとハッピーな時間がやってきただろうか。今だから、そうなってほしかったと思う今ができたのかもしれない。これからの時間も美しい想い出として彩ることができるのかもしれない。

公式サイト「ただ、君を愛してる」


男はつらいよ37 幸福の青い鳥

2006年11月08日 | コメディ


1986年 日本 102分
■2006.11.8 BS2
■監督 山田洋次
■出演 渥美清(寅さん)  倍賞千恵子(さくら)  志穂美悦子(旅役者の娘・芸名は大空小百合、本名は島崎美保)  長渕剛(看板書きの職人・健吾)  有森也実(鳩笛の客)  下絛正巳  三崎千恵子  前田吟  吉岡秀隆  太宰久雄  佐藤蛾次郎  美保純  笠智衆

《story》
九州で芝居小屋に寄り、懐かしむ寅さん。かつて旅先で出会った一座を思いだし、小屋で片づけをしていた人に尋ねる。すると、座長は亡くなっていることを知る。寅さんは、座長の家を訪ねる。そこには一人娘の小百合がいた。まだ少女だった頃、寅さんに会っていて、二人は昔のことを思い出し懐かしむ。困ったことがあれば、葛飾のとらやに連絡をと言い残し、寅さんは列車でその町を去る。
数日して、小百合はとらやに電話を入れる。仕事を見つけるために上京したのだった。小百合は、夜の小道で暴漢にからまれたところを健吾に助けられる。具合が悪かった小百合はそのまま健吾の家に泊まる。小百合は、健吾の優しさに惹かれていく。その後、とらやを訪ねた小百合は、とらやに世話になりながら中華料理店で働く。生活が落ち着いた小百合は、再び健吾を訪ねるのだが・・・。

◎世話役の寅さんが板についてきた。恋する寅さんから、まわりの人を幸せにする寅さんだ。恋し、失恋し、深い悲しみに暮れ、旅に出る寅さんは、次第に影が薄くなっていった。でも、寅さん自身は、自分をたよりにする女性が恋しいのだと思う。まるで自分の娘のようにかわいいのだと思う。最後は、娘は誰かの元に行ってしまうのだが、親元を離れていく娘の姿を思うようなさみしさに包まれる。
健吾は本当に誠実なのだろうか。甘えん坊のわがままなガキンチョのような印象を受ける。小百合は苦労するんじゃないかな。親しくなればなるほどわがままが出てしまい、健吾は引っ込みがつかなくなるタイプのような気がする。


オリバー・ツイスト

2006年11月04日 | 人間/社会派ドラマ

2005年 イギリス/チェコ/フランス/イタリア 131分 ■原題「Oliver Twist」
■2006.11.4 wowow
■監督 ロマン・ポランスキー
■出演 バーニー・クラーク(オリバー・ツイスト)   ベン・キングスレー(フェイギン)   ハリー・イーデン(アートフル・ドジャー)   ジェイミー・フォアマン(ビル・サイクス)   エドワード・ハードウィック(ブラウンロー氏)   リアン・ロウ(ナンシー)

《story》

「涙のあと幸せはやってくる」

「オリバー9才。孤独だけが友達だった」


オリバー・ツイストは9才の孤児。救貧院に移され、そこで麻屑作りの仕事をすることになる。食事は少ない一杯のかゆ。あるとき、おかわりを申し出たオリバーは、救貧院から追放制裁を受けてしまう。オリバーは葬儀屋のサワベリー氏に引き取られるが、先に雇われていたノアに、母親のことを侮辱され、けんかをして、主に鞭でうたれてしまう。オリバーは、そこを抜けだし、100km以上もあるロンドンに向けて歩く。
ロンドンに着いたものの、飢えで倒れているところを、ドジャーに救われる。ドジャーはフェイギンを頭とした窃盗少年団の一味だった。オリバーも盗み方を教えてもらい、ドジャーたちと町に出て行ったのだが、盗みが見つかったドジャーたちの巻き添えで捕まってしまう。ぬれぎぬが晴れたあと、そのハンカチを盗まれたブラウンロー氏に親切にされ、彼の家での生活が始まる。しかし、オリバーが窃盗団のことを話してしまうことを恐れたフェイギンやビルたちに連れ戻されてしまう。そして再び、悪事の手伝いをさせられるオリバーだったが・・・

◎以前見たミュージカルの「オリバー」をどれくらい越えて、どれくらい新鮮さがあるかと期待して見てしまう。もし、以前の「オリバー」を知らなければ、きっと新鮮さあふれる感動がいっぱいあったことだろう。でも、どうしても重なってしまって、マークレスターの無邪気さがちらついてしまう。
町のセットは興味をひかれるものだった。お金をかけているのだろう。
「未来」をテーマにしたということだが、それはどういうことだろうか。苦難に負けないで純粋さを失うことなく生きていたらきっと幸せになれるよ、ということだろうか。

公式サイト「オリバー・ツイスト」

母たちの村

2006年11月03日 | 人間/社会派ドラマ

2004年 フランス/セネガル 124分
○第57回 カンヌ国際映画祭 ある視点部門 グランプリ受賞
■原題「Moolaade」
2006.11.3 サロンシネマ2
■監督 ウスマン・センベーヌ
■出演 ファトゥマタ・クリバリ(コレ・アルド・ガロ・シ)   マイムナ・エレーヌ・ジャラ(ハジャトゥ)  サリマタ・トラオレ(アムサトゥ)  アミナタ・ダオ(アリマ・バ)  ドミニク・T・ゼイダ(兵隊さん)  マー・コンパオレ(割礼師)

《story》
西アフリカのある村で、コレは第一ママや第二ママととともに和やかな生活を送っていた。そこに4人の少女が逃げ込んできた。割礼から逃れ、コレに助けを求めてきたのだ。コレ自身割礼を受け、その後遺症に苦しんできた。だから、自分の娘には割礼を受けさせなかった。少女たちはそんなコレなら助けてくれると思ったのだ。「モラーデ」という保護のひもをはり、割礼師が入れないようにした。しかし、そんなコレの行動は村の男性から反感をまねき、村のラジオの没収や、夫によるコレへの服従のむち打ちなどが行われたのだった。コレはそれに耐え、自分の信念を訴えていった。そして割礼で死んだ少女の事件をきっかけに、村の女性たちは立ち上がるのだった。

◎アフリカの問題を、アフリカの人たちで映画にして、訴えていくところにひかれた。新聞などで取り上げられ、広島で上映されるときを待っていた。
この映画の監督ウスマン・センベーヌは、高齢だけど、アフリカのさまざまな現状を映像を通して訴えていくという信念を持っていた。文字が読めないアフリカの人も映像で共感できる。
初め、「アフリカの映画?」という先入観があった。でも、すぐに映画の中に引き込まれていく自分を感じた。第二ママ? 男性社会? さまざまな現実をそのまま表現し、その中でも自分の心で感じ考え、新しい未来を作る力強さがにじみ出ていた。そして、それが男性ではなく「母」であることに、確かな未来を感じさせてくれる。男性は暴力で破壊するだけ。ラジオをこわがる臆病者。
もの言えない社会は腐っていく。何が正しいのかきちんと話し合える社会には未来がある。暴力でもない、習わしでもない、もちろん不可思議な儀式でもない、みんなのことを考え、自分の考えが言える社会、それはアフリカだけでなく、日本も同じだと思った。
日本も、子どもの未来を考え、女性が立ち上がらなければ。だれかが権力をにぎって、弱い立場の人たちから、税金も医療費も年金もむさぼり取る社会じゃあ、みんな自殺したくなるよ。子どもだってだれかにうっぷんを押しつけたくなってしまうよ。もっと大きな元を、みんなで訴え変えていく社会が、ここにもあると思った。

関連サイト「母たちの村」

奥さまは魔女

2006年11月03日 | コメディ


2005年 アメリカ 103分
■原題「Bewitched」
■2006.11.3 wowow
■監督 ノーラ・エフロン
■出演 ニコール・キッドマン(イザベラ・ビグロー)   ウィル・フェレル(ジャック・ワーヤット)   アイリス:シャーリー・マクレーン(アイリス・スミスソン)   マイケル・ケイン(ナイジェル・ビグロー)   ジェーソン・シュワルツマン(リッチー)     スティーヴ・カレル(アーサーおじさん)

《story》

「普通の恋、それはたったひとつ、叶わない夢」

魔女のイザベルは、普通の生活をして、魔法を使わないで恋をして愛する人に出会いたいと、ロサンゼルスの郊外に家を借りた。もちろん魔法を使って。一方、俳優のジャックは主演の映画が売れず、テレビ番組の「奥様は魔女」のリメーク番の制作に意欲を燃やしていた。主役のサマンサは魔法を使うときに鼻を動かすのが特徴で、うまく鼻を動かす女性を捜していた。オーディションでもなかなか見つからず、町を歩いていてイザベルに出会う。鼻の動かし方が見事で、「あなたが必要だ」と主役に引っ張る。イザベルは、次第にジャックに恋し始めるが・・・。

◎アメリカの人だけじゃなく、日本の中高年の人は、きっとみんな見ていたドラマ「奥様は魔女」じゃないかなと思う。そして、その魔女のサマンサは、鼻を動かして魔法をかけていた。そのリメークとなると、見たくなってしまうだろう。
魔法は使っちゃいけない、と言いながら使ってしまうおもしろさと同時に、最後の大切なところは魔法なしで努力して達成させるところはしっかり受け継がれている。
サマンサとダーリンが出会う前ってこんな感じだったのかな。ダーリンがちょっとちゃらんぽらんに見えたところが少し気になった。ダーリンはまじめで、魔法で楽をしたいなんて思わない人、というイメージがある。でも、多くの男性は、奥さんが魔法が使えたら、何でもできるぞーって喜んでしまうだろうな。そうじゃないところにこのドラマのおもしろさがあるんだと思う。ジャックはどうだろうかな。なんか軽すぎるんだなあ。

公式サイト「奥さまは魔女」


至福のとき

2006年11月02日 | 人間/社会派ドラマ

2002年 中国 97分
■2006.11.2 BS2
■監督 チャン・イーモウ
■出演 チャオ・ベンシャン(チャオ)  ドン・ジェ(ウー・イン)   フー・ピアオ(リトル・フー)  リー・シュエチェン(リー)  ニウ・ベン(ニウ)  ドン・リーファン(継母)

《story》

「ありがとう。生まれて初めての笑顔です」

「青い空は見えないけれど、輝く星も見えないけれど、私はあなたの心が見えます」

チャオは喫茶店で太った女性とお見合いをした。太った女性は優しいと言われているからだった。結婚のため5万元を用意しなければならなくなり困る。工場が倒産し失業中だったからだ。チャオは仲間のフーとともに、空き地に放置されているおんぼろバスを改装し至福の時を送ることができるラブホテルを作る。ある日、お見合い相手の女性から、前の夫の連れ子の盲目の少女ウー・インをそのホテルで働かせてほしいと言われた。大きなホテルの社長だと思われているのだ。ウー・インを連れておんぼろバスが置いてある空き地に行ったら、撤去されていた。仕方なく、倒産した工場を改良し、ホテルの一室を作り、ウー・インにマッサージの仕事をさせることにした。仲間が交代でウー・インのところに行ってお金を払いお客になるのだった。仲間はお金もつきて、紙で作った紙幣を使って、うそを続けるのだった。実は、その優しい嘘をウー・インは知っていた。チャオは、ウー・インのために、いなくなった父の代わりに手紙を書いた。それをわたしに行く途中事故にあう。

◎やりきれないどうしようもない人たちと、あたたかい心を持っている貧しい人たち。ああ、お金があればこんなしんどさから救えるのにと思ってしまう。でも、お金がないからこそ、本当にあたたかな心でいられるのかもしれない。
盲目の少女が、あんなひどい家にいること自体おかしい。ひどい父親であり、ひどい継母だ。父がきっと迎えにくるなんて、きっと信じることはできないでいたはずだ。結局、見知らぬ人の方が思いやりがあって優しいのだ。
ラストは一人で歩いていくシーンだったが、強い心で、意欲を持って未来に向かって歩いているのだと思う。でも、前途多難だ。明るい未来はどう考えてもやってこない。目が見えない若い少女なら、悪い男が放ってはおかない。真実がわかった上で、チャオたちと一緒に暮らす方がどれだけ幸せか。そのチャオも事故で入院。明るい未来が見えないラストだと思った。

公式サイト「至福のとき」