ゴールデントライアングルツアー
●ラオス領●
ラオス領の 小さな島。
パスポートもビザも必要ない。
はじめの一歩
話しに聞いてた ラオスビール
入って感じたこと。
こんなに近くの国なのに、タイとは全く雰囲気が違う。
はっきり言ってしまえば、ひどく貧しい。
ラオス国旗がはためく下に、子どもたちがたくさん。
この子達は、ものもらいをして生活する子どもたち。
船が着いたとたんに、群がってきて、私たちについて歩く。
手を出し、懇願する姿を見せる。
船が出るときにも、ギリギリまで群がって、手を出して お金を懇願する子どもたち。
貧しさを目の当たりにした。
●ミャンマーとの国境の町 メーサーイ●
タイ最北の町、メーサーイ。 国境の町のため、人が行き交い、店も多くずいぶんと賑わっている。
この門を超えて、100メートル歩いて行けば、そこがミャンマー。
私は通れないので、金網越しにミャンマーに行き来する人たちを見る。
すると、足下で金網をはげしく揺さぶり、叫ぶ声が。
ミャンマーの子どもが、物乞いをしている。
ここもか、と胸の奥が痛い。
貧しさをこれでもかというくらいに目の当たりにすることは、日本にいたときにはなかったことだ。
●アカ族・ヤオ族の村●
山岳少数民族の村を見られるのは、とーっても楽しみだった。
2つもいけるの? とうれしかった。
ただし、どちらもほんの15分~20分程度。
ほほう、と入り口近くの民家と店を見たら終わり。
まず アカ族の村
チベット高原が起源の少数民族。
女性は頭に銀製の兜をかぶり、悪霊が体内に入らないように、独自の衣装を着る。
寝るときも兜を外さない、自分たちの文化を誇りにしている。
高床式茅葺きの住居に住み、部屋や炉が男女別にある。
ヤオ族の村
中国やベトナム北部にも分布する民族で、中国が起源。
漢族・道教の影響を強く受けていて、葬式や婚礼などの儀式では漢字を使い、
年長者の男性では漢字の読み書きが出来る人も多い。
土間式の住居に住み、箸を使って食事をする。
車から降りたとたん、このおばあちゃんが、走り寄ってきた。
そして、女性客に抱きついた。みんな、さもほほえましいというように笑う。
だけど、私はこのあとが見えて笑えなかった。
手を握って、自分の店に連れて行くおばあちゃん。 それは絶対断れないよ。
もちろん、この女性客は バッグのような何かを買ってた。
握った手はずっと放さずに。
先輩隊員のすすめるラフ族の村にいったときとは、ずいぶん違うなというのが、この2つの村を訪ねて思ったこと。
→ 過去ブログ 「ラフ族の村へ 竹細工を作る」 「ラフ族の村へ 共生する村・ラフ族の学校を見る」
「ラフ族の村へ 脱穀・水シャワー」 」「ラフ族の村へ ラフ族の村の夜・ゆびきりげんまん」
ここでは、子どもたちがついてまわり、ものを売ろうとする。
写真を撮ったイギリス人に20バーツを要求する子ども。
観光客が押し寄せ、商業化された結果なのだ。
生きるためにの結果なのだ。
とても複雑な思い。
あの、素朴なラフ族の村がとても恋しく、貴重な存在に感じた。
●ラオス領●
ラオス領の 小さな島。
パスポートもビザも必要ない。
はじめの一歩
話しに聞いてた ラオスビール
入って感じたこと。
こんなに近くの国なのに、タイとは全く雰囲気が違う。
はっきり言ってしまえば、ひどく貧しい。
ラオス国旗がはためく下に、子どもたちがたくさん。
この子達は、ものもらいをして生活する子どもたち。
船が着いたとたんに、群がってきて、私たちについて歩く。
手を出し、懇願する姿を見せる。
船が出るときにも、ギリギリまで群がって、手を出して お金を懇願する子どもたち。
貧しさを目の当たりにした。
●ミャンマーとの国境の町 メーサーイ●
タイ最北の町、メーサーイ。 国境の町のため、人が行き交い、店も多くずいぶんと賑わっている。
この門を超えて、100メートル歩いて行けば、そこがミャンマー。
私は通れないので、金網越しにミャンマーに行き来する人たちを見る。
すると、足下で金網をはげしく揺さぶり、叫ぶ声が。
ミャンマーの子どもが、物乞いをしている。
ここもか、と胸の奥が痛い。
貧しさをこれでもかというくらいに目の当たりにすることは、日本にいたときにはなかったことだ。
●アカ族・ヤオ族の村●
山岳少数民族の村を見られるのは、とーっても楽しみだった。
2つもいけるの? とうれしかった。
ただし、どちらもほんの15分~20分程度。
ほほう、と入り口近くの民家と店を見たら終わり。
まず アカ族の村
チベット高原が起源の少数民族。
女性は頭に銀製の兜をかぶり、悪霊が体内に入らないように、独自の衣装を着る。
寝るときも兜を外さない、自分たちの文化を誇りにしている。
高床式茅葺きの住居に住み、部屋や炉が男女別にある。
ヤオ族の村
中国やベトナム北部にも分布する民族で、中国が起源。
漢族・道教の影響を強く受けていて、葬式や婚礼などの儀式では漢字を使い、
年長者の男性では漢字の読み書きが出来る人も多い。
土間式の住居に住み、箸を使って食事をする。
車から降りたとたん、このおばあちゃんが、走り寄ってきた。
そして、女性客に抱きついた。みんな、さもほほえましいというように笑う。
だけど、私はこのあとが見えて笑えなかった。
手を握って、自分の店に連れて行くおばあちゃん。 それは絶対断れないよ。
もちろん、この女性客は バッグのような何かを買ってた。
握った手はずっと放さずに。
先輩隊員のすすめるラフ族の村にいったときとは、ずいぶん違うなというのが、この2つの村を訪ねて思ったこと。
→ 過去ブログ 「ラフ族の村へ 竹細工を作る」 「ラフ族の村へ 共生する村・ラフ族の学校を見る」
「ラフ族の村へ 脱穀・水シャワー」 」「ラフ族の村へ ラフ族の村の夜・ゆびきりげんまん」
ここでは、子どもたちがついてまわり、ものを売ろうとする。
写真を撮ったイギリス人に20バーツを要求する子ども。
観光客が押し寄せ、商業化された結果なのだ。
生きるためにの結果なのだ。
とても複雑な思い。
あの、素朴なラフ族の村がとても恋しく、貴重な存在に感じた。