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主にグダグダな日常を綴ったり綴らなかったり

地震被害とかその後のご報告

2018-09-25 22:09:27 | 日記
●お墓のその後
 地震で損壊したお墓の見積が届きました。
 自称「事情通」によると、通常時に比べるとかなり割安な値段との事。
 大量に修理依頼が来ているので連続で作業できるため、機材や人材の移動に掛かる金額が割引されているのではないかな~とか分析してました。むしろぼったくられることも覚悟していただけに、何と言うかありがたいです。

●報道について
 停電時はラジオが主な情報源だったのですが、その中で一番不要だと思ったニュースは、「今回の地震を『北海道胆振東部地震』と命名しました」というモノ。しかも何回も繰り返し放送するんですよね。他の情報が欲しい時に名前なんかどうでもいいと思うんですがね。一月後でも構わないでしょ、そんなの。
 テレビが視聴できるようになると、このタイミングで報道すべきじゃないという報道もいくつかありました。
 まだ店頭の品揃えが十分ではない状態で、冬に被災した時の備えとして×人家族ではカセットボンベが×個必要と報道。買い揃えようとした人たちで一気にカセットボンベが品薄になり、購入制限がかかる事態に。明らかに流通が通常状態に戻ってからで良い情報を流していました。報道に踊らされて、必要もない牛乳を買い占めたり、普段食べもしない納豆を大量購入した人もいるのではないでしょうか?

●地震で役に立ったモノ&必要だと思ったモノ
 前にも書きましたが、意外と役に立ったものやあった方がいいかなと感じたモノについても改めて。
 ちなみに、私は無理に色々備えた挙句、点検もしないで放置していざ使うときには役に立たないというのは本末転倒だと思ってます。
 最低限必要なものは持ち出せるように防災袋にまとめておいて、それ以外のものついては、日常生活でも使えるものを用意するという考え方です。無理に備えるよりも日用品を防災時にも使えるものにしておけば、いざというときに壊れてるとか期限切れということもある程度防げるでしょうしね。

 先ずは定番ですがラジオ。
 家にあったのは、お風呂で使うのに買った防水タイプの携帯ラジオ(単3×3本)。今回は地震でしたが、水が絡む災害を考えると防水は意外と大事かもしれません。手回しタイプじゃなくても数日なら十分もつので、不必要に高価な手回しラジオを買う必要はないと思います。

 LEDライト。
 高齢の家族がいるので、夜中に足元や手元を照らす目的で普段から使っています。3,4個と数を揃えておくと、停電時に部屋ごとに置いたりと重宝します。懐中電灯タイプに袋をかぶせたり、アルミホイルで反射板を作ったりという話も聞きますが、夜の食事時とかに使うには不安定だし、暗いです。できれば、一つくらいはキャンプなどで使うLEDランタンを用意しましょう。私も防災用にこれだけは用意しておくつもりです。本当に、暗いと飯が不味いです。Amazonとか見てみると意外と安いですし。
 前にも書きましたガーデニング用のソーラーライトは、庭に挿してあったのを引っこ抜いて、停電時に常夜灯代わりにしました。昼間は庭に戻しておけば再充電されるので電池の心配をしなくてよい照明として重宝しました。100均のものでも朝方まで点灯してたので高いものは必要ないという印象です。さほど明るくないので使用範囲は限られますが、停電で真っ暗なときはちょっとした明かりでも有れば安心します。各部屋+廊下用に複数用意しておくのも良いかと思います。
 手回し式、つまりダイナモ発電+蓄電池のライトは、電池不要で便利ですが、今回の災害時には蓄電池が劣化して常に回してないと点灯しなくなってました。過信しないで、定期的な動作確認をした方がよいです。

 壁掛けフック&S字フック。
 LEDライトを掛けるのに必須。重量物を掛けるのにピンを打って固定するタイプのフック、100均のライトとか軽いものを掛けるならコード固定用の小さいテープタイプのフックと何種類か用意しておくと便利です。S字フックは鴨居とかちょっとしたでっぱりに使えば壁を傷つけないでモノをかけれるし、ベランダが危なくて使えないとかタンスが倒れて部屋の整理がつかないときに一時的に洗濯物や服を掛けておくのにも使えます。こういう応用の利くものは大目にストックしておいても良いかなと今回の地震で思いました。

 電池。
 震災時に一番最初に無くなったモノ……ではなかったです。アルカリ電池はともかく、暫くはマンガン電池が残っているところがありましたし、高価なブランドのものも最後まで残ってました。但し、単一電池だけは真っ先に無くなってましたので、必要なら最優先で備蓄するのは単一かな。まあ、最近の機器で単一使うものはそう多くはありませんし、必要なら電池スペーサーとか電池アダプタというので小さい電池何本かで単一電池を代用もできるそうです。やったことはないけど。
 でも、電池が無くなった主な原因は買占めで、多分使わなかった大量のストックを持て余しているご家庭も多いはず。


 震災後、色々と調べるとお墓の保険があるとか、ソーラー発電している家でも蓄電池込みの高価なシステムを使用していないと停電時に役に立たないとか、電源代わりになる電気自動車があるとか、結構知らないことがありました。
 常に備えるのは大変ですが、情報だけでも少し仕入れておいた方がよかったなーと感じました。


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地震で壊れた墓の話

2018-09-16 19:51:36 | 日記
 結局、我が家で一番被害が大きかったのはお墓でした。
 札幌の某霊園にあるのですが、地震の被害はかなり大きく、全壊したところも多かったそうです。
 我が家の墓も被害を受けていて、墓石の棹石(○○家之墓とか書いてる部分)が地震でズレて40度ほど右を向き、敷地内にあったなんちゃって石灯篭(中にろうそくを入れることができない)が基礎から外れて上の部分が落ちて割れていました。その際に墓石にぶつかって一部欠けていたようです。
 それでも、周囲と比べれば比較的軽度の損傷で、棹石が台座から半分以上はみ出てアクロバティックな状態になっていたり、完全に倒れて道にまで転がり出ているところも。ニュースを見ると墓の基礎から割れて原形をとどめていない場所もあるらしいです。
 多分、プロが見たら細かなズレとかひび割れもあるんだろうなーということで、石材店に連絡してみました。
 話を聞いてみると、現在問い合わせ多数で、様子を見に行くのにも順番待ちでしばらく時間がかかるとのこと。検査して修理見積を出してもらっても、修理はすでに予約でいっぱいで年内は不可能らしい。
 まあ、我が家ではお彼岸に墓参りしないので、来年のお盆までに修理が終わっていればいいと伝えてお願いしました。ただし、積雪などで倒れたりしないように、応急処置の判断と処置はしてもらうようにお願いしました。場合によっては積雪前に墓石の一部を撤去して、石材店の倉庫に保管してもらう事になるかもしれません。
 とにかく、今回の地震で震度の大きかった地域にお墓がある方は、一度お墓の様子を確認した方がよいかと思います。公営の霊園については、札幌市が調査結果を公表しているので、それらを参照するのもよろしいかと思います。破損したまま冬を越した場合、被害が拡大する可能性もあります。隣の墓に倒れたとかトラブルになる可能性もあります。
 そして、前述の通り、修繕にはかなり時間がかかると思われますので、早めに被害を確認して修繕依頼をすることをお勧めします。実際に見に行けない方は、霊園に近い石材店なら様子を見に行ってくれる場合もあるので、ご相談されるのも良いかと思います。相談される場合は霊園名、何期何号何番などが記載された墓地使用許可書などの書類を用意してくださいね。
 という、実体験な話。

 親戚と相談しないで修繕を決めると、修繕依頼がダブったりしてトラブルのもとになるので、お気をつけて。
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今回の地震で役に立ったモノとか必要だと感じたモノ

2018-09-10 22:14:01 | 日記
 今回の地震で感じた事を幾つか。

■地震発生時
 私は札幌で地震に遭遇しました。
 札幌は、地震が少ない土地ではないですが、今回の地震ほどの規模のものには遭遇していなかったと思います。
 最初は、「あ、いつもの地震だな」という感じで、さほど違いを感じなかったのですが、徐々に収まるどころか激しさを増していく振動に驚き、頭の上にバサバサと本が降りかかってきたことで、普通の地震ではない事に気付きました(遅い)。ちなみに、本棚は地震で倒れない様に処置してあったのですが振動は抑えきれず、中の本だけが上の棚から順に飛び出して振ってきた形です。
 慌てて部屋を飛び出して家の中を確認しましたが、結局本が降ってきた以外は特に被害はありませんでした。ああ、ガンプラが落ちて、部品が行方不明になりました(泣)。
 しばらくして、部屋に戻るとパソコンが転倒。免振パッド(パソコンの足に貼るタイプ)の上に置いてあったのですが、横に置いてあった古いパソコン二台にのしかかられたみたいです。システムドライブはSSDなのでその状態でも平気で稼働中。さて、電源を落とそうと近付いた途端に、電灯が点滅して停電。PCのシャットダウンが間に合わないままに、長い停電に突入したのでした。

■周辺の被害
 私の住んでいる場所は、液状化現象を起こした地域ではなく、断水もしていませんでした。
 早朝に周辺を自転車で回ってみましたが、ご近所の老朽化したビルの壁が少し剥がれた程度しか見た目上の被害はありませんでした。
 見た目上の被害が少なかったのは、前日まで台風が来ていたことが関係しているかもしれません。地震で折れそうな街路樹などは、既に折れて根元から切り倒されて撤去済み。崩れそうな工事の足場は台風ですでに倒れて片付けられていたし、風で飛びそうなものは事前に撤去されていたし、落下しそうなものも大概が片付けられていました。一部の人たちは、台風に備えて用意した災害用品を手元に出したままだったのではないでしょうか?
 目に見えて予想できる台風という災害に備えていた直後であったが故に、比較的被害が大きくなる要素が一部取り除かれていました。備えられるはずのない地震という災害に、ある程度備えられていた。大都市を含む震災であるにもかかわらず、被害が抑えられたのは、そんな偶然もあるのかもしれません。
 逆に台風によって液状化が助長された可能性もあるので一概にはよかったとは言えませんが……。

■停電の過ごし方
1.連絡手段
 結果として、一番問題となったのは停電。
 スマフォを置いてない家なので、固定電話が停電で使用不可能になると連絡手段が無くなる……何てこともなく、ご近所に電話ボックスがあるのです。災害時は公衆電話は繋がりやすいので場所は確認しておきましょう(詳しくは検索して調べてみてください)。でも、いざ使おうと思って向かうと、長々とおばちゃんが電話をしていて空かない為断念。後で知ったけど、特別処置で公衆電話の通話料が無料になっていたのだとか。

2.炊事
 IHコンロではなくガスコンロ(電池式)なので、電気ポッドがなくてもお湯の確保は可能だし、炊事も可能。炊飯は火加減がめんどくさいけど、おかゆなら水加減とかあまり気にしなくても作れるので問題というほどでもない。問題はガス検知器が作動していないので、最初に使うときにちょっと緊張したくらい。余震が続くとガス管が破損する可能性があるので、安心して使うにはやはり電気が戻ってほいいところ。
 また、日中はともかく、夜は台所も真っ暗になってしまうのでLEDライトなどが必要にまりました。この時便利なのがS字フック。鴨居や棚、窓枠などに引っ掛けてLEDライトの紐を通してぶら下げれば、簡易照明として手をふさがずに使うことができます。

3.トイレ
 ウォシュレットはもちろん使えないのは仕方がないけど、照明は必要。これは壁掛けLEDライトをコードフック等で壁に固定しました。100均で売ってるワンプッシュで点灯と消灯ができるタイプで、比較的広範囲に光を放ってくれます。

4.照明
 各報道でも言ってますが、ろうそくは危険です。特に燭台がない場合は、使わないほうがよい感じです。でも貴重な熱源なので、野外で安全を確保しているとき用に防災袋に一つは入れておいて損はありません。
 照明は基本LEDライトとなるのですが、LEDライトでも懐中電灯型だけでは不便です。光を収束する形になっているので、光を広げる為に色々と工夫が必要になります。が、工夫をするくらいなら、最初からランタンタイプのLEDライトを用意しておいたほうが便利です。
 とにかく、食事時に食卓を十分に照らせないと食べづらいことこの上なく、そこそこ大型のものが欲しくなりました。防災用のランタンでも探してみようかな?
 また、意外と役に立ったのは、ガーデニング用に100均でも売っているソーラーライト。
 普段は庭先やベランダを照らすのに使っているのですが、今回は常夜灯として室内で使いました。瓶やコップを台座にして室内に置いておけば、光は弱いですがほのかに手元を照らすくらいの明かりにはなります。しかも、昼間は元の場所に戻しておけば太陽電池で充電されるので電池の心配も不要です。各部屋+廊下ぐらいの数をそろえておくと暗闇を恐る恐る歩く必要はなくなります。安いし、最近は性能も上がって、充電が十分なら日没から日の出まで点灯してくれます。しかも明るくなると自動消灯。ただし、経験上、2年越しくらいで蓄電池が劣化して持続時間が短くなるので、細目に様子を見て買い替えたほうが良いです。
 あ、蓄電池の話が出たのでひとつ。手回しハンドルで蓄電できるダイナモ型ライトを防災用に用意していたのですが、経年劣化で蓄電不可能になってました。永遠に回し続けるだけのライトは使いにくいです。こちらもたまに回して蓄電できることを確認しましょう。

5.冷蔵庫
 たまたまなんですが、夏の暑さを凌ぐために用意していた氷枕が役に立ちました。停電後、冷蔵庫の庫内温度はじわじわと上がっていきました。そこで、冷凍庫に保管してあった氷枕を冷蔵庫の最上段に移動。わずかですが庫内温度の上昇を遅らせることができました。あ、でも温くなった氷枕を冷凍庫に戻しちゃだめですよ。冷凍庫の温度が上がっちゃいます。あ、当たり前ですね。ハイ。やっちゃったんですよ……。

 こんなところでしょうか?
 また何か思い出したら書かせていただくかもしれません。
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故人から聞いた話 装甲巡洋艦『春日』と海軍機雷学校など

2018-07-25 20:56:08 | 日記
 昨年末、家族の一人が亡くなった。
 八十を超えた年齢ではあるが、最近の平均寿命を考えるとそこまで長生きとは言えない。
 そんな年齢でこの世を去った。
 生前、いろいろと聞いていた話を忘れる前に、少しでも文章として残しておこうと思い立ち、ここに少しばかりではあるが書き残しておくことにした。

 これから記すのは、彼とその父親の話。
 その中でも、私がよく聞いていた戦時中の話を中心に書いていきたいと思う。多少は、歴史資料としての価値があるかもと思いつつ、ここに記すのは、聞きかじった程度のもので、裏をとったものではないので、正確性にはやや難がある事を先に断っておく。つまり、間違ったことを書いている可能性も、話した本人が勘違いしている可能性もあるという事を覚えていてほしい。
 とりあえず、実名というのも問題があるので、彼をB氏、その父親をA氏として話を進める。

 先ずは、B氏の父親であるA氏の事から記していこうと思う。ただ、A氏はB氏の幼いころに亡くなっているため、曖昧な部分が多い事を先に断っておく。
 A氏は、宮城県で剣道場を営む家の三男だか四男の生まれであった。
 道場は兄達が継いだため、A氏は家を出て日本帝国海軍に籍を置いた。
 所属艦は、装甲巡洋艦『春日』。
 籍を置いていた時期ははっきりしないが、おそらくは明治から大正。日本海海戦辺り。大砲に関する部署にいたらしいが、砲手だったかは聞いた話から判別できなかったという。B氏が子供の時分には、たくさんの勲章があったという事なので、少なくとも「春日」が実際の戦闘に参加していた時期であるのは間違いないだろう。惜しむらくは、勲章を持ち出して遊んだ挙句、ほぼ全てを失くしてしまったことである。私が子供のころに残っていたのは一つのみ。それも引っ越しのどさくさに紛失してしまっている。たしか、戦艦の前で記念撮影をした写真も見た記憶がある。
 「春日」乗艦当時のエピソードでも残っていればよいのだが、B氏はあまり興味がなかったらしく、それらをA氏から聞き出したことはなかったそうだ。
 退役後は、一族もろとも北海道に移住。そこで、同じくおっ街道に移民してきた女性と結婚している。この女性、つまり、B氏の母親も変わった経歴の持ち主で、叔父が白虎隊に所属していたが、生き残ってしまった為、一族郎党逃げるように北海道に移住したらしい。ちょっと調べればわかるが、有名な自決した白虎隊はほんの一部で、白虎隊自体は何番隊も存在していた。しかし、あまりにも有名になったが故に生き残った他の隊の人間も肩身が狭かったらしい。
結婚後、A氏は夕張の炭鉱で電気関係の仕事に就き、そのころにB氏は生まれている。しかし、炭鉱で故障した機械を修理に入ったとき、火花から引火して粉塵爆発が発生。巻き込まれて指を失い、間もなく炭鉱を離れて札幌へと居を移す事となる。
 札幌に移ってからは、軍人恩給を受け取りつつ、警備の仕事などもしていたが、B氏が尋常小学校に通っているころに肺炎をこじらせて、入院してわずか一日で他界している。川釣りが趣味で、酒タバコがダメでいつもポケットに飴を持っているような人だったという。
 こうしてまとめてみると、中々に波乱万丈な人生である。

 さて、ここからは、B氏当人の話。
 先に書いたように、夕張生まれの昭和一桁世代。幼いうちに札幌に引っ越す。
 太平洋戦争の最中。徴兵年齢には達していなかったものの、母親一人の家庭の食糧事情を考えてか、志願して徴兵検査を受けて合格、上京する。
 到着日付を間違えて、門前払いを食らったり、潜水艦に乗りたいと希望したら「新兵は乗れない」と言われ、所属が決まるまで、機銃の弾を作っている工場に学徒動員で集められた人たちと一緒に働かされたりと、波乱含みで軍隊生活はスタートした。
 ちなみに、同じ日に一緒に上京した少年がいたが、彼は戦闘機乗りに志願し、後に激戦地となる沖縄に配属されて行ったらしい。
 しばらく工場で働いた後、潜水艦には乗れないがそれに関連する勉強をしないかと誘われて、当時の海軍機雷学校へと入学する。どうも将来の将校候補以外にも、専門的な知識をもった人材を育てる為に年若い志願兵も多数集められていたらしい。
 B氏によると、機雷の種類等を学んだ記憶はあるが、どちらかというと将校の馬番をさせられたり、重い背嚢を背負って山を歩かされたり、砂浜に塹壕を掘って上陸する敵を迎え撃つ訓練をさせられたりという記憶のほうが印象に残っているという事だった。
 この学校生活の中で、ちょっとした奇跡が起こる。父親であるA氏が乗艦していた「春日」にB氏も訓練の一環で乗艦する機会があったのだ。当時、「春日」は現役を退いて訓練艦として使用されていたとの事。ちなみに係留されたままで行われ、ほぼ艦を見学しただけだったらしい。
 そんなこんなで比較的戦闘とは縁遠い学校での教育課程が終了した頃には終戦も間近い近い時期となっていた。
 当時の日本海軍に新兵を配属する軍艦は最早無く、そのまま学校に警備として残る事となる。
 その後、墜落した機体からパラシュートで脱出したアメリカ兵が一時的に校舎に拘留されていたりはしたものの、戦闘に巻き込まれることもなく終戦を迎える。将校は、玉音放送中には姿をくらましていたそうなので、もしかしたらどんな内容が放送されるかは、一部の将校には漏れていたのかもしれない。まもなく進駐軍によって接収された学校は、駐屯地として使われ、そのまましばらくの間、警備の仕事を進駐軍によって命じられて続けていたらしい。他の者はさっさと備品のトラックやら将校の馬を持ち出して田舎に帰ってしまっていた。B氏は、進駐軍の命令を断るわけにもいかず逃げ出せなくなってしまったらしい。要領の悪いことである。
その後、数か月に渡って残留していたが、正式に組織が整えられてきたことで、やっとお役御免となって札幌へと帰ってくる事となった。
 その間、自宅に連絡していなかったせいで、終戦後いつまでたっても帰ってこない息子を心配して、母親は札幌駅を毎日往復していたらしい。
 と、まあこんな感じで終戦を迎えるまでの話を書いたわけだが、結局彼は正式な配属がされなかったせいで軍属としては登録されていない。つまりは、戦争に行ってない扱いとなっているそうで、結局退役軍人としては扱われていないそうである。

 ここまでが、私が聞いた話である。もちろんこれ以降も彼の人生は続いたわけだが、そこは普通というある意味幸せな人生であり、現存する組織や人名を出さなければ語れないので割愛させていただく……が、一つだけ面白い話を。
 ビートルズ来日時、札幌のホテルに詰めかけたファンから逃げる為に、業務用の出入り口から出ていくのを見かけたらしい。まあ、これは私が興味がなかったせいで詳しく聞いていないのだが……。
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Windows10最新アップデートで起こったタブレット認識障害について

2018-05-27 19:52:15 | 日記
 本日、Windows10のアップデートを行ったところ、ワコムの液晶タブレットCintiq PROが認識できなくなる障害が発生しました。プロパティ上はタブレットとしてもディスプレイとしても認識されないけどワコムのプロパティは認識できて、普通のタブレットとして使用出来たりできなかったりと不安定な状態で、接続時のメッセージを見ると低速の電源なんちゃらが接続されたとか表示される。
 USB3.0 Type-cで接続したタブレットのみに障害が発生したので、USB3.0のドライバなどの障害かもしれない。となると、必ず発生する障害ではなく、個々のマシン構成に依存する障害なのかな?
 発生したのはDellのInspiron 13 5370。サブで使っているノートパソコン。
 一日無駄にして調査した結果、アップデート前のバージョンへの回復処理をすることでしか回復できなったという……。
 まあ、アップデート前に戻したらタブレットを認識したので、アップデートがらみの障害であることは間違いないかな。

 と、とりあえずこんなことがあったよ~という話。
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