さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

さっちゃん、突然の入院です

2023-03-06 23:51:29 | 肺炎

今朝11時14分、ショートステイしているI老健のS田さんから電話が入りました。

「昨晩嘔吐し、これから救急車に乗ります。健康保険証を持って、T病院に向かってください」

僕はちょうど洗濯機を回している最中でした。

早く目覚めたのですが、前日の岩トレ後の打上げで飲み過ぎて(さほど飲んではいないのですがアルコールに弱くなっています)、二日酔い気味でした。

朝食も食べていませんでした。

バナナ1本食べて、健康保険証を持って、自転車でT病院へ向かいました。

 

11時40分ころ、救急車の到着口に着きましたが、さっちゃんはまだ到着していませんでした。

12時過ぎ、救急車が来ましたが、さっちゃんではなく別の方でした。

12時半ころ、救急車が来て、さっちゃんが運ばれて来ました。

目をつぶっているさっちゃんは苦しそうでもなく、いつもの表情でした。

ただ、酸素マスクだけは装着されています。

病院内に入ると、さっちゃんとはすぐに別れて、I老健から同行して来てくれている看護師さんと僕は待合室へ行き、待つことになりました。

 

その看護師さんがおっしゃるには、さっちゃんは昨日の夕方5時ころと夜の10時ころに嘔吐したんだそうです。

今朝になって、不安な状態になったので救急搬送をすることに決めたのだとか。

 

13時20分ころ、担当医師からの簡単な説明がありました。

血圧も救急到着後は70くらいにまでなったそうですが、搬送中は50くらいだったそうです。

太い血管からでも、があまり取れなかったようです。

Sp0₂も酸素を5リットル入れているのに、90くらいにしかならないんだそうです。

「より詳しい検査結果が出たら説明をするので、ここを動かないで欲しい」と言われました。

 

2時間後くらいになるとのことでしたから、I老健から同行されていた看護師さんが僕を気遣ってくださいました。

僕が朝からほとんど何も食べていないと知り、「私がここで待っているので、食事をしてきたらどうですか?」と。

僕は病院内のコンビニでお弁当を買い、飲食の出来るコーナーで食べることにしました。

ところが、お弁当を半分くらい食べたところで、その看護師さんが僕の元へ。

お医者さんが呼んでるんだそうです。

 

医師の説明では、さっちゃんは誤嚥性肺炎であると。

そうなった理由がはっきりとしないんだそうです。

肺炎になっている部位も広いので、徐々に侵されていたのではないかと、おっしゃいます。

さっちゃんの体では処理できない量の栄養や水分が補給されるので満杯になって溢れた可能性もあると、おっしゃっていました。

(僕の曖昧な記憶に基づいて書いていますから、表現としての間違いがあるかもしれません)

胃から溢れて、喉元へ出て行った内容物の一部が誤嚥されたのかもしれませんね。

(これは僕の感想です)

 

お医者さんは今後の治療について話しを進めます。

端的に言うとどこまでの治療を施すかと言うことです。

例えば点滴の方法。

通常の腕の血管から投与するのでは十分ではない場合、首の太い血管を使うのだそうです。

そうすると、より強力な薬も投与できたりするんだそうです。

でも、強い薬ですから副作用は強いんだそうです。

また、人工呼吸について。

今は酸素マスクを通じて5リットル入れていますが、これは15リットルまで増やせるんだとか。

これで駄目なようなら人工呼吸器になるのですが、僕は医師がどのように説明したのかを忘れています。

とにかく、さっちゃんの体に相当な負荷がかかることになるのだそうです。

他にも説明を受けたと思います。

 

医師は僕に暗に返答を求めているのです。

さっちゃんに対してどこまでの治療を行なえばいいのかを。

去年の春、さっちゃんが誤嚥性肺炎になって救急搬送された際に、医師や救急隊員に問われたことがら。

肺炎治療の主治医からも問われたことがら。

その時、僕が決断したこと。

その内容を今回も繰り返し告げました。

前回も涙が出て来て、言葉に詰まってしまいましたけれど、今回も同様でした。

「さっちゃんの体に強い負荷がかかるような治療はしないでください」

僕は嗚咽で動きにくい唇を何とか動かして、告げました。

僕がそんなことを独断で決めてもいいのだろうか?

生きていること、それが一番の価値なのではないだろうか?

でも、さっちゃんと共に生きて来た僕には分かる気がします。

「私は充分に生きた」

「幸せだった」

ナルシシスト的独断かもしれませんけれど、僕はそう感じています。

入院後のことについても教えてくださいました。

急変などがあると僕に連絡をくれること。

危篤状態になった場合、コロナ禍ではあるけれど1名だけは直接会えること。

会う前には必ずコロナの検査(おそらく抗原検査)が必要なこと。

同室で長く一緒に過ごせるようです。

 

医師からの説明もあったので、I老健から来てくださっていた看護師さんは戻ることになりました。

僕は入院が決まって病棟へ移動するまで、さっちゃんのそばにいることが出来ました。

さっちゃんの表情は大変な状況だと感じさせないような、いつもと変わりないものでした。

ほんの少し薄目が開いた気がしたので、「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん」と耳元で何度も呼んでみました。

すると、さっちゃんはしっかりと目を開けて、僕のことを見てくれます。

普段なら、すぐにまた目を閉じてしまうのですが、長くずっと目を開け続けてくれています。

「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん、元気になるんだよ」と話しかけました。

僕はマスクを外して、顔を見てもらいました。

さっちゃんの顔には顕著な表情は表われませんが、僕だと分かっているようです。

長くじ~っと、僕を見続けてくれていました。

疲れてしまったのか、さっちゃんは目を閉じてしまいました。

その後、声を掛けてもさっちゃんは目を開けてくれませんでした。

さっちゃんの気持ちが伝わったように感じるのは僕の思い上がりでしょうか?

さっちゃんの瞳の奥の表情が喜んでいるように思えたのです。

 

待合室にいた時も、さっちゃんのストレッチャーのそばにいた時も、病棟のフロアにいた時も、数多くの書類にサイン等しました。

寝巻きやタオル等は入院中レンタルすることにしましたが、オムツ類は家にたくさんありますから、それを持って行くことにしました。

4時過ぎに病院を出て、再び5時前に病棟のナースステーションにオムツと2種のパッドを届けました。

登山用の100リットルザックにも入り切らなかったので、後の2袋は大きなゴミ袋に入れて持って行きました。

家に戻って来たら、5時半。

こんなことがあったのに、僕はご飯を炊き、お味噌汁を作って、夕食を食べます。

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