
岐阜公園です。

JR岐阜駅からバスに乗ってきました。

噴水があります。

中央に彫刻。

きょろきょろしたけど銘板はなし。

女神の噴水と呼ばれているらしい。

噴水系で作者がわかった試しがない。

もう一つ彫刻あり。

板垣退助の像。作者不明。

先生夙唱自由説 民権民主済時難 算來明治功臣富 将相全才誰有知
題板垣先生像 後進 吉田茂謹書

板垣退助遭難の地
明治十五年四月六日午後一時、時の自由党総理板垣退助が中教院にて演説を行う参会者百余名
夕刻板垣総理すべてを終え玄関から数歩出るや 「国賊」と叫んで相原尚褧(しょうけい)が総理の胸を刺す。
総理 「板垣死すとも自由は死せず」と有名な言葉を残したのである。即ち板垣総理遭難の地である。

山内一豊と千代 婚礼の地
永禄10年(1567年)9月18日 織田信長が岐阜に本拠を移した時、下級武士である山内一豊も岐阜に移りました。
岐阜城下に居を構えた一豊は時をおかず千代を迎え新婚生活を始めました。
婚礼の日
「一国の主になる夢を二人で叶えましょう」
「生涯私だけを愛してください」
と誓いを交わしその後、一豊は長浜・掛川・土佐の国主へと出世していきました。
長良川と一豊を愛した
伴侶の鏡 千代を讃える

千代の鏡と一豊の出世
千代が一豊に嫁ぐ際
「夫の大事に初めて之を使うように」と言い含められ
鏡箱に金十枚を忍ばせ持参し 貧しいながらも 千代は決して
その隠し金を使わなかった
ある日 市に出された名馬に 一豊は釘付けになる
値は誰も手が出ない金十枚 千代は隠し金を一豊に差し出し
ついに一豊は名馬を手に入れる
信長から名馬とその心構えを讃えられ 一豊は出世を掴む事になる

うっすらと残る雪。
岐阜公園
岐阜県岐阜市大宮町





















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