ひとりごと

ミーハーなさばきちが、観た映画の感想をテキトーにつぶやいてます。
基本的にレビューはネタバレですのであしからず。

パイレーツ・オブ・カリビアン  デッドマンズ・チェスト

2006年07月26日 | 映画「は」行
1作目より好きです。
この夏休み一番の目玉だし、既に大ヒットしてるし、デップの株はいつの間にかうなぎ昇り状態。なのでツッコミは不要!!細かいことは気にすんな!!勢いだけで話が進んでるけどそんなことは目をつぶれ!!とにかくおおらかな気持ちで、頭からっぽにして楽しむのよ、でなきゃ損よ、と自分に言い聞かせながら観てました。前向きな気持ちで観賞したので非常に楽しく観る事ができました。

前作のストーリーをだいぶ忘れてしまってました。しかし、究極の娯楽超大作、ストーリーはあってないようなもんです。
とにかく展開が早く、2時間半があっという間。ハデなアクションや立ち回りは好きだし、サクサク話が進むので飽きないのはいいのですが、あまりに唐突&大ざっぱ過ぎて、なんだかよくわからないままに終わってしまった感があります。
ジャックとデイビー・ジョーンズとの因縁もイマイチよくわからず。東インドなんとかとか、その辺りの野心家の思惑なんかも絡んでて、正直盛り込み過ぎ。ま、全ては次回作への伏線てことで。
とりあえず感想を箇条書きにしてみます。

・アクションシーンが前作よりパワーアップしてるところが一番楽しめた。もー、バカらしくて、ありえなくて、笑える。

・ジャック&ウィル&エリザベスの三角関係が微妙に気になる。
ま、ジャックとエリザベスがくっつくってことはまずありえないだろうけど。でも万が一、最終的に二人がくっついたとしたら私は監督を尊敬するね。

・天下のジャック・スパロウ&男勝りのお嬢様エリザベス&インパクトのある悪役デイビー・ジョーンズに挟まれては、やはりいい子ちゃんのウィルは存在感が薄いのです。結局いいところは全部ジャックに持っていかれてるし。今回なんか活躍したか?
あとウィルのお父さんがフジツボだらけになって出てきましたが、正直、今更なんでお父さんが出てくるの?と思わないでもない。ストーリーを盛り上げるために父と子の感動的なエピソードが欲しかったのかもしれないけど、ぶっちゃけ感動しませんでした。

・エリザベスってなんかイヤな女だな・・・。クライマックスでジャックにしたことが許せん。その上、その直前になんでキス(しかも濃い)する必要があんのよ!?ますます許せん。←そこかい。
まあサービスシーンなんだろうけどさ。でもなんかちょっとやだな。

・血が飛んだりとか、結構グロかったのが意外でした。そんで敵の怪物たちがほんとに不気味で不快。なんか悪臭漂ってきそうな気持ち悪さ。あれはお子様には刺激が強いんじゃないかと思うのですが。

・デイビー・ジョーンズの声、あの気だるいしゃべり方がなんかビル・ナイみたい、などと思っていたらほんとにビル・ナイでした。や、結構好きな俳優なもので。あれはフルCGキャラで、彼は声だけ当てているのかな?もしかしたら次回作で、タコ怪物になる前のデイビー・ジョーンズの姿が見られるかもしれません。


しかし、なんかもーとにかくほんとに盛りだくさんなんですが。コレ次の3作目が最終章なんでしょうか?気になることたくさんあるんですけど、ちゃんと収集つけられるのかな。ラストにあの人も出てきたし・・・。にしても、「ここで終わるんかい!!」と、久々に地団駄踏みたくなるような終わり方でしたね。

ジャック・スパロウ、ほんとにヘンですごく面白いんですが、やはり見慣れてしまったからなのか1作目のようなインパクトはありません。しかし、実に楽しそうにジャックを演じるジョニー・デップを観ていると、なんだかとても幸せな気分になれます。そして、デップの引き出しの多さにいつも感動します。「チャリチョコ」もそうでしたが、普段のデップからは想像もつかないキテレツぶりですよね。普段は割とおとなしそうな感じなのに。
今までも二人とないインパクトのある役をやってきてる彼ですが、これからもっともっと俳優として良くなっていくような気がします。
とりあえず、今年は「リバティーン」見逃してしまった・・・。ほんとはこっちの方が「パイレーツ」よりも観たかったのだ。

プルートで朝食を

2006年07月24日 | 映画「は」行
赤ちゃんの頃、教会に捨てられたパトリック・″キトゥン″・ブレイデン。
彼はとある一家に養子として引き取られるが、小さい頃から女装癖があり、煌びやかなものが大好きで、周囲から「変わったコ」扱いされていた。
成長したパトリックは居心地の悪い故郷を出て、ほんとうの母親を探すためにロンドンへと旅立つ。


扱っている題材は結構ヘビーだ。そんでもってキトゥンの人生もかなり波乱万丈だ。
彼女(とあえて呼ばせていただく)はもともと捨て子で、家族の愛情に恵まれずに育った。加えてその趣味が小さな町では偏見や差別の対象ともなったし、豊かな想像力のおかげで学校ではフダつきの問題児。
彼女はいわゆる「性同一性障害」だった。気持ちは女の子なのに体は男。自分は一体どっちなんだろう?彼女は自分という存在を確かなものにしたくて、自らを空想上の人物「キトゥン」と名乗ったのかもしれない。
そして時代は1970年代のイギリス。
北アイルランド独立を巡ってIRAテロが頻発していた頃。それはキトゥンにも少なからず影響を及ぼす。大好きな友人をテロで亡くしたり、親友の恋人がIRAに関わって殺されたり、自身もテロ犯と間違われてキツイ尋問を受けたり。
でも、この映画はそんな重さや凄惨さを微塵も感じさせない。
キトゥンの生き方がそうであるように、全編通して軽やかで、観終わった後の爽快感はまさに絶品。

真剣に、シリアスに、真面目に。キトゥンはそんな言葉が大嫌い。かといって彼女が不真面目なのかといったら、全然そうじゃない。
彼女はあくまで自分の人生を自分らしく生きようとしているだけ。
当時のアイルランドはまさに激動の時代だっただろう。そんな中、どれだけ辛い目にあっても、恋人に裏切られても捨てられても、死にそうになっても、自分は自分、それをとことん貫き通す。貫けるだけの強さを、彼女はずっと持っている。甘々なだけじゃない。毒も棘もある。
なんとまあ痛快なキャラクターなんでしょう。こんなに魅力的な主人公にはなかなかお目にかかれない。

それに加え、キトゥンの可愛らしさ愛らしさは一体どうしたことか。いまだかつてこんなに可愛らしい女装キャラは観た覚えがありません。
「綺麗」ではないの。「可愛い」の。とにかく全てが。
キトゥンを演じたキリアン・マーフィーはどことなく中性的なイメージで、決して「男らしい」といった感じの俳優さんではなかった。加えて、美形なのかブサなのか、よくわからない紙一重な顔立ちでもあった(あくまで自分比)←ファンの方すいません。
なのにこのハマリようは一体何!?もしかして、ああいう顔立ちだからこそ女装や化粧が映えるのか?キトゥンというふわふわしたキャラクターを、妙にリアルに感じられる。ごくごく自然に、当たり前のようにキトゥンに成りきっていたと思うのです。
キトゥンの目がもんのすごーーーく綺麗なブルーだったけど、あれはコンタクトとかCG加工しているわけではないんですよね?地なんですよね?

キトゥンの周りにいる人達も印象的。この映画、すごくキャラが立っていて非常に魅力的なのだ。そんでもって、キトゥンに関わる全ての人達とのエピソードがまた素敵。
私が一番好きなのが、親友チャーリーとのエピソード。テロ活動に関わる恋人の子供を妊娠してしまったチャーリー。子供の将来に希望を見出せないチャーリーは、堕ろすつもりで病院に出向くが、どうも腹をくくれない様子。そこでキトゥンは心ならずも、おそらく彼女の背中を押すつもりで言ったのだろう。「きっと私みたいな最悪な子供が生まれるわ」。
しかしチャーリーはその一言で子供を生む決意を固める。「そんな最悪なあなたが大好きなの」。
なんかいいなあ・・・この二人の友情。なんとも不思議な強い絆。

お母さんを探しに行って、最終的にお父さんを見つける、というのもまた粋なオチですよね。そんでもって、キトゥンは最後に家族を手に入れる。お父さんと、親友チャーリーと、その子供と。
観ていて非常に気持ちの良い、後味すっきりな素敵な映画でありました。イヤ~好きだなあこういうの。

ホワイト・プラネット

2006年07月22日 | 映画「は」行
こういう映画を観た後は少なからず省エネを意識してしまう。「あ、テレビの主電源を切らなければ」とか。


ここ数年続いているネイチャードキュメンタリー映画。どれも素晴らしかった。
この映画もおもしろかったのだけれど、なんとなく見慣れてしまった感はあるかも・・・。
映画自体は環境保護をそれほど全面に押し出しているわけではありません。あくまで北極に生きる動物達の、ありのままの生態を映し出した動物ドキュメンタリーです。
しかし、「数十年後にはなくなっているかもしれない世界」だとわかって観ているので、映像自体が無言の強いメッセージとなって、観る側に強く訴えてきていると思います。

あんな極寒の地でもたくさんの生命が存在している。そしてはるか昔から何代にも渡って生命を育んでいる、という当たり前のことに、素直に感動しました。
そんでもって、やはり自然の厳しさを改めて痛感しました。
可愛らしいアザラシや、リス(ねずみかな?)が食べられちゃったりするシーンなどは正直観ていて辛いものがあるんだけど、それだって自然界では至極当然のこと。目を背けてはいけないし、お互い「糧」がなければ生きていけない。食う食われるの関係が壊れてしまったら、温暖化云々の前にあの世界は到底成り立っていけないのです。
生きていくことが闘いでもある。もし自分があの世界に生まれていたら、到底生き残っていけないだろうなあと、こういう動物ドキュメンタリーを観ているとつくづく思います。

そして、生き物ってほんとうに不思議だなあ、ということにも改めて感動したり。
100日間何も食べずに穴の中で子育てをするシロクマ。
生まれてすぐに何百キロの長い道のりを、エサを求めて民族大移動するカリブー。
海の中で、子供を抱きかかえるようにして授乳するセイウチ。
空を飛べるだけじゃなく、ペンギンのように海にも潜れるウミガラス。
ジャコウウシが縄張り争いをするシーンは、ドタマ割れるんじゃないかと心配してしまうくらいの迫力があった。

その生態や行動はほんとうに不思議。だからこそ惹かれるのかもしれない。


ところでこの映画を観た日は、仙台で30℃を越した唯一の真夏日でした。
その日以外は天気も悪く涼しい天候ばかり。蒸し暑い時に観ることができて、涼めたし、癒されたし、ラッキーでした。

ブレイブ ストーリー

2006年07月17日 | 映画「は」行
小学5年生のワタルはごくごく普通の男の子。両親と3人暮らし、普通の生活を送っていた。
が、ある日突然両親が離婚。父親は家を出て行き、母は倒れて入院してしまう。
ワタルは幽霊ビルで出会った謎めいた転校生、ミツルの言葉を思い出す。「扉の向こうに行けば、運命を変えることができる。」
ワタルは自分の運命を変えるため、扉の向こうの不思議な世界「ヴィジョン」に足を踏み入れる。


こないだの「月イチゴロー」で、ゴロちゃんが「子供向けの映画だ」と言っていた。
確かにゲーム感覚というか、ファンタジー冒険モノとしてのカラーが強く描かれているので、そういう意味では子供向けなんだろうとは思う。
とは言いつつ両親の離婚とか無理心中とか、結構シビア過ぎないか?
でもこの映画に込められているメッセージって実はとても深くて、生きてく上ではごく当たり前な、とても大切なこと。それは子供だけじゃなく大人にも共通して言えることだし、まさしく今タイムリーだと言えるでしょう。

でも、それが果たして子供にきちんと伝わっているのかどうかが疑問。
その大切なメッセージを伝えるまさに重要なシーンが、混沌としたクライマックスに紛れて、よくわからないままにバタバタと過ぎてしまったような気がする。なので単なるアドベンチャー映画にしか映ってないって子が、実は多いんじゃないか。せっかくいいテーマを扱っているのに、演出があんまり上手じゃないように思えて、もったいない。
むしろ親向きの映画なんじゃないかな。親が子供に教えなくちゃいけないことがたくさん詰まっていると思うのです。

原作は宮部みゆきの長編小説らしい。
おそらくたくさんはしょってるんだろう。原作の内容を全く知らない私でも、その辺のはしょり具合はなんとなく想像できる。
やはりコレも、あの原作を映画化するのは無理があった・・・とか言われちゃう映画なんだろうか。何も映画じゃなくても、漫画化とか普通にテレビアニメ化とかじゃだめだったのかな。
話としては別に目新しくもないけど、伝えようとするメッセージはほんとすごくいいと思うんですよ。「ドラクエ」とかのRPGってあるのは達成感だけだもんね、メッセージなんてイマイチ伝わってこないし。
なのでこの話も、無理矢理2時間弱に収めようとせず、もっとゆっくりじっくり映像化していけばよかったのに。それゆえ漫画またはテレビアニメでもよかったかな、と思った次第です。


個人的に「アニメの声優は本職に任せとけ!」って考えの人間ですが、この映画はみんな違和感がなくて、キャラクターと声が合っていて良かったです。
思うに声優に向いている人とそうでない人がいるのでしょう。特に松たか子は声優向きなんだと思う。女優としての彼女も結構好きですが、小学生の男の子役もすごく合ってましたね。ほんと上手でした。
なんとなく、ジ○リの配役が下手なだけなのか?という気がしないでもない。そういう意味ではこの映画はみんなとても上手だった。アニメって声すごく大事ですよね。なんだか今度の「ゲド戦記」が心配になってきた・・・。

間宮兄弟

2006年07月16日 | 映画「ま」行
ビールの商品開発をしている兄・明信と、校務員の弟・徹信。
間宮兄弟は30代の今になっても、子供の頃から変わらずとても仲が良い。
一緒に横浜ベイスターズを応援し、DVDを鑑賞し、銭湯へ行き、グリコじゃんけんをしながら商店街で買い物し、一日の終わりは枕を並べて反省会をする。
女っ気はないけれど、兄弟二人それなりに楽しく、小さな幸せを感じながら暮らしていた。
そんな二人に、お互い気になる女性が現れる。


なんていうか、一種のおとぎ話ですよねコレ。
現実にはいるはずのない兄弟。自分の世界を生きている兄弟。浮世離れしている兄弟。生身の男のリアルさを感じないところが、いかにもおとぎ話って感じだ。
女にモテず、30代半ば独身で兄弟二人暮らし、何をするにもどこに行くのも一緒・・・実際にいたら二人の抱える問題はかーなり切実だし、相当イタイのではないか。

でもアナログで汚れてないところがなんとなく安心させられるというか。
大の大人が子供のように仲が良いなんて現実にはあり得ないわけだし、だからこそ子供がそのまんま大人になったような二人の姿が微笑ましくもあり少しほっとする。
それに今の殺伐とした兄弟親子関係を考えると、間宮兄弟、または間宮母子の関係ってまさに究極の理想なんじゃないの?と思わなくもない。離れて暮らしていてもお互いを思いやる、誕生日には母を東京に誘って一緒に食事ってのは、すごくいいエピソードだと思った。
そんでもって間宮兄弟も、いつも一緒でお互い支えあってはいるけれど、決して依存してるわけではないんだよね。間宮一家はそれぞれ自分の世界を持っていて、その中で生きている。独特の視点と兄弟に対する温かい視線がなんとなく心地いい。

佐々木蔵之介さんとドランクドラゴンの塚地。体系も顔立ちもまったく違う二人が兄弟役なんて、一体なんで?と最初は思ったけど、映画が始まるとどうやっても兄弟にしか見えない。不思議だ。
あとお母さん役の中島みゆきが飄々としていてすごく良かった。この母にしてこの子ありというか。でもあれは演技じゃなくてきっと彼女の地なんだろうな。

しかしですね、映画は二人の現実離れした日常を淡々と描いていて、大きな展開もないし、正直退屈なんですのよ。
いかに兄弟が独自路線を行ってるかってことがメインなので、おもしろいとは思ってもなんか意味不明だし、「ふーん」としか思えないこともいくつかあり・・・。
それに、二人が好意を抱く女性、依子先生とビデオ屋の店員直美ちゃんには映画の冒頭でそれぞれ彼氏がいることを明らかにしちゃってるので、「ああこの兄弟きっとふられちゃうんだろうなあ」となんとなく想像できてしまうのです。
しかし、最後のシーンの電話は一体誰からだったんだろう?二人のあの表情、とても気になる・・・。

ゆる~い内容とゆる~い登場人物。ま、映画だからオールオッケーなわけなんだけどさ。こういう兄弟、いたっていいじゃない?いたら楽しいんじゃない?と思わされる映画でありました。

佐賀のがばいばあちゃん

2006年07月09日 | 映画「さ」行
出張中のサラリーマンが、広島駅である男の子を見かける。
母親に見送られて一人で新幹線に乗り、心細さから涙を流す小さなその姿に、彼は幼い頃の自分を重ねていた。
父親を早くに亡くし、居酒屋で働く母親と兄の3人で、広島で暮らしていた明広。しかし、母親は夜の仕事を続けながら二人の子供を育てることの難しさを感じ、悩んだ末に明広を手放すことに。明広はある日突然、佐賀のおばあちゃんのところに預けられることになる。


これは一人の少年の成長モノとしても、家族モノとしても非常に素晴らしい映画だと思います。こういう映画こそ、もっと全国規模で上映すべきだと思うんだけどなあ。
映画のテーマも、ものすごいタイムリーじゃないですか?
そりゃあ確かにお金は大事だよ。ってCMでも言ってるし、ないよりあったほうがイイに決まってる。でもそれだけが全てじゃないよね。
株で一晩で何億何千円儲けたとかいう話を聞くと、そりゃちょっとは(いやかなり)羨ましいけど「何かがおかしい」と思うもん。完全に金銭感覚が崩壊してるよね。金儲けできりゃそれでいいのか?それで幸せなのか?
最近バラエティ番組でも「○○のセレブ!」とか常識ハズレのお金持ちがたくさん出てきますが、それよりも「銭金」でビンボー生活している人達のほうが何か心が豊かだし楽しそうに見えるのは私だけでしょうか。

それこそこの映画に出てくるばあちゃんもそうだ。
とにかくばあちゃんのビンボー哲学が素晴らしい。
・世の中拾うもんはあっても捨てるもんはない
・ケチは最低、節約は天才
・ビンボーには暗いビンボーと明るいビンボーがいる。明るいビンボーは悪いもんじゃない。
まさにばあちゃんは先祖代々?続く根っからの明るいビンボーだった。
物は考え様とはよく言ったもの。このばあちゃんのビンボー哲学は、人生いかに楽しく生きるかってことにも通じていた。それは徹底して一貫していた。ばあちゃんの考え方には一本ぶっとい筋がでんっと通っていて、決して揺らぐことはなかった。実に潔くかっこいい。

ばあちゃんのいいところはそれだけじゃない。普段は何も買わないビンボー生活だけど、特別な日には妙に太っ腹なところをみせる。
明広が野球部のキャプテンになった時、一番いいスパイクを履かねば!と言って、2000円ちょっとのスパイクをなぜか無理矢理1万円で買おうとする。このわけのわからなさがまた微笑ましい。でもばあちゃんのこの気持ち、わからないわけでもない。

そんなばあちゃんに育てられた明広。最初はお母さんを恋しがって泣いてばかりだった。まだ小さかったのだから無理もない。
でも、明広は友達にも恵まれて伸びやかにすくすくと成長していく。
ビンボーだからと卑屈になることもない。駄々をこねてばあちゃんを困らせることもない。掃除婦として今も現役で働くばあちゃんの手伝いを嫌がらずにすすんでこなし、その上ばあちゃんのことを作文に書いたり、こっそりバイトしてメガネを買ってあげたりと、ばあちゃん泣かせのこともする。実に素直ないい子なのだ。
運動神経はめっぽう良かったけど、勉強はさっぱりだった。でもばあちゃんは、明広の成績が悪いことなんて全く気にしていなかった。それどころか、電気代の無駄だから夜遅くまで勉強するなとまで言い放つ。素敵。

結局、世の中お金が全てじゃないように、勉強できればいいってもんでもない。何が一番大切かって、やっぱりいかに心を豊かにして生きていくかってことなんじゃないかしら。当たり前のことなのにみんな忘れてしまっている。稼がなきゃ、テストでいい点取らなくちゃと必死こく前に、人生にはもっと大切なことがあると、ばあちゃんに教えてもらったような気がします。

まだ10歳にもならない明広が母親と別れ、その後再会できたのは彼が中学3年生になってから。
そしてその後、中学卒業と同時に明広は広島に戻ることになる。それまでの人生の、おそらく半分近くを過ごしたばあちゃんのもとを離れて。
明広は小学生の時、「ぼくのおかあさん」という作文の中でばあちゃんのことを書いた。ぼくにはおかあさんが二人いる。広島にいるおかあさんと、一緒に暮らしているばあちゃんと。
最も多感な少年時代に、ばあちゃんの愛情を一身に受けてすくすく育った明広。その別れは、おそらく幼い頃母親と別れた時よりも、ずっと辛いものになったんじゃないだろうか。孫の前では涙を見せまいと、わざと突っ張った態度を見せてしまうばあちゃんがなんとも言えず愛おしかった。

なんだかとてもあったかく優しい気持ちになりました。皆さん、観に行くときは是非ハンカチ必携でお願いします!

ココシリ

2006年07月02日 | 映画「か」行
チベット最後の秘境、ココシリ。
その毛皮が高級毛織物の原料となるチベットカモシカは、密猟者により乱獲されわずかの間に100万頭から1万頭にまで激減してしまっていた。
先祖から受け継いだ壮大な自然を守るため、密猟者と命掛けの闘いを続ける山岳パトロール隊の、実話に基づいた物語。


文字通りの命掛けだった。
密猟者との闘いはもちろん、厳しい自然環境との闘いでもある。美しく壮大なココシリの自然が、何度も何度も彼らの行く手を遮ろうとする。
流砂、吹雪、そして標高4700メートルの世界では、少し走っただけでも息が切れ重い高山病を招く。
彼らが敬い崇める神聖な場所ココシリは、とても恐ろしい場所でもあった。いつ密猟者に撃たれるかわからない。流砂や吹雪に襲われるかわからない。
過酷なパトロール。命を落とす者もいる。期間が長くなればなるほど、その可能性は高くなる。それでも彼らは、山を離れ、またしばらくするとここに戻って来たくなると言う。

パトロール隊は国や県から援助を受けているわけでもなく、地元の有志によるものだ。隊員は1年以上も無給で働き、その上常に命の危険にさらされている。
しかし、だ。彼らの行動はもちろん称賛されるべきものではあるけれど、続けるためには綺麗ごとばかり言っていられないのが現状だ。
資金調達のため、押収した毛皮を売りさばくことだってある。目的を果たすために、時には命を犠牲にしなければならないことだってある。

そして、密猟者にも同じことが言える。カモシカを撃つのと同じように人を殺せるその神経には寒気がするが、かと言って彼らの全てが悪人なわけではないのだ。かつては放牧で生計を立てていた老人。しかし草原が砂漠になり、それが続けられなくなった。食べていくために、生きるために密猟に関わっているという、誰にも責めることができない現実。

パトロール隊の男達。彼らは過酷な任務をこなしてはいるけれど、一方で家庭を持ち家族を愛する普通の男性でもあるのだ。
真剣でまっすぐなあまり粗野なところもあるけれど、ココシリを守るという使命に燃え、自分達の仕事を心から誇りに思っている。土や泥で汚れた武骨な顔は、ココシリの自然と同じくらい、とても美しかった。

カリスマとも言える存在感を放っていた隊長のリータイ。そして、パトロール隊に同行するうち、次第に表情が男らしくなっていった新聞記者のガイ。
ココシリの現状がマスコミに取り上げられ、国がチベットカモシカの保護に乗り出した。ココシリの状況は変わった。公の機関が関わるようになり、たくさんのボランティアの働きによって、チベットカモシカはその後5万まで増えたという。
山岳パトロールで命を落としてしまった人達も、これで少しは報われるんじゃないかな・・・。圧倒的な自然を映し出した映像から、何か痛烈なメッセージを受けたような気がした。

ナイロビの蜂

2006年07月02日 | 映画「な」行
ナイロビに赴任中の外交官・ジャスティンの妻テッサが、無残な他殺体となって発見される。テッサは熱心な救援活動家で、ある人物に会うためにロキへ赴き、帰ってくる途中での出来事だった。
テッサは何故殺されたのか?盗賊に襲われた?それとも・・・。ある日、テッサのパソコンやデータが警察に押収された。そして、彼女の遺品の中からとある手紙を発見し、ジャスティンはその死に疑問を抱くようになる。

彼らはまるで正反対の夫婦だった。ジャスティンは温厚でガーデニングが趣味。どちらかというと事なかれ主義の一面がある。一方テッサはとても情熱的で、強い正義感、使命感に燃えていた。この二人、愛し合ってはいたけれどお互いの仕事や行動には興味がない様子。必要でないことは何も話さなかった。
ジャスティンはテッサの死後、彼女のことを何もわかっていなかったことに気づく。彼女が親密にしていた医師アーノルドとの関係。我を忘れて取り組んでいた行動が一体何だったのか。ジャスティンはテッサの足跡を辿るうち、国家ぐるみの陰謀に関わっていたことを突き止めるのだが・・・。


まずテッサの行動力に驚かされる。正直そこまでやるか?というほど、すごい。
妊娠中にもかかわらず、大きなお腹を抱えてあちこち外出し、たくさんの人と接する。それこそ、衛生環境が良くないような場所でも。
ジャスティンとの出会いもそうだったように、権力者に対しても全く臆することなく、正面きって自分の考えや批判をズバッと言ってのける。ジャスティンと結婚したのも、ただ単にアフリカに行きたかったからじゃないのかとも思えたくらいだ。周りの迷惑顧みず、ただ自分の信念に忠実であろうとするテッサ。
一体、何が彼女をあそこまで突き動かしていたのだろう?無謀、いや一部独善的とも思えるテッサの行動に、私は全く共感できなかった。確かに製薬会社が行っていたことは決して許されることじゃない。その上、それで利益を得てのうのうとしている人達がいることもまた腹立たしい。
でも相手は大企業、そして国家だ。しかも世界を揺るがしかねない陰謀が背景にある。一個人に何ができるというのか?命の危険を冒してまで、何故そこまで?

テッサは世の中のいろんなことに対して見て見ぬフリが出来ない人だった。何かせずにはいられなかった。一人でも、小さな力でもそこから何かを変えられると心から信じていた。
それ故に陰謀に巻き込まれ、不慮の死を遂げてしまう。
大抵の人は、目をつぶって自分の生活を守ろうとする。優秀な外交官の優しい夫。愛する人がいて、愛されて、そこで落ち着くことは彼女の頭にはなかったのだろうか。だとしたらそれが哀しい。


壮大なラブストーリーかと思ってましたが、実際はかなり重厚なサスペンスでした。サスペンスと夫婦愛が巧い具合に絡んでいたと思います。それに加え、今アフリカが抱える悲惨な現状が淡々と描かれていたことが印象的。「シティ・オブ・ゴッド」は未見ですが、それこそドキュメンタリーに近いような迫力もありました。
人体実験がもし事実だったらさすがにヤバイですが・・・。でも、例え人体実験とまで行かなくても、国が企業と絡んで利益を搾取なんて話は、少なからずあるのかもしれません。
改めて、アフリカってほんとに治安が悪いんですね。盗賊が部族を襲って子供を連れて行くとか、怖すぎる・・・。誘拐してどうするんだろう?その先にあるものを考えると恐ろしくなってくる。
救援部隊はあくまで食料やそれなりの医療行為を施すだけ。彼らの生活そのものを救援してくれるわけではないという現実も突きつけられました。
それでも、昔よりはだいぶ良くなったのかな・・・わからないけど。

レイチェル・ワイズがオスカーを獲ったことが話題になりましたが、レイフ・ファインズも負けず劣らず良かったです。悲しみを押し殺す演技が印象的でした。
もちろん、レイチェル・ワイズも活き活きとした情熱的なテッサに成りきっていて素晴らしかったと思います。