「サッカー」ではなく、「フットボール」なのです。
彼らに言わせれば、「サッカー」なんて言い方クソ食らえなんだそうです。なので今回は彼らの精神にならい、「フットボール」と言わせていただくことにします。
身に覚えのない濡れ衣を着せられてハーバード大学を退学処分になったマットは、失意のまま姉が暮らすロンドンへ。そこで姉の夫の弟、ピートと出会う。ウェストハム・ユナイデッドのフーリガン・ファーム”GSE”のカリスマ的リーダーであるピートの影響で、マットは次第に暴力的なフーリガンの世界に没頭していく。
たかがフットボール、されどフットボール・・・。
ううむ、これはなかなか理解しがたい世界の話だわ。
熱狂的になる人の気持ちはわかる。しかし、それがなんで暴力につながるのかがさっぱりわからん。なんで暴力に走るかね?別に暴れなくたっていいのに。みんなで楽しく、わいわい観戦すればいいじゃないの。
その一方で、やはり母国、フットボールは文化、そして歴史の一部になっていることも実感した。チームに歴史あれば、サポーターにもまた歴史あり(オフィシャルサイトにはウェストハムとミルウォールの因縁も詳しくのってます)。そして、こういう国にはまだまだ敵わないなあなどと思ってしまったのでありました。
イライジャとロンドン。イライジャとフットボール。イライジャと暴力。
どうもミスマッチだ。その感覚が、マットの置かれている立場そのものに絶妙にリンクしている。イライジャはマット役には最適でしょう。
「アメリカ人にフットボールの何がわかる」この言葉に全てが集約されているように思う。
マットはとある出来事をきっかけに周囲から仲間として認められ、次第になじんでいく。しかし、それも短い間のことだった。ささいな誤解が大きな溝を生み、取り返しのつかない悲劇を招いてしまう。
やっぱり、マットは最初から蚊帳の外だったのだ。それはもしかしたらイングランドの遺伝子を持つ者にしか許されていない、と言ったら大げさかな。
よその人間が入っていけない世界、それがフーリガン。小さな子供からいい年したおっさんまで、フットボールの魔力に取り憑かれた武骨な野郎共とは、いくら仲良くなったと言っても心の底から相容れることは、絶対に不可能なんだと思う。
殴る蹴るの暴力は全く理解も共感もできないけれど、彼らの団結力、そしてフットボールとおらがチームをこよなく愛する熱い心意気は、とても眩しく映った。もちろん、女もよそ者であり、だからこそ女性である監督は、決して入ることのできない世界にある種の憧れを込めて、この映画を作ったのかもしれません。
失ったものの代償は大きかったけれど、マットは成長した。ラストシーンの彼は、かつて逃げるようにしてアメリカを離れた彼とは明らかに違っていた。それがせめてもの救い。
ピート役のチャーリー・ハナムくんの面構えが素晴らしい。この映画が「21世紀のトレインスポッティング」と言われるのはちと違うと思うけど、ハナム君はトレスポのユアンにちょっと似てますね。つばつけとこ。
彼はただ単に暴力的なフーリガンのリーダーだけなんじゃなくて、普段は子供達にフットボールと歴史を教えたりしてる、ごく普通のお兄ちゃんな一面もあるのだ。それは他のフーリガン達にも言えることで、彼らにも一人の男性としての生活があるわけです。そんな彼らがあそこまで暴力に身を費やす。なんだか複雑です。
ほんと、暴力抜きでもっと楽しく観戦しましょうよ。命を落としたらどうにもならないんだから。死んでしまったらおしまいなんだから・・・。
彼らに言わせれば、「サッカー」なんて言い方クソ食らえなんだそうです。なので今回は彼らの精神にならい、「フットボール」と言わせていただくことにします。
身に覚えのない濡れ衣を着せられてハーバード大学を退学処分になったマットは、失意のまま姉が暮らすロンドンへ。そこで姉の夫の弟、ピートと出会う。ウェストハム・ユナイデッドのフーリガン・ファーム”GSE”のカリスマ的リーダーであるピートの影響で、マットは次第に暴力的なフーリガンの世界に没頭していく。
たかがフットボール、されどフットボール・・・。
ううむ、これはなかなか理解しがたい世界の話だわ。
熱狂的になる人の気持ちはわかる。しかし、それがなんで暴力につながるのかがさっぱりわからん。なんで暴力に走るかね?別に暴れなくたっていいのに。みんなで楽しく、わいわい観戦すればいいじゃないの。
その一方で、やはり母国、フットボールは文化、そして歴史の一部になっていることも実感した。チームに歴史あれば、サポーターにもまた歴史あり(オフィシャルサイトにはウェストハムとミルウォールの因縁も詳しくのってます)。そして、こういう国にはまだまだ敵わないなあなどと思ってしまったのでありました。
イライジャとロンドン。イライジャとフットボール。イライジャと暴力。
どうもミスマッチだ。その感覚が、マットの置かれている立場そのものに絶妙にリンクしている。イライジャはマット役には最適でしょう。
「アメリカ人にフットボールの何がわかる」この言葉に全てが集約されているように思う。
マットはとある出来事をきっかけに周囲から仲間として認められ、次第になじんでいく。しかし、それも短い間のことだった。ささいな誤解が大きな溝を生み、取り返しのつかない悲劇を招いてしまう。
やっぱり、マットは最初から蚊帳の外だったのだ。それはもしかしたらイングランドの遺伝子を持つ者にしか許されていない、と言ったら大げさかな。
よその人間が入っていけない世界、それがフーリガン。小さな子供からいい年したおっさんまで、フットボールの魔力に取り憑かれた武骨な野郎共とは、いくら仲良くなったと言っても心の底から相容れることは、絶対に不可能なんだと思う。
殴る蹴るの暴力は全く理解も共感もできないけれど、彼らの団結力、そしてフットボールとおらがチームをこよなく愛する熱い心意気は、とても眩しく映った。もちろん、女もよそ者であり、だからこそ女性である監督は、決して入ることのできない世界にある種の憧れを込めて、この映画を作ったのかもしれません。
失ったものの代償は大きかったけれど、マットは成長した。ラストシーンの彼は、かつて逃げるようにしてアメリカを離れた彼とは明らかに違っていた。それがせめてもの救い。
ピート役のチャーリー・ハナムくんの面構えが素晴らしい。この映画が「21世紀のトレインスポッティング」と言われるのはちと違うと思うけど、ハナム君はトレスポのユアンにちょっと似てますね。つばつけとこ。
彼はただ単に暴力的なフーリガンのリーダーだけなんじゃなくて、普段は子供達にフットボールと歴史を教えたりしてる、ごく普通のお兄ちゃんな一面もあるのだ。それは他のフーリガン達にも言えることで、彼らにも一人の男性としての生活があるわけです。そんな彼らがあそこまで暴力に身を費やす。なんだか複雑です。
ほんと、暴力抜きでもっと楽しく観戦しましょうよ。命を落としたらどうにもならないんだから。死んでしまったらおしまいなんだから・・・。
女性監督なんだそうですね。TBさせていただきました~
暴力三昧ですもんね。母国での反応はどうだったんでしょうか。
女性監督とは思えないほどの骨太さ!結構おもしろかったです。