八ヶ岳山麓の暮らし

標高およそ1,200mの八ヶ岳山麓で、見たり聞いたり経験したことを気ままに書いています。

釜無ホテイアツモリソウの再生

2017-07-28 06:39:50 | 日記
 私がその花を見たのは、入笠山の山小屋の庭とゴンドラ山頂駅で何回か開催していた愛好家による展示会であった。赤紫色が濃く、花が大振りで見応えがある固有種であったため乱獲や盗掘で激減し、1997年環境省から「特定国内希少野生動植物種」に指定された。この花については、地元のお年寄りが子供の頃、花を踏んだり蹴飛ばして歩けるほど一面に自生していて、履物や衣服が花色に染まって親からよく叱られたという話を聞いたことがある。

 町と関係者、富士見高校、(株)ニチレイなどで組織された“町アツモリソウ再生会議”によって、種から株を育て開花させる取り組みが2007年から始まった。その取り組みと開花までの様子を、当時の新聞記事から以下に要約して紹介する。発足した2006年当時は、自生地にはたった4株しか確認出来なかったという。そこで地元愛好家の元にあった自生種から種を集め、ニチレイがフラスコ内での発芽に成功させた。

 2007~2010年に発芽した35,000株を、再生会議の会員と富士見高校などが引き受け、自然環境下で育てていた。2014年春までに猛暑やゼニゴケから生き延びた約1万株の中から、2013年に1株、2014年にもう1株、ようやく開花にこぎつけた。開花までに6~7年かかるということだが、2013年2輪開花した株は2014年6輪に増えたように、株の成長に合わせては花数も多くなることがわかった。

 自生地の株も、盗掘監視や保護活動によって少しずつ増えている。2015年はフラスコから発芽した株から、かなりの数の開花が見られた。絶滅しかかっていた“釜無ホテイアツモリソウ”が、種から発芽させる培養技術の確立により再生の兆しが見えてきた。自生地に戻すだけではなく、栽培品種として町の新たな特産になる期待も大きい。自宅の庭で育てられるようになれば、なおのこと嬉しいことなる。
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昆虫の甘露煮

2017-07-21 00:49:27 | 日記
 私が初めてイナゴの甘露煮を食べたのは、シニア大学の同期会旅行のバスの中だった。同じ町内のA子さんが、稲刈り前の夜の田んぼで、冷え込みで動けないでいるのを懐中電灯で見つけては摑み取りし、甘露煮にしたのだという。回って来たのを少しもらって食べてみると、何の違和感もなく美味だった。昔は子供たちがイナゴ取りをさせられた経験があるということで、米を作っている家では、今もこの地ではイナゴの甘露煮を好んで食べている家庭もあるようだ。

 ハチの子とはクロスズメバチの幼虫だが、イナゴ同様に甘露煮として当地の特産店で売られている。イナゴの方は150gで715円、ハチの子のそれは350g4,743円と高価だった。クロスズメバチの幼虫は、以前このブログ“スガレ追い”で書いたように、巣を見つけて掘り出すのが大変なので高価なのは止むを得ないことだ。よく耳にするザザムシとはカワゲラ、トビケラ、ヘビトンボなど水生昆虫の幼虫の総称で、甘露煮にして売られている。こちらは長野県伊那地方の特産品である。

 また地元のKさんからは、岡谷市の養蚕博物館に行ったら家で養蚕をしていた頃よく食べていた蚕の佃煮が売られていたので、高価だったがつい買って来てしまったと聞いた。その蚕については子供時代、山梨の母の実家で生糸を取り出すのを見たことがある。蚕が繭を作ったらまとめて釜で煮て、糸車を回し数個ずつの繭玉から生糸を巻き取っていた。そのサナギを佃煮にしたものだと思うが、食べた記憶がないのは気味悪がって食べなかったのだと思う。この佃煮は、長野県飯田や大鹿村の特産品として売られている。

 昆虫の甘露煮や佃煮は、今やインターネットのamazon等からも購入できるのには驚いた。わざわざ買ってまでも食べたいとは思わないが、イナゴの甘露煮のように、食べてみたらおいしいと思えるのかもしれない。そんな機会があるかないか、信州人に勧められたら案外抵抗なく食べてしまえる珍味なのかもしれない。
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仏像展によせて(滝田 栄さんのメッセージ)

2017-07-14 04:17:06 | 日記
 2017年7月1日から9月15日まで、蓼科にある京都造形美術大学付属「康耀堂美術館」で、滝田 栄さんの仏像展が開かれている。家から車で20分ほどと近いので、7月8日、妻と行ってきた。以下に、滝田 栄さんの挨拶文を紹介する。

 心の内などというものは、とても人様になど見せられるものではないと、思うのだが、こうして自分が彫った稚拙な仏像を並べて見ると、自分の意識や思想や感性や人生のテーマの変化が見えてくる。下手くそなりに、自分の心境の変化が見えてくる。

 アメリカのブッシュ大統領がイラク攻撃を始めた時、こんな理不尽な戦争(理由なき殺人、虐殺)を始めたら、地球レベルで憎しみと憎悪が止まらなくなってしまうと、怒りが込み上げてきた。そんなことは誰でも分かることだと感じても、政治は嫌いだし、表現のしようが無かった時、仏像に祈ろうと思った。どうか、ブッシュのおバカが治りますように!アメリカに代表される人間のエゴ(自分さえよければという心)が治りますように!

 人間の無智を叱る姿をとった不動明王に、人間の無智を叱り、治してください、という思いで、200キロ以上もある大きな材木を持ち込んで、大きなノミを打ち込み始めた。気づけば、3年も彫っていた。角ばった大きなノミは、すっかり角が取れて丸ノミのように変形していた。よし、これでよしと、完成宣言をして、正対してみると、それはまさにブッシュのおバカではなく、私のおバカとエゴをにらみ、あきれかえりながら、私を叱ってくれているようだ。

 日本の政治家や外交官は、この戦争に加担することは、国益にかなうと言った。僕は、国益にかなっても、人間益を損ねる!いや、こんな大儀もない戦争(虐殺)などに加担したら、歴史をかけて育んできた、日本人の人間性が壊れてしまうと、感じていた。案の定、この戦争で生まれた消し難い憎悪がIS(イスラミックステート)という悪魔の集団を産んでしまった。昔、不動明王は呪いの呪詛などに使われたという。しかし、僕は人を呪ったことなどない。人間の無智、人類のエゴが治りますようにと、叱ってくれる仏不動明王に祈ったのだ。

 仏像製作は時間がかかる作業だ。本当なら、もっと沢山彫って、人にあげたりしたいのだが、気づくと、手元には、大きくて動かせないような物だけが残っている。でも、いちばん最初に彫った、下手くそな観音菩薩像は、大事にとってある。これは、母が亡くなった時に、僕を産み、育ててくれた母への感謝と万感の思いを込めて、観音菩薩様、どうか、素晴らしかった母が、あの世で、幸せいっぱいでいることが出来ますように、どうか、いつまでも安らかな世界で、幸せでいられますように、面倒を見てあげてくださいと、祈って彫ったものです。大阪で、レ・ミゼラブルの公演中、宿にしていたホテルで彫ったものです。下手くそですが、僕にとって大切な観音様です。

 白磁の花入れと香炉は、母の供養のために、僕がデザインしてロクロの神様と言われた中村清六先生の作業場で、作らせていただき、先生が、合作にしましょうと、香炉の脚を作ってくれたものです。世界に二つとない宝物になりました。
                            2017年7月1日



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わが町パノラマ景観地にある石像彫刻群

2017-07-07 03:13:48 | 日記
 通称“ふるさと創生事業”それはバブル経済最中の1988~1989年、当時の竹下登首相が発案した『自ら考え自ら行う公共事業』のことをいう。全国約3,300の市町村に1億円を配り、使い道については国が関与しない事業であった。わが町のそれは、私の住む別荘地域内の八ヶ岳稜線に飛び出た標高1,400mを越える高台にある。「富士見高原 創造の森」と名付けられた公園内には、1989年から10年計画で国内外の石像彫刻家に依頼した、50体の石像が自然にとけ込むように配置されている。

 私が1997年に移り住んだ後も鉢巻道路(県道484号線)沿いに作業テントが張られ、ノミやグラインダーを使う音が響き、タオル鉢巻で汗だくになって製作に励む作家たちを見ることができた。当初は駐車場までの七曲がりの道を車で行くことができたが、現在は富士見高原リゾート(株)が管理する4人乗り・軌道埋設式の自動運転カートに乗れば、25分ほどで行くことができる。

 公園のカラマツ林内には、ツツジ、石楠花、モミジ、山桜の植栽ゾーンもあり、一周30分ほどのハイキングコース沿いに50体の石像が配置されている。夫々の石像前に建てられた案内プレートに、題名、作者名と生年、出身国、製作年が記されている。立ち止まって石像と案内プレートを見比べて鑑賞するのもよし、製作者の作品に込めた思いを想像するのもよし、パノラマ景観と石像群を見て過ごす時間は楽しい。

 この公園内にある3ヶ所のパノラマ展望台からの概要は下記のとおり。
【望郷の丘展望台】
標高1,420m、遊覧カートの発着場所に近く、ここは信州の夕日百景に選ばれている。正面に甲斐駒ヶ岳、その肩越しに北岳、左方に鳳凰三山と富士山、そして右手諏訪湖のはるか向こうに乗鞍岳から槍・奥穂高など北アルプス連峰を遠望できる。
【望岳の丘展望台】
標高1,420m地点、視点を変えた甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山の展望と、関東の富士見百景に選ばれた富士の撮影ポイントでもある。初夏にニッコウキスゲの咲く草原がある。
【望峰の丘展望台】
標高1,430m地点、正面に日本百名山を書いた深田久弥終焉の山・茅ヶ岳と遠く金峰山など奥秩父連山を望む。視線を左上に移せば編笠山が見え、この公園が稜線から飛び出た特異的な場所であることがわかる。

 気に入った石像の題名・作者(生年)・出身国・製作年を以下に紹介する。
『瞑想の場・富士に捧ぐ』 ミッシェル・ポールマン(1956) ドイツ 1994
『もりへ ようこそ』 林 宏(1955) 日本 1998
『山の船』 プッソルメーニィ・イシュトバーン(1964) ハンガリー 1996
『ふたり』 アレキサンドル・バラシキーブ(1957) ルーマニア 1997
『無題』 コリン・フォスター(1954) イギリス 1989
『芽生える歓喜』 北島一夫(1941) 日本 1992
『問いかけ』 岩岡道雄(1951) 日本 1994

 わが町のふるさと創生事業・「富士見高原 創造の森」は、どのような意図と目的で作られたものか、町の担当課に聞いてみた。すると、『世界に展(ひら)かれた高原の文化都市』を目指すために、町の文化環境づくり、地域文化の発信拠点、生きた美術教育、富士見高原を訪れる人々との交流の場などを目的として、雄大なパノラマ景観を有するこの高台に、「創造と交流」をテーマに石像製作を依頼したものだと知った。

 初代地方創生大臣をつとめた石破茂は、著書“日本列島創生論”の中で、“無駄遣いではないか”と竹下登に尋ねた時の返事を次のように紹介している。『石破、それは違うんだわね。これによってその地域の知恵と力がわかるんだわね』と。30年近くを経た今日、わが町のそれは、先人の託した【文化財産】として息づいている。
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