八ヶ岳山麓の暮らし

標高およそ1,200mの八ヶ岳山麓で、見たり聞いたり経験したことを気ままに書いています。

戦没画学生の慰霊美術館「無言館」

2017-09-15 07:10:56 | 日記
 2017年9月9日 妻と、私にとっては初めての上田市にある「無言館」に行った。ここには満州に出征したのち罹病のため生還した画家・野見山暁治さんが、戦死した仲間たちへの鎮魂の思いから始めた事業を、窪島誠一郎氏が引継ぎ慰霊美術館としてオープンさせた。二つの展示館には、日中戦争や太平洋戦争により、志なかばで戦死した画学生百余名の遺作・遺品の六百余点が収蔵されている。以下は館主・窪島誠一郎氏が、開館にあたり戦没画学生たちに捧げた慰霊と鎮魂の一文である。

あなたを知らない

遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのは あなたが遺したたった一枚の絵だ

あなたの絵は 朱い血の色にそまっているが
それは人の身体を流れる血ではなく
あなたが別れた祖国の あのふるさとの夕灼け色
あなたの胸をそめている 父や母の愛の色だ

どうか恨まないでほしい
どうか咽かないでほしい
愚かな私たちが あなたがあれほど私たちに告げたかった言葉に
今ようやく 五十年も経ってたどりついたことを

どうか許してほしい
五十年を生きた私たちのだれもが
これまで一度として
あなたの絵のせつない叫びに耳を傾けなかったことを

遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのは あなたが遺したたった一枚の絵だ
その絵に刻まれた かけがえのないあなたの生命の時間だけだ

一九九七・五・二「無言館」開館の日に

 小高い岡の上にある館内の静けさと対比して、外はミンミンゼミのセミ時雨だった。展示されていたおよそ八十名、百六十点ほどの絵の下には、戦没画学生の名前、出身学校名と卒業年、出生年と出身地、戦死(病死)年月日、その状況と場所、享年が明記されていて、経験したことのない戦時下の現実を一気に思い知らされた。私には、あたら発揮できなかった才能に加え、一枚一枚の絵が発する無言の重みのようなものが感じられて、おろそかな気持ちで見て回ることができなかった。
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2 コメント

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Unknown (みほ)
2017-09-15 08:26:30
無言館には是非行ってみたいと思っていましたが、窪島氏の鎮魂の一文には涙しました。
父水上勉さんの血が脈々と流れている名文ですね!
ツアー旅行では組み込まれない無言館ですので歩けるうちに・・・・と思っていますがこの27日には上高地泊りですので残念です。
コメントありがとうございます (カラマツ)
2017-09-15 09:16:10
 良いものを見て知ることができました。
窪島さんの講演は以前に当地方であり、妻は聞きに行っていたのですが、当時の私は関心がなく残念なことをしました。

 窪島さんの父上が水上勉さんとは知りませんでした。
教えていただきありがとうございます。
機会をとらえてまた行ってみたいと思っています。

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