どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

(短編小説)『綱火』 

2017-07-07 02:01:57 | 短編小説

 

 野良着姿の男が、口笛を吹きながら畑道をやってくる。

 東海林太郎の「旅笠道中」を、前奏部分だけなぞっているのだ。

 入道雲が、くっきりとした輪郭を描いて、男の頭上にあった。

 いたずら坊主が肩を組んで、男の頭頂部を覗き込んでいるみたいだ。

「庄さん、うまいね」

 芳夫がすれ違いざまに声をかけると、庄さんの口元に微かな笑みが広がった。

 芳夫は小学二年生である。

 そんな年頃で庄さんに愛想をいうのは、大人たちの真似なのだ。

 庄さんはニヤリとしたまま、目を動かすこともなく通り過ぎた。

 芳夫が振り返ると、庄さんは色あせた紺色の半纏に荒縄を巻きつけ、空っぽの竹かごを背負っている。

 その下に穿いた股引は、ふくらはぎのあたりが破れて地肌が覗いている。

 庄さんの向かう方向には、庄さんのわずかな畑がある。

 芳夫は、庄さんがきっとキュウリでももぎに行くのだろうと想像した。

 ふたたび旅笠道中の前奏が流れてきた。

 同じ部分の旋律を繰り返し吹いて、また元へ戻る。

 芳夫は、あとに続く歌詞をなぞることができたが、庄さんは前奏が気に入っているらしい。

 夜は冷たい、心が寒い・・・・。渡り鳥かよ、おいらの旅は・・・・。

 庄さんには、家族がない。七年ほど前に母親を亡くして、以来ひとりぼっちである。

 知恵遅れとわかった幼児期から、母親が庇うようにして育ててきた。

 父親とも早くに死別している。

 庄さんは、朝起きると畑に出て、自分の農作業が終わると村人からの頼まれ仕事をして、わずかな駄賃をもらった。

 そうした日々を重ねるうちに、庄さんは四十歳を過ぎた。

 母親は庄さんの嫁取りを画策したが、うまくいかなかった。

 財産でもあれば、多少考える者も現れたであろうが、日々の食いぶちにも満たない収量の田畑では、皆に敬遠された。

 そして、母親という保護者の居なくなった家は、しだいに廃れていった。

 洗濯もせず、風呂にも入らない庄さんは、やがて垢まみれになり、伸び放題の頭髪にはシラミが棲み着いた。

 見かねた近所の主婦らが、ハサミで髪を切ってやったが、シラミが伝染ったというので大騒ぎになり、二度目からは役場が派遣してよこす老人が面倒を見るようになった。

 生活全般も、おそらく村の保護を受けていたのであろう。

 食うや食わずの生活レベルとしても、病気をすることもなく、口笛を吹いていられたのだから・・・・。

 終戦後、農村地帯では、庄さんのような男をよく見かけたものだ。

 血気さかんな若者や、分別ざかりの男たちは、あらかた戦地に駆り出されていて、終戦と共にぽちぽち復員してくる者もいたが、男の数はまだ不足していた。

 だから、戦争に取られなかった庄さんのような男たちが、そのころ目についたのかも知れない。

 

 芳夫は、田舎の生活しか知らない。それでも退屈したことがない。

 特に夏の間は、眠るのも惜しいほど張り切っていた。

 わくわくするような行事が、目白押しなのだ。

 月遅れの盆におこなう<盆綱>もそのひとつである。

 茨城県の湖沼地帯に残るその行事は、少しずつ形を変えながらも、子供たちの楽しむ催し物として伝統を引き継いでいた。

 八月十三日の迎え盆をまえに、あらかじめ村人が持ち寄った真菰で大きな蛇頭を作り、稲わらを編んだ太綱の胴体をつないで盆綱が完成する。

 五メートルを超える蛇身のあちこちに引き綱が結わえ付けられ、やがて、小学生の男子を中心にした引き手がそれをひっぱることになる。

 迎え盆の夕方、あらかじめ寺の墓地に運ばれた盆綱のまわりに、子供たちが集合する。

 ナスやキュウリを墓前に備え、盆花を飾り終わった大人たちも、しだいに集まってくる。

 夕闇が迫ってくると、人びとの手にする提灯の明かりが息づきはじめる。

 子供たちが事前に決められていた位置につくと、頃合をみて世話役の声が掛かる。

「さあ、行くべえ」

 おう、と答えて、巨大な蛇が動き出す。

 ラッセ、ラッセと叫ぶ者、ワッショ、ガッショと声を張り上げる者など様々だが、自分の耳で覚えた通りの囃子ことばを口にする。

 おそらく、仏様に向かって、盆綱に乗らっせというのが起源だろうが、神輿や山車を繰り出す際の掛け声も混じって、渾然一体となっている。

 盆綱は、集落の定められたコースをたどって、各戸に祖霊を送り届ける。

 新盆の家の前では、特別のふるまいを受け、もらった金品が後に子供たちの楽しみ会の一助になったりする。

 家々の軒先で待つ人びとの耳に、子供たちの甲高い声が聴こえると、ほどなく先導の上級生が持つ高張り提灯が見えてくる。

「来た、来た」

 女たちが、そわそわし始める。

 やがて、幻想的な紅や翠に彩られた岐阜提灯に照らされて、綱を引く十数名の子供たちのハチマキ姿が浮かび上がる。

 引く者も迎える者も一体となって、魂迎えの行事が進んでいく。

 いつになく華やいだ浴衣姿の人びとに見守られていると、芳夫たちも自然に高揚してくる。

 張り上げる声が終いにはかすれ気味になり、休憩所でふるまわれる西瓜に喉を潤した効果も尽きて、わが身のとりとめなさを感じる瞬間もある。

 役割の済んだ盆綱を沼の縁に捨てるころには、興奮の後の寂しさがひたひたと寄せてくるのだった。

 地域によっては、送り盆に盆綱を引くところもある。

 それぞれの家で労われた仏様を綱に乗せて、お寺に連れ帰るのである。

 もともとは、行き帰り一対になった行事なのだろうと、蛇頭作りの中心人物である郷土史家のおじさんがしゃべるのを聞いたことがある。

 いずれにしても、自分たちの引く盆綱に死者の霊が乗っていたという気味悪さが、勢いの消えた心の隙に忍び寄ってくるのだった。

 暗い水辺からの帰り道、赤土の切通しを仲間の少年たちと足早に通り抜ける。

 木々の枝が左右から重なるように覆いかぶさる緑のトンネルをくぐると、入り会い所の茅場に至る。

 庄さんの家は、村で一番茅場に近い。

 盆だというのに灯火の明かりもなく、ひっそりと寝静まっているように見える。

 芳夫は、庄さんの母親の魂も寺から戻ってきているのだろうかと気になったが、魂迎えにも行かない庄さんだから、母親は、こっそり自分で帰ってきているのではないかと思った。

 

 芳夫には、庄さんのほかに、もう一人気になる存在があった。

 前年の秋、村の集会所前の空き地に小屋掛けをしたサオリヨウコ一座の開演を待っていたとき、ムシロを敷き詰めた客席の後方で村人のざわめきが起こった。

 ふと視線を向けた紅白のダンダラ幕の切れ目に、女が白くぼうっと立っていた。

 芳夫の脳裏にあったのは、その女のことである。

「あれは、お政じゃねえかい?」

「んだ。めったに姿を見せたことねえのに、つられて顔出したかや・・・・」

「いつになっても、忘れらんねえとみえるなあ」

「可哀そうに、地方回りの芝居が来ると、確かめなくっちゃいられねえんだっぺ」

 女たちのおしゃべりが、芳夫の耳にも届いた。

 聞くともなく聞いていると、お政という女の過去が、おぼろげながら見えてきた。

 娘ざかりのころ、村で二晩の公演を張った地方回り一座の若衆に入れ揚げ、あとを追って半年近くも家出していた女なのだ。

 当時の例に漏れず、強引に連れ戻され、気に染まない結婚をさせられたのだが、とうとう気が狂って五里ほど離れた嫁ぎ先から送り返されてきた。

 騒動のあったころ、芳夫はまだ生まれていない。

 その後、乱れた着物姿で徘徊するお政の噂を何度か聴いたことはあるが、自分の目で見たのは初めてであった。

 お政は、ふだんは集落の中心部にある地主の文左衛門の離れに、軟禁状態で置かれているらしい。

 竹やぶに隠されて、中のことは窺い知れないが、権威を保っていたい文左衛門にとっては、叔父姪の血でつながるお政の存在は頭痛のタネであった。

 戦争で中断していた旅芝居一座が、再び村にやってきて、お政の心に火をつけた。

 娘時代に起こした駆け落ち騒動と、サオリヨウコ一座の間には何の関わりもないのだが、お政の血を騒がせるきっかけとなったことは想像に難くない。

 一度知ったら忘れられない魅惑の思い出が、お政の脳裏にちらつく。

 夜のとばりを煌々とめくり返した役者の所作が、陶酔の時を甦らせる。 

 だが、お政は、二度と芝居の仕掛けを見せてもらえない。

 ひとしきり村人の好奇の視線にさらされたあと、文左衛門の使用人に連れ戻されていった。

 

 好奇心をくすぐった前年の出来事も、日々の忙しさに紛れて忘れられていった。

 数え切れない農作業の手順を踏み、やっと米の収穫の見通しが立って腰を伸ばしたとき、今年は旅芝居の噂がないことに落胆するのだ。

 その代わりというわけではないが、盆綱が終わって間もない八月半ば過ぎに、十キロほど離れた伊那村に伝わる<綱火>を観に行くことになった。

 綱火の話は、芳夫も二度ほど聞いたことがある。

 遠い国の出来事のように思っていたが、父親の口から突然「綱火見物に連れて行ってやろう」と言われて現実になった。

 急に手触りを伴うものとなった世界が、芳夫を有頂天にさせた。

「小張の綱火にするか、高岡の綱火にするか」

 父と母は夜毎にその話題を持ち出して、会話を弾ませた。

 話によれば、高岡愛宕神社の奉納綱火は八月二十三日、小張松下流綱火は一日遅れの二十四日に行われるとのことだった。

 どちらも地域の愛宕神社に奉納されるそうだから、両地区の行事には類似性が感じられた。

 起源は、戦国時代とも慶長年間とも伝えられている。

 高岡地区も小張地区も同じ伊那村内にあり、両地区の距離はさほど離れていない。

 ただ、芳夫の住む牛久沼のほとりから何キロ離れているのかは、彼の頭の中の巻尺では計れない。

 父親の言葉によって、遠いことは遠いが歩いて行ける距離とわかって、やっと地面続きのイメージが湧いた。

 と同時に、芳夫が抱いていた夜への恐怖も、いくぶん薄らいだ。

 漠然とした空間の広がりから、灯火を頼りに抜け出す手段のあることを知ってほっとするのだった。

 綱火見物は、父親にとっても冒険のようであった。

 慎重な性格のうえ、疎開者として控えめに生きてきた習慣が、これまで父を消極的にしていた。

 終戦を迎える数ヶ月前、牛久沼の上空で空中戦があり、敵の一機を撃墜したとの情報が流れたときも、現場に近づかないよう芳夫にきつく言い渡した。

 また、時を前後して、八キロほど離れた谷田部近くの山林に飛行機が墜落したときも、父は現場に行こうとしなかった。

 そして、その時の判断が正しかったことを、家族に繰り返し自慢した。

「野次馬になったって、ろくなことがねえ」

 父は、その時、駆けつけた土地の人々を憐れむように言った。

 墜落機は激しく炎上し、周囲の松林まで黒焦げになるほどだったという。

 大やけどを負った操縦士を引きずり出して、杖で叩いた土地の者がいた。

「そしたらな、ほとんど死にかけていた煤まみれの人間が、助けてくれ・・・・と呻いたんだと」

 焼けただれて見分けがつかなかったとはいえ、祖国のために最後まで戦った飛行兵を、無残にも痛めつけてしまったのだ。

「あとから青くなったって、遅かっぺな。事情聴取で、こってり絞られたって話だ」

 先走ると大変な失敗をすることが多いんだと、父は芳夫に重ねて言い聞かせた。

 芳夫の長兄は、学徒動員だけで済んだ。

 父が晩婚だったせいで、幸運がもたらされたのだ。

 心配のタネだった父自身の徴兵も、適齢を過ぎていたため免れることになった。

 父は口には出さなかったが、心中深く喜びを噛み締めていたはずだ。

 何事にも慎重だったのは、思いがけないことで運命がひっくり返る場合があることを、身にしみて感じていたからだろう。

 

 時代が変わって、父の心もやっと解け始めたようだ。

 綱火見物を言い出したのは、象徴的な出来事だった。

 相談の結果、芳夫たち三人は、八月二十三日の高岡流綱火を見に行くことになった。

 午後、まだ陽のあるうちに家を出発し、夕暮れどきには高岡愛宕神社の境内に到着した。

 高岡地区の人びとはもとより、近隣の村人たちが浴衣姿で集まってくる。

 <繰り込み>という浄めの神事が勇壮に行われ、数十人の氏子が持つタチハナ(手筒花火)が、筒先からシューシューと火の粉を撒き散らして、周囲の闇を照らし出す。

 神域の古びた本殿、広場を囲む杜、それらが明々と立ち上がり、明滅し、数百年の澱んだ過去を浮かび上がらせる。

 火が移るかと見まごうほどの煙火の勢いに、見物人たちは興奮する。

 奇声とともに身を仰け反らせる者、蛾さながらに炎の渦に飛び込んでいく者、氏子と観衆の隔てなく高揚の極に達している。

 戦争で中断していた綱火が、昭和二十一年に再開して数年後のことである。

 祭礼の復活が目に見えて村人たちを力づけ、それを肌で確認できた喜びが、人びとの体からほとばしる。

 打ち上げ花火を合図に繰り込みが終了すると、それまで歓声を挙げていた群衆が急に静まり返る。

 まもなく櫓の上で一対のタテハナが火を噴き、主役を務める氏子たちの手締めが行われる。

 期せずして、広場の群衆から拍手が沸く。

 茫と浮かんだ法被姿の長老が、綱火奉納の口上を述べ立てる。

 いよいよ祭りの頂点に差し掛かる。

 トザイ、東西・・・・。一座高うなれど、不弁なる口上をもって申し上げ奉る。このところの喜び、他へはやらず・・・・。

 よく通る声が、耳を突き抜けていく。

 鼻腔には、煙の臭いが充満する。

 芳夫は子供心に、自分たちの村とは異質の文化を感じ取っていた。

 口上の前半のへりくだった調子に比べ、「このところの喜び、他へはやらずゥー」と引きずる抑揚が、誇りと奢りを含んでいることに気づくのだ。

 それは、綱火そのものが門外不出の形で継承されてきたための残滓と言ってもよい。

 防御的な声の色合いを、芳夫も正確に受け止め、それでも圧倒的な魅力に引き込まれてしまうのだった。

 地上八メートルほどの高さに張り渡した親綱を揺らして、最初の演物「二六三番叟」が櫓から放たれる。

 提灯を付けた人形が、仕掛け花火の火と煙に包まれて、前後左右の引き綱に操られて派手な所作を繰り返す。

 人形は首をぐるりと回転させ、一瞬のうちに四囲の見物人に表情を晒す。

 後年、その人形が呪い師を意味するものと知ったが、その夜の芳夫にはお伽噺の登場人物のように思われた。

 次の「高岡丸の舟遊び」も楽しい演目だった。

 それが終わると、いっそう激しく燃え盛る火炎の中を、亀に乗った浦島太郎がゆらりゆらりと渡り始めたので、さらに興奮した。

 賑やかなジャカニク囃子にのって、綱を操る引き手の動きも大きくなる。

 竜宮城を模った飾り小屋から、歓迎の乙姫様が侍女とともに走り出て、浦島太郎を迎える。

 その着想が、人びとを熱狂させる。

 芳夫が絵本で見たことのある浦島太郎の腰みのも、絶え間なく噴き出す火花のスダレ越しに確認できた。

 目に映った光景は、いっそう鮮やかな記憶となって像を結びなおす。

 それらは、彼の心の襞にしっかりと焼き付けられた。

 縦横に張り巡らせた綱の上から、一段と火勢を増した仕掛け花火が、滝のように火の粉を降らせる。

 巫女が舞い踊る、古風な操り人形に心をえぐられ、村人たちの祭りは終わりを迎えようとしていた。

 止むことのない笛と太鼓に、鉦の音も混じって賑やかだったお囃子が、調子を変えている。

 明らかに終息へ向かう息遣いで、それまで時間の経過を忘れていた人びとも、ふと我に返る瞬間だ。

 丸太を組んだ櫓の上で、いましも人形を引き寄せにかかった数名の引き手が、神と一体になった祭りを愉しむように手足を躍らせる。

 人形に伝え、人形から返された体の動きが、それぞれの受け持つ部分ごとに微妙な緊張を呼ぶ。

 頭部(カシラ)を演じきった頭領は、無事に役目を果たし終わって、満足げに仲間と声を交わす。

 杜の背後で、奉納終了の雷電光が空に弾ける。

 綱火の合間を縫って打ち上げられていた奉納花火も、これで打ち止めである。

 主役が降りて、舞台は無人になる。

 広場に残るのは、例祭の建て行灯と、提灯の明かりだけとなる。

 蠢く人びとは影ばかり。

 芳夫は急に心細くなって、父親の手を握る。

 一家は何者かに押されるように神域を外れ、一瞬方向を見失ったように立ちすくむ。

 帰りの道は、終始宙を飛ぶような感覚に付きまとわれた。

 星明かりの下、足を下ろす地面が不確かで、恐る恐る着地するといった状態が続いた。

 芳夫は、自分が転ばないのが不思議だった。

 父親の腕力に引き上げられていることにも、気付かなかった。

 母親も、無言で父のあとに付き従っていた。

 何時に帰り着いたのか、井戸端で足を洗い、柄杓で一杯水を飲んだまま、母の敷いてくれた布団の上で、あっという間に眠りに落ちていた。

 二、三日の間、芳夫の頭の中で火花が飛び散った。

 空中でたわみ、おどり上がる麻綱の黒い影が、煙火を割って目の前に伸びてきた。

 残り少ない夏休みの日々を、牛久沼での水遊びや鮒釣りに費やしても、心は綱火の夜に舞い戻っている。

 神の杜と空の天蓋がつくる空間に、浄めの火花が乱舞したひと時が、芳夫の魂を奪い取ってしまったかのようだ。

 腑抜けになった芳夫は、田舟の縁から手を滑らせて、したたかに水を飲んだ。

 泳ぎの距離を甘く見積もって、戻ってきたとき体を引き上げる余力を残していなかったのだ。

 溺れる恐怖を初めて味わい、家に戻って、末生りの西瓜の白い味を味わった。

 こうして、芳夫の夏休みは終わった。

 盆綱を水辺に捨ててきた時の心細い気持ちが甦る。

 人が否応なく直面する不安めいたものが、芳夫の体の中でつながっていた。

 

 その年の暮も押し詰まったころ、寝静まった集落に半鐘が鳴り響いた。

 ジャン、ジャン、ジャンと息もつかせぬ勢いの早鐘だった。

 芳夫は母に起こされ、ネルの寝巻きの上に綿入れを重ねて道路に飛び出した。

 寒気に頬を叩かれて目が覚める。

 集落の中心部に、火の手が上がっている。

 激しく弾ける物音とともに、火の粉が舞い上がる。

 粒子の粗い煙まじりの火炎が、夜空を掃くように横に流れる。

「あれは、文左衛門のあたりじゃねえか」

 隣家の主人が、大声で怒鳴った。

 ふんどし一丁の裸に、どてらを引っ掛けてきたらしい。

「んだな。支度して行ってみっぺえか」

 芳夫の父が答えた。

「すぐ、行くべえ」

 胸をはだけた姿の怪しさも気にせず、どてら姿で駆け出していた。

 父もあとを追った。芳夫も走った。

 芳夫たちの家から集落の中心部までは、三百メートルの距離だ。

 近づくと、火元はやはり文左衛門の屋敷で、黒板塀の外側に手押しの消防車が一台乗り付けられていた。

 そこから伸びた布製のホースが、火の粉の降りかかる屋根に力ない放水を繰り返していた。

 風が、舞うように伸び上がる。

 火炎が帯となって、のたうった。

 盛んに燃えているのは、文左衛門の離れのようだ。

 木組みの形だけを残して、ごうごうと炎を吹き出している。

 乾いた音をたてて爆ぜるのは、離れを囲っていた竹やぶの竹だ。

 立ったまま焼かれて、膨張の限界を超えた節が裂ける。

 蒸気を吹き出す若竹の、シューシューという音も交じる。

 消防団の男たちも、離れのあたりには近づけないでいる。

 それでも、刺子の頭巾に水をかぶって鳶口を伸べるのは、勇敢な若者だ。

「お政は見つからんか!」

 若者の背後から、鋭い声がとぶ。

 為すすべもなく見守っていた消防団員の肩がピクリと動いたが、突っ込んでいける状況ではない。

 遠巻きにしていた野次馬が、口々にお政の名前をつぶやく。

「逃げ遅れたのか」

「まだ、見つかんねえのかい?」

 のったりとした特有の言い回しでさえ、切迫したひびきを含む。

 お政の所在を気遣っているのは、文左衛門のようだ。

 消防団を叱咤して、自らも離れに近づこうとするのだが、むしろ火勢の激しさに見切りをつけた消防隊長が、文左衛門をさえぎっている。

 類焼を恐れて、母屋の防衛に重点が移された。

 いつの間にか応援の消防車が駆けつけていて、防火水槽から伸びたホースが、何本も重なっていた。

 芳夫は、寒さも忘れて立ち尽くしていた。

「ほれ、もう帰れ」

 母親に腕を引かれて、われに返った。

 火炎を見つめていると、魂を奪われるのかもしれない。

 綱火の夜もそうだった。

 幅広の滝に見立てた仕掛け花火の上を、いくつもの人形が笑いながら通り過ぎていった。

 個々の作り物の表情は、少しずつ記憶から薄れ、代わりに影を帯びた一団のざわめきが聴こえてくる。

 笛や太鼓にのって、手足をくねらせる。

 操り人形も引き手の男たちも、何か可笑しそうに頬を崩しながら踊っていたような気がする。

 トザイ、東西・・・・。

 さて、この筒先に仕込みましたる煙火奉納は、役者いのちと冬に咲くゥお政殿これご奉納。仕掛けは5号変化菊、二発連続・・・・。

 はっきりと文脈が整って思い浮かんだわけではない。

 だが、芳夫の胸の内では、法被姿の長老の口上が乗り移っていた。

 お政に絡む感情と、耳に植えつけられた口上の数々が、ないまぜになって溢れ出るのだ。

 クククク・・・・。なぜか、笑い声が混じる。

 サオリヨウコ一座の公演で、ダンダラ幕の切れ目から覗いていた白い顔、白い浴衣、それらが火炎に揺らぎながら、竹林を吹き抜けたような気がした。

 

     (おわり)

 

 

  * (第三次『凱』25号より再掲)

 


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2 コメント

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中年のニート (ウォーク更家)
2017-07-16 06:24:54
知恵遅れの庄さんの話は、私には、最近の中年のニートの急増の話題とイメージが重複します。

先日、友人の親戚の中年ニートの男性が、生活の面倒を見ていた母親を先に亡くしてから、近隣とのトラブルが絶えなくなり、その都度警察が出動している、という話を聞きました。

終戦後、農村地帯でよく見かけたという知恵遅れの庄さんのような男は、高度成長の時代は陰に隠れて見えなくなり、また施設で最低限の生活は守られる社会になりました。

これに代わって、高齢化社会の到来とともに、中年ニートをよく見聞きする時代になり、今後急増しそうです。
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中年ニート問題と戦後日本の現実 (tadaox)
2017-07-16 22:54:17
(ウォーク更家) 様、こんばんは。
親を頼って働かない若者が、そのまま中年になってしまうと、家庭内でいろいろとヒズミが出て、事件となって顕在化するケースが多くなりましたね。

親が高齢になり、資力が細ってきても、なお年金を目当てに小遣いをせびるといった重苦しい実態が報道されていまます。
まさに更家さんご指摘のとおりで、高齢化社会の陰にかくれた、より深刻な問題かと同感いたしました。

戦後目立った庄さんのような存在に注目していただき、ありがとうございました。
戦争の実態を、裏側から浮かび上がらせる仕掛けでもありますが、農村地帯の人間の営みと祭りの持つエネルギーのようなものを、登場人物に感じていただければ幸いです。
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