ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路  (40回)

2009年08月09日 | 思い出話
            平成14年11月3日 (日)  
      第42番札所 佛木寺  第43番札所 明石寺



    距離:16K  民宿稲荷 ~ 佛木寺 ~ 明石寺 ~ 冨士廼屋旅館

11月3日12:05  ふじいさん  (受)
東屋の寝心地いかが?寝不足は?気をつけてな

13:31  ふじいさん  (送)
まさか~私が野宿できないよ!!今明石寺に居ます。お坊さんの集団。
尼さんも居たよ。声明の美しさ。ラッキーって感じ。


13:50  ふじいさん  (受)
良かったね。山は色ずいていますか?私が去年行った時は赤色と黄色
が印象強かったように思い出されます。今夜もひえひえ。お風呂にゆっく
り入って疲れを取って明日に向かって体力を作ってな。(食事不味い?!)


15:51  ふじいさん  (送)
明石寺の紅葉が奇麗に紅葉して居ました。午後から雨になりましたので、
予定していたビジネスホテルが満員だったし、近くの旅館に入りました。
明日は少し頑張らなければなりませんが、良い旅館のようです。


16:05  かずよ  (送)
富士廼屋に居ます。午後から雨なので、予定を変更して此処にしました。
久し振りに懐中電灯を使いました。皆田町のお祭りに出会い写真を撮らせ
てもらいました。小さなお祭りは温かくて良いね。


16:21  かずよ  (受)
お疲れ様です。そういえばお祭りと言ったらマンションや幼稚園のお祭りしか
ないです。子供の頃の小さな地元のお祭りってのが無いですよね。雨は降ら
ないと思うのですが、どよ~んとしています。


17:35  かずよ  (送)
今一寝入りして、ご飯を待っています。こうして地方のお祭りに出会いますと、
田舎の人は幸せだな~と羨ましくなります。今朝は食事を断ってしまったのに、
お腹が空いて仕方が無いので、饅頭、うどう、みかんを食べました。朝食は7
時だというので、間に合わないので断りました。今夜しっかり食べておこうと
思います。


19:00  ふじいさん  (受)
色々と大変だね。歩き遍路私には無理かね!?でも貴女を見習って年輪を
刻みます。お邪魔しながら足跡を辿ります。おやすみなさい。



               この言葉が心に沁みました  
     解っているけれど苦しいときは「何故私ばかり…」と思ってしまいます


                    仁王門

             茅葺の鐘楼は重く沈んだ形で建っていました

                  本堂と観世音菩薩


  この奇麗な風景に遍路二人…と思って撮ったのに この人は職業遍路だった


寺の下で男性遍路(左話の主、右は主人)と出合った。始は彼は先を歩いて
いたが、立ち止まって私達を待っていました。両手にビニール袋を提げ、荷
物は多いのですが、何となく軽そうと言う感じがしました。話しかけられて話な
がら歩む二人を見ているとなんだか不思議な胸騒ぎがしました。

車道を行くか歯長峠を行くかの分かれ道の辺りに来た時に、彼は「200円
でも良いからお金を…」と言った。私の予感は当ったようだ。これからの道
が県道なら勿論断っていたでしょう。しかしこれからは峠に入ります、例え
2対1とはいえ、初めての道、私達には想像できない場所で居直られでもし
たらと言う事を考えれば、相手の言う通り渡した方が良いと判断した。主人
との間でドンナ会話がなされたのかは知りませんが、人の良い主人は何に
同情したのかお金を上げたそうな様子でした。

私が小銭入れを出した時「500円でも…」と値上げしてきた。「あら~、100
円硬貨は2枚しかないは、後は10円玉だけ…」と言って200円を差し出し
ました。彼は渋々受け取ったが、勿論お礼も言わない。そちらがそうならこち
らもこうですよ。私も無駄に年を食ってはいない、小銭入れの中には500円
硬貨が何枚も入っていましたよ。とても嫌な気分にさせられたその上に、何故
500円上げなければならないの!! 

今から考えると、彼はまだ職業遍路の新米だったのかも知れない、7年経った
今、職業遍路を続けているとしたら狡賢さを身に付けてたベテランでしょうね。
職業遍路とは、遍路しながら、人にお金をねだって生活している人の事だそう
です。

峠の入り口で「少し休んでいきます」と言って彼は荷物を降ろしへたり込んだ。
何故?今歩き始めたばかりなのに?又別のかもを探すのでしょうか?其処
から来た道を戻るのだろうと思ったのです。しかし何故か胸騒ぎは収まりませ
んでした。

分け入った峠道は道幅が狭く、こんなところで開き直られたら、左のがけに転
落するだろうとか、嫌な事ばかりが頭に浮かんできた。主人は暢気に「みかん
でも食べようか」と言います。私は早くこの峠を越えたいと思いましたが、喉も
乾いている事ですし、「道幅のあるところで食べよう…」と人がすれ違える事の
出来る場所まで歩いて食べました。丁度食べ終えた頃、かさかさと草の動く音
がして、彼がやってきました。彼は何も言わないで私達を追い越していきまし
た。道幅のあるところでよかったとホットしました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遍路 (39回)

2009年08月08日 | 思い出話
     平成14年11月2日 第41番札所 龍光寺 (続)


        距離:24K  三好旅館 ~ 龍光寺 ~ 民宿稲荷


トイレのお接待を頂いて、身も心も軽く国道56号線を進みました。
今日は朝食をたっぷりと頂いているので、全然疲れが違います。町中な
ので今日こそ昼食にもありつけそうです…と思ったのですが中々見当た
りません。全ての看板が食べ物屋さんのものに見えるのだが、違ってい
てがっくりします。和霊神社の前に来ました。今日はお祭りらしく大勢の
人でした。

私達は道路わきに腰掛けていました。おじさんが声をかけてきました。
「わしも一度自動車で廻ったけど、歩きか?たいへんだな!」これ幸いと
私は聞きました。「この辺にうどん屋さんありませんか?」「あるよ、其処
の道を入った所に…」彼は何でも無いように道路を隔てた目の前の小路
を指差しました。お礼もそこそこに喜び勇んで、お店に向かいました。
「大介うどん」来る道でこの看板は見た事があります。チェーン店のよう
でした。

その見た店も人の出入りが多かったです。店を探しながら『あの店に入っ
ておけばよかった…」と何度思ったか知れません。そしてその店が何となく
チェーン店のよこうな気がしていました。ここもいっぱいの人でした。土曜日
なので家族連れが多かったようです。うどんも美味しかったし、料金も安か
ったです。50分ほど休憩させていただいて、テーブルの水差しからたっぷ
りと水の補給もさせていただきました。

国道56号線が県道57号線に変わった頃、後からときやすまきさんが追い
ついてきました。今朝歩き始めて間もなく雨が降ってきて合羽を着て歩き始
めた時、彼女が雨宿りをしているのを見て会釈を交わしました。「あの時の
方ですよね」と会話が始まりました。彼女は何度か私達の後姿を見たそうで
す。でも追いかけるというのが大変な事であるという事を知っているので、追
いかけなかったといっていました。私達が「大助うどん」での休憩時間が彼女
との出会いを生んだようです。

彼女は東京生まれ。4人姉妹の末っ子だそうで、遍路をする気になっての
は、2番目の姉(既婚)がNHKの遍路番組をテレビで見て行こうと言い出
されたそうです。その時彼女は勤めていたし、色々整理して行く事にした時、
姉の方が行けなくなった。今行かないといけないような気がして1人で出て
きたといっていました。駅まで親や姉妹が見送りに来て「永の別れ」のよう
だったと笑っていました。

何時もは野宿で、三日目ぐらいに宿に泊まり風呂を楽しみ(温泉が大好き
だそうです)洗濯をするというパターンだそうで、今日は宿の日なので10
時頃「民宿稲荷」に電話したが満員と断られたそうです。それなら寝袋を持
っているので土間にでも寝させて欲しいと頼んだがこれも断られたそうです。
仕方が無いので龍光寺の軒でも借りようと思うという事です。

「私達は12時頃電話してO.K.だったのよ。もしかしたらキャンセルがあるか
もしれないから、もう一度電話してごらん」と勧めました。結局ダメでした。
電話の対応がとても感じが悪かったといいます。「民宿稲荷」が取れないと、
9K先まで宿がありません。宿のある所までたどり着けないと今夜は野宿し
かないのです。

第41番札所 龍光寺に着きました。 



昨晩同じ宿だった男性遍路さんが先に付いていました。彼女は彼と顔見
知りだそうです。此処に来るまでに何度か出会っているそうです。今夜の
宿が取れない事が話題になりました。彼女は社務所で軒を借りられるか
訊ねて来るというのです。私は心配なので彼女を待つ事にしました。帰っ
てきた彼女のが言うには「お堂の軒先は使っても良いけれど、今夜は寒そ
うなので、もう少し先の公園に東屋が出来ているので、其処の方が風が防
げて良いと言うので「気を付けて」と別れました。

「民宿稲荷」と言う赤い暖簾が下がっていました。(稲荷神社の赤い鳥居の
つもり?)二階に三間ありました。突き当たりの大きな部屋が私達の部屋、
次が先ほどの男遍路、その隣が自動車遍路のご夫妻でした。欄間を通して、
一部屋あちらのご夫婦の会話が筒抜けに聞こえてきます。又床の間には所
狭しと色んな飾り物が置いてありました。掃除が大変だろうと主婦の私は
思いました。入らぬお節介か?

夕食が又品数が多い、多い。10種類以上の家庭料理。お皿の位置が決
まっているらしく、動かすと元に戻されてしまいます。ビールを頼みますと
「お料理を運んだ後で…」と言われました。全て運ぶまで食べるなと言う事
らしく、お箸がいただけません。お腹が空き空きの私達は、解らないように
少しづつつまみ食いをしました。だって全てを運び終わるのに20分も掛か
ったのです。その上に「お刺身」が傷むから暖房を切れというのです。それ
なら「お刺身」は最後に運べば良いのじゃない?少し変わったというか変人
の女将さんでした。

此処のトイレが又凄い。「ネポンパールトイレ」と言うなで、押すとモーターの
凄まじい音と共に静々と泡が出てくる。水は出ないのです。便器が泡でいっ
ぱいになるんです。泡が排泄物を包み込んでいくのです。シャボンで満たさ
れた浴槽を思い出してください。この泡は固形物をどのように処理していく
のだろう?? 何でも知りたがりの私でありますが、一寸変わり者の女将さ
んに聞く気はしませんでした。

ご亭主はカメラが趣味とかで、「普通は朝、暖簾の前で写してあげるのだけ
れど、あなた達は朝食を食べないと言うから今、写してあげる」と部屋で写
してくださったが、ポラロイドカメラは年代物らしく、薄暗い中でははっきりと
写りません線でした。朝はご亭主が見送ってくださいました。

昨夜は相当の冷え込みだったので、彼女は大丈夫だろうかと何度も目が覚め
て、よく眠れませんでした。

                民宿 稲荷  (4泊目)
                              (1140回)


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式

2009年08月07日 | 一寸そこまで
           平和祈念式場から一直線に原爆ドームを望む 
   

                 対岸から望む原爆ドーム
      

          平和への誓い こども代表  (市内の小学校の6年生)

              ひろしま平和の歌 を合唱する人たち

                       放  鳩



8月6日広島に日帰で行きました。今年で3回目になりました。朝のうちは
少し曇って居ましたので、助かりました。朝始発で家を出て、8時頃に会場
につきます。8時15分原爆投下の時間、黙祷の時間にやっと間に合います。
夜行バスに乗れば早く着くのでしょうけれど、それでは体がえらいでしょう。

現場に来れば、息子と別れます。私は小さいので人垣の後からでは見えない
からです。スクリーンもありますが、折角現場に来ているのに自分の目で見
なければ意味無いですよね。終われば携帯で連絡して合流します。もう慣れ
て来ましたから、献花の列の方向に歩きながら、携帯をかけます。息子が鈍
なのか、見つけるのは何時も私です。

去年よりは良い席に潜り込みました。やはりはるか遠いのですが声は生と1
~2秒送れて二度聞こえます。所がその又1~2秒遅れて小さく聞こえます。
「アレ?!」と思い、フッと隣の女の子の手元を見ると携帯の大きさの画面
に何秒か遅れて映像が写っているのです。「アラ良く見えるのね」画面には
麻生さんが画面いっぱいに写っています。小型テレビかと思っていたら、後
で息子に言うと、「携帯やろ、今の携帯はみれるんや。僕のもそうやで」私
の携帯は安物だから、映像がはっきりしません、写真のみならず、こんなに
奇麗に写るんですね。「高いんやろね~」「……」でした。


  このように座席を囲んで竹筒に花が入れてあります それを献花するようです




去年まで、手に手に花を持っておられる人は、この公園のどこかで買ってこ
られたのだと思っていました。よそから買って来たにしては花がむき出しだ
ったからです。今回は私達が列に並ぶのが早かったからでしょう、竹筒に花
が残っていました。私は息子の分と私の分を竹筒から抜きました。3回目に
して始めて空の竹筒には花が入っていたと知りました。




     国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の入り口のモニュメント  
         原爆投下の8時15分を示しています



去年は原爆体験の「朗読」を終わりの方しか聞く事が出来ませんでした。
今年は初めから聞きたいと思っていました。今年は去年より多く、立って居
る人が居るくらいでした。最後のほうで希望者が「朗読」をします。北海道、
東京、横浜、和歌山と遠方から来ておられるようでした。

「朗読」は国立広島原爆志望者追悼平和祈念館と言う長~い名前の建物で
行われます。その建物の入り口に、上の写真の様な投下時間8時15分を
示したモニュメントがあります。

今年も資料館にも立ち寄りました。去年は8時15分を差して止まっている
時計のケースの前には「これは私の兄のものです…」と説明している方が居
たのですが、今年は姿が見えませんでした。私と同い年だと言っておられま
した。お元気なら良いのですが、と一寸寂しい気がしました。



              原爆記念公園近くのお好み焼きや「長田屋」さん



お腹が空きました。ネットで探してもらう(息子はパソコン持参です)と、つい
近所に在る事がわかりました。「美味しいかどうか解らへんけど…」「お腹ぺ
こぺこやから、よっぽど不味くないと、何でも美味しいよ」と言いながら店に
向かいました。順番待ちの列が出来ていました。私達の後には外国人の若
者7人組が居ました。「ひろしまのお好み」は外人にも知れているのでしょう
か?でも焼いているのは大学生のアルバイトと言う感じでした。ネギの載っ
た息子のは魚介類が入っていて、私の方は洋風でチーズが入っていました。
まあまあ美味しかったです。



                     ひろしま美術館

             嬉しい事に 「五味太郎の絵本展」をしていました

           桃太郎の道標          入る口前にあった婦人像               


折角、広島まで来たのですから、何処かに寄りたいと思っていました。調べる
と広島には美術館が3館あります。現場から一番近いのが「ひろしま美術館」
でしたので、歩いて其処に行きました。幸いな事に特別展示は五味太郎さんの
絵本展でした。

私は五味太郎さんを知りませんでしたが、サンケイ児童出版文化賞、路傍の
石文学賞など多くの賞を取っておられる方でした。400冊以上も作品があ
る方なんです。阪神ファンとしても有名なんですって。

1945年生まれと言いますから原爆の落とされた年ですよね。それで原爆
記念日にちなんで開かれたのかな~なんて一人納得。

「諺の絵本」と言うのがあって、昔からある諺のパロディーと言いますか。
五味さんが言葉を置き換えているのです。私は下の二つが好きでした。



      花よりだんご   →   パンダよりパンだ 

      蛙の子は蛙    →   ぐうたらの子はぐうたら


面白いでしょう?
                              (1140回)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川柳で~す

2009年08月05日 | 雑誌から
                      アンゲロニア  
  尼崎・花いっぱいの会からの頂き物  1cmに満たない小さな花の集合です





朝おきて直ぐに水撒きをするのです。水撒きそのものはちっとも嫌ではない
んです。お水をかけながら夫々の植物の成長振りを観察しているのですから… 
しかし蚊に食われるのが嫌なんです。何時も20ヵ所ぐらいはかまれます。
手が塞がっていますから、中々蚊を殺せないのです。美味しい朝ごはんが来
たとばかり攻撃してくるのです。私のほうも、始にキンカンを塗ったり、水で手
足を濡らして見たりと色々試みるのですが、効き目がありません。

久し振りの川柳です



     介護する妻がチクチク過去を刺す


長い夫婦生活です、忘れる事の出来ない「恨み」だってあるでしょうよ。
老々介護でしょうから、自分も疲れるので、つい皮肉の一つも言いたくなる
でしょう。私?勿論チクチク刺す想い出には事欠きませんよ。


     吊り皮を両手で握る疲労感


作者は会社帰りの疲労感かもしれませんが、私にもこんな感じの疲労感を感
じる時はありますよ。働いている人から見れば遊びに見える「私の社会見学」
そんなに疲れるなら家に居れば良いじゃない! と言われそうで、電車の席が
塞がっている時は「私は大丈夫です」と言う顔をして、隅っこに行って立って
ます。

      天寿まで夢いっぱいの旅プラン

ありますあります。夫婦の両手両足を使ってもまだまだ足りない、100歳
まで生きても足りないくらいですよ。若い頃には行けなくて、年を取ってか
ら始めたのですからね。若い頃には年を取るとこんなに体力がなくなるとは
想像もしませんでしたからね。行けるようになれば行けば良いわ、なんて暢
気に思っていましたから…
     

      折り合いをつけて持病と旅に出る

後期高齢者に近づくと、体調の良いときに…何て言ってられないのですよね。
「持病」は仲よく薬と一緒に連れて行きますよ。それで無いと行く事は出来ま
せん。だからなるべくツアーではなく個人でゆったりプランです。何もかも自己
責任ですから疲れますが、又思いがけない出会いもあって楽しいものです。


      旅帰りそこそこそこと貼り薬

思いがけず歩いたり、荷物が重かったり(この頃はロッカーを良く使います。
ロッカーのための100円玉は常に用意しています)で帰宅して、風呂に入
った次は主人だけですが湿布をアチコチ貼ります。主人が荷物の係りだから
ではありません。「コレ持って」と言いますと「年寄りに持たすんか…」と逃げ
ます。


      正直も良いが傷付く人もいる

年を取っても、人の思惑なんて気にせずに、思った事をズケズケ言う人が居
ますね。若い人なら「まだ解ってないんだわ」と許せますけれどね。「性格は
直せても気質は直せない」と言いますけど、「気質」なんですかね~。
「性格」は環境で変わるというのは解る気がします。生きるのに精一杯の時
にはキーキーしていたのに、生活にゆとりが出来て来ると大らかになる人は
沢山見ましたよ。「気質」とは生まれ持ったもので、もともと生活にゆとりがあ
るんだからもっと大らかになれば良いのにコセコセした人居ますね。お気の
毒ですね。
     

      雑草といくさ始まる初夏の庭

おっしゃる通り、これから2ヶ月は雑草との戦いです。でも負け戦になりつ
つあります。暑い時に庭仕事はしたくないと思うのです。ですから、雑草が
大きな顔してどんどん背丈を伸ばします。それともう一つ天敵が、奇麗にす
ると、野良猫が喜んでトイレにするんです。猫の寿命って何年? 3匹の野
良猫の寿命と私の寿命とどちらが長いのでしょうか? 悩みの種です。


「宝塚」 今年は花つきが今一でした 下さったれいこさんはまだ眠り姫のまま…




               ☆ 明日お休みいたします
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手紙 親愛なる子供達へ

2009年08月04日 | 徹子の部屋から
     我家のペチュニアたち この頃の暑さに花数は減っています







今日は何ヶ月振りでしょうか、鈴木先生のクラスに入りました。本当に久し
振りでアチコチから「ま~ぁ久し振り!」の声が掛かります。あの人もこの人
もお元気で良かった…と私の心も喜びました。

懐かしいステップも、新しいステップもまだまだ遅れる事無く付いていけそ
うでホットしました。でも身体は文句を言いました。「ストレッチをサボって
いるね!」って。日頃動かさない筋肉を伸ばすものですから「アッ!痛タタ
タ~!」て悲鳴を上げます。やっぱり歩くだけでは駄目なんですね。身体を
柔軟に保つ為には、ストレッチは欠かせないようです。頑張ってストレッチ
クラスに入りましょう。

終わりに鈴木先生が、「忘れ物はありませんか、タオル、水筒は忘れてい
ませんか?」と注意しておられるのを聞き流してロッカールームに…。ハタ
と気が付きました、私はもっと大きな忘れ物です。靴、靴を忘れたんです。
弁解しますとね、「フラダンス」も「インドムービーダンス」も素足なんです。
だから脱いだ靴を持ち帰るなんて事はすっかり忘れていました。嫌~ね。



今日久し振りに「徹子の部屋」を生で見たのです。そこで樋口了一さんが
「手紙 親愛なる子供へ」を歌っておられるのを聞いたのです。勿論「手
紙」の事は知っていましたし、詩は読んだ事がありました。でもメロディー
が付いて歌っているのは初めて聞きました。

樋口さんの友人のメールに作者不明で(ポルトガル語で書かれていた)入っ
てきたそうです。日本語に訳したものを見せられて、樋口さんが少し言葉を
追加して、細々と歌っていたのです。それが共感を呼び、口コミで広がって
いったのです。「千の風になって」を売り出した方の目に止まり、CDになっ
たそうです。

詩自体も、胸の詰まる思いをするのですが、歌となりますと尚更で、胸に染
み込む感じでした。私自身がこの手紙の主の年代だからだと思うのですが。

年老いた親が、愛しいわが子に、だんだん弱っていく自分を見ても、それは
老いるという事なので見守って欲しい。そして色んな例を上げてこうなっても
よ、と語っているのです。

最後の4行が本当に身につまされました。

    あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
    
    私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

    貴方の生まれてくれた事で私が受けた多くの喜びと

    貴方に対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい

特に2行目は「私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい」この言葉は
自分ではどうする事も出来ない老いていく自分の最後に付き合って欲しいと
言う、親なら、何方でも子に願う言葉ではないだろうか。

徹子さんは「日本人はこうも赤裸々に言葉を書けない…」と言っておられた。
そうかも知れないが、それなら何故この詩は日本に送られてきたのでしょう
か?ポルトガル語で書かれていたというのが、ネックにはなりますが、ポル
トガル圏に長く住んでいる日本人で、この詩は、心は日本人しか解ってもら
えないと思った人が送ってきたと言う考えは間違いでしょうか?

実際の詩を載せてないので、解り難いかも知れませんが興味を持たれまし
たら「手紙 親愛なる子供達へ」と引きますと、「詩」も「歌」も直ぐ出て参り
ます。読んでみてください。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子育て支援の現金支給はダメよ!

2009年08月03日 | 新聞から
               「ムクゲ」 色々  咲き場所色々








実は以下の文章は土曜日(8月1日)に書いたものなんです。
公開して直ぐ「今日は遍路記の日だ!」と気が付いて慌てて非公開にしました。
時既に遅く10数人の方が読まれたようです。本当に呑な事でした。



昨日の新聞(7月31日)にこんな投書が出ていました。
『義務教育に支援が必要か?』民主党の子育て支援に対する意見だと思う
のですが…。今日の新聞に(8月1日)子供一人当たり月額2万6千円と出て
いました。

元短大非常勤講師の私と同年代のこの方は言います『義務教育の時は
大きな支出もなく3人の子供を育てた記憶があります。日本の教育制度に
感謝していました。それ以後の教育は個人の力と考えで受ければ良いのです。
中学卒業後、仕事につく人も居ます。義務教育中の子供に支援を行う事に
私は首を傾げます。民主党は塾の費用を支給するという事なんでしょうか。
なんだか、塾を奨励しているようにも感じられます。学校の先生も、生徒の
学力向上を塾に任せていくのでしょうか。公立学校の先生方のご意見を、是非
お伺いしたいと思います』

月額2万6千円ものお金を(資金源があるものとしても)支給するというのは、
どういう根拠からはじき出されたものなんでしょうか。そんなにまでして、
子供を増やさなけれならないのでしょうか?

小さな島国の日本に1億1千万人が住んでいます。機械化で人手も要らなく
なっています。各国の人口はフランス6000万人、イギリス6000万人、
ドイツ8200万人、イタリア5800万人、ニュージーランドにいたっては
415万人なんです。でも一国を成しているではありませんか。如何して日本の
マスコミは「大変だ!少子化だ!」と事あるごとに叫ぶのですか?少々減り続け
たとしても心配ないと思うんのですが、自然に任せれば良いのではないのですか。

フランスでは子供4人以上産めば事実上各種手当てだけで生活が可能になると
いうのです。この制度の為に低所得層の人口が増えているといわれています。
これは変だと思いませんか?

子供は「愛しい」と思い「育てたい」と思って生むものだと思うのです。
お金さえ渡しておけば生むだろう、と言う考えはおかしいですよ。そんな事を
すれば日本だって働かなくても生きていける方法として、子供を産む人が増え
たら如何でしょうね、ゆがんだ子育てが生まれる土壌が出来ませんか?

お金を直接手渡すのではなく、保育所を増やして無料にするとか、大学までの
教育費を無料にするとか、子供がやってみたい事が無料で出来る施設を作る
とか(私は「ゆとり教育」とは休みになった土曜日に子供の好きな事を自由に
経験する期間にするのかと思っていました)そうすれば元気なお年寄りも経験や
知識が十分役立てる出番があると思っていました。もっと良く考えて「子育て
支援」をしてあげてください。何に使っても良いと言う現金の支援はよい結果に
結びつかないような気がします。

塾は元々は、平均的教育では足りない受験の為にあったと思うのです。昔は担任
の先生が放課後見てあげる事もあったそうです。今は補習的な塾が増えて、学校
の先生も、おちこぼれても塾で追いついてくださいと思っておられるのでしょうか?

今の先生方は教える事以外の雑用が多いそうですが、どんな事を? 本職をさて
置いて、雑用で疲れるなんておかしいですね。雑用処理の事務方を増やせば済む
のではありませんか、現金支給をしなくとも、子供のための使い道は幾らでも
あると思いますよ。

子供が生まれたら、食べさせる位は親の責任の範囲で良いのではないですか。
子供を産みたくない理由として、お金の事よりも、こんな社会が不安で産めない
という意見も多いように思いますが…。

『お金さえやっとけば』と言う考えは止めていただきたいと思います。




          これって八重咲き?それとも突然変異の畸形?


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遍路 (38回)

2009年08月02日 | 思い出話
     平成14年11月2日 (土)  第41番札所 龍光寺


        距離:24  三好旅館 ~ 龍光寺 ~ 民宿稲荷

11月2日 8:16  ふじいさん  (受)
お早うございます。今日の東京は快晴。とても良い目覚めでした。今日も楽しい
一日でありますように。お気をつけて。


8:52  ふじいさん  (送)
同窓会楽しかったでしょう。私は月末にあります。普通山登りは昇ったり下ったり
しながら山を越えますよね。昨日は山一つまるっぽの為かひたすら急坂1時間、
平8丁、急下りでした。馬の背あり、鞍馬の根っこ道あり。おまけにヘビの
お迎えまであり、歓声ならぬ、悲鳴を上げました。今日もお天気良いみたい。


8:58  かずよ  (送)
道を間違えて近道したみたい。代わりに長~いトンネルを駆け足で20分です。
宇和島に向かっています。/font>

12:22  しょうま  (送)
宇和島に居ます。今日は休みやね。香港のユリオイル持ってきています。
筋肉痛に良く効きます、しょうちゃんのお土産の美顔クリームおかあさん
美人になった?


17:42  ふじいさん  (受)
とても楽しかったよ。来年も元気で出席したいよ。お参りを思い出して
懐かしいです。


19:37  かずよ  (送)
民宿稲荷に居ます。今日も当たりと言うか13品の家庭料理、ミソ汁、
ぶどう、饅頭2個、勿体無いけど見ただけでお腹いっぱい。頑張ったけど
食べきれない。朝はいらないとお断りしました。若い人なら喜ぶのにね。
ポラロイドカメラが趣味らしく、写してくださいました。おやすみ。


19:52  ふじいさん  (送)
もう尼崎?今日は楽賃で、追いついてきた一気打ちの女の子と2時間
喋りっぱなしで、龍光寺まで。一人旅で寂しかったのかな?主人が
「よ~喋るな~」と驚いていました。今日は公園の東屋で、寝袋で
野宿だそうです。


19:59  ふじいさん  (受)

大変だ~今名古屋です。お喋りはストレス解消だそうです。少し風流すぎ
ませんか?風邪引かない事。おやすみなさい。心配かな?

私達は松尾トンネルを通らないで遍路道を通りたいと言いましたら、若女将が
「ゴルフ場のネットが見えたら、其処を左に曲がりなさい」といわれました。
男遍路さんたちもそうすると言われました。先行する人について歩いていまし
たが、ネットが見えても曲がらない、私が「この道を入ると思うよ」と言った
のに「あの人がまっすぐ行くからまだだ」と前に進む…。

やがて目の前にトンネルの入り口が現れた。「間違ったようですね」とかの男
性遍路の方。「やっぱり、さっきの道を入るんだったのよ。私の言う事を聞か
ないで、他人を信じるから!!」私は怒りよりも、又自然の中を歩く楽しみを
逃した悔しさで憮然としました。後でときやすさんに聞きますと、気をつけて
いないと見落とすほど小さな道標が立っていたそうです。天気も良いし。
景色も最高だったそうです。

松尾トンネルは約1.4Kあるのです。タオルで鼻と口を被い、半分駆け足
で、汗びっしょりになりながら20分で駆け抜けました。

全ての遍路道に良い事はあるもので、トンネルを抜けるこの道を通らなければ、
知らないままでした。「島原蒲鉾屋さんの」ありがたいお接待です。「WC 
いらっしゃいませ ご自由におつかいくださいませ」の大看板です。嬉しかっ
たです。早速使わせていただきました。

高知の「後から来る人のためのアンケート」にも書いたのですが、道中、お店
が無くてお腹が空くのは我慢できます、でも生理現象はどうしようもありませ
ん。山の中なら「青空トイレ」と称して、「此処がトイレ」と決め手済ませる
事がありますが、国道では本当に困ります。コンビニ、ユニクロ、消防署、警
察などは利用させていただくのですが、都会ほど数があるわけではありません。
行く先の道を予想して飲み水を控える事もありました。でもそれには限度があ
ります。

人様の書かれたものを読むと昼時、食堂や喫茶店に出会っておられますが、私
達の場合何故か山中で食事時を迎える事が多く、水とカロリーメイトで済ませ
てしまう事が多かったのです。


蒲鉾やさんの「島原本舗」さんと大きな看板  幾人のひとがを助けてくださった事か!

             

   この度、遍路記を書き写すのでこの写真を見つけて。あれから7年がたって
   しまっていますが、遍路の事を思い出すときは、自然と「島原本舗」さんで
   トイレを借りてありがたかった事はよく思い出していました。しかし「蒲鉾
   やさん」だと言う事はすっかり忘れておりました。当日は早朝でしたのでお
   店はまだ開いていませんでした。トイレのほうだけ開いていたのです。それ
   ゆえ何かのお店と言う感覚だけで「蒲鉾やさん」だという事は頭に残ってい
   ませんでした。


   この度この写真を見て、早速ネットで調べてみました。ありがたい事に美味
   しそうな「ジャコ天」の写真が現れました。郵便局の「ふるさと便」にも登
   場しているのを見れば、取り寄せてガッカリする事は無いだろうと思いまし
   た。

   私は念には念を入れようと、問い合わせのメールを入れてみました。
   『つかぬ事を伺いますが、WC…の看板を出して、私達歩き遍路にお手洗い   
   を使わせてくださっているお店でしょうか?…」早速返事が来ました。
   『国道沿いにある事でもあり、お遍路様には良くご利用いただいておりま    
   す』

   私は早速メールで送ってもらう事にしました。その小包が今日届きました。
   防腐剤の使ってない、手仕事で小さな魚の頭と腸を抜いて作られた       
   混ざり物の無い「ジャコ天」美味しかったです。

   7年前の恩返しがちょっぴり出来たような気持ちです。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遍路 (37回)

2009年08月01日 | 思い出話
            平成14年11月1日 (金)

   距離:24K  松乃屋旅館 ~ 観自在寺 ~ 三好旅館  (2) 


             電柱に張られた「お助けマン」マーク 
          これを見落とすと目的地をはずれ横道にそれてしまう  
       「この道で良いのか?」と不安なとき「このマーク」を見つけると
           ほっとすると同時に踊りだしたい気持ちになる

       

       さまざまな形で私達・歩き遍路をサポートしてくれる「道標」
            後何キロと書かれたものもあります

      

      


山道に野口雨情の句碑がポツリポツリと建っていました。何故こんな山中に?
雨情はこの土地の人ではないらしい。いかなるかかわりであるのであろうか?
10基以上はあったと思います。

その一つ  松の並木のある柏坂いくど涙で越えたやら

道の辛さを詠ったのか、生活の苦しさを詠ったのでしょうか?

山道をやっと抜けたと思える場所で、瓶に引き込んだ水を見つけました。
犬が吼えています。尾っぽを引きちぎれんばかりに振っています。おばあさんが
出てこられました。「お水を飲ませてください」とお願いします。「だいぶ前に
女の子が通ったよ。あんた達夫婦で遍路できるなんて幸せだね。夫婦遍路って
良いね!!」言われるとおりだと思います。年なりの故障は有っても二人とも
歩けます。これを幸せと呼ばずしてなんと言おうか!です。

美味しいお水をたっぷりと頂きました。お礼を言って立ち去る私達に犬は付いて
きます。おばあさんに「行ってはダメ!」といわれて、名残惜しそうに見送って
いました。たまに通る遍路以外にこの家を訪れる人はあるのだろうか?犬だって
こんなに人恋しいのに、おばあさんは大丈夫なのでしょうか?

其処から暫く林道を行って、みかん畑に出ました。軽トラックが止めてあり女の
人が居ました。私達を見つけておみかんを2個づつちぎってくださいました。嬉
しかったです。お昼を抜いていると言うより、持って居なかったし、やっと峠越
えをしたという安心感も重なって、空腹を感じておりました。

「今夜は岩松でしょう?もうひとふんばりだ! ものの6Kだよ}「えっつ!後
6K!」前進あるのみ、幸い道は下り坂に入っています。しかし通る人が少ない
所為でしょうか、草が道にかぶさっています。程好い酸味のおみかんを頬張りな
がら「美味しいね」「ありがたいね」の言葉を何度言い合ったでしょうか。空腹
を感じていた私達は貪るように食べました。

大門のバス停辺りで、店に買い物に来ていたおばさんが「岩松まで5Kだね…」
まだ1キロしか歩いていなかったのか、日のあるうちに着けるのだろうかと心配
になってきました。

暫く行きますと、高校生が自転車で走っている道が目に付きました。
自転車道です。これで国道から離れて自動車の排気ガスを吸わなくても済む。
ありがたい事にこの道は延々と続いて居ました。後で調べますと3Kもありま
した。

この道が終わった頃、時間的に宿に近いはずと電話してみました。「少し行くと
赤い橋があるので、その橋の手前を右に入ってください」といわれました。間も
なく橋は現れました。しかし赤くはありません、内側は黄色です。でも自分達の
橋の色を間違って言うだろうか?兎に角右に曲がりました。解らないが、次は左
に曲がれといわれていました。左から来た女の子に聞きました。左に旅館は無い
といいます。どうも一筋手前を入ってきたらしいのです。右に行って川まで出ま
した。すると向こうから手を振る人が居ました。間違える人が多いので迎えに来
てくれたのでした。でも如何して私達がわかったのでしょう?当然なんです!!
だって遍路姿なんですもの!

「遍路道は草は刈られていましたか」と聞かれました「やっぱり刈ってあったん
ですね」と女将さん。「先日お客様が草が生い茂って道がわかりにくい。野良犬
も居て怖い。といわれたので女将さんが役所の方に頼んだんですよ」と従業員の
人が言われました。地元の方は山歩きしないから解らないのです。気づいた事は
遠慮なくお話ししておいたほうがよさそうです。後に続く人のためにです。

歩きながら今来た道を振り返りました。其処には赤い橋が掛かっていました。お
解りですか?橋は外側が赤色だったのです。私達には内側の黄色しか目に入らな
かったのです。

間違い易いからと迎えに来てくださった女将さんは80をとっくにすぎておられます。
「この宿は、私で3代目、建物は100年前のもの、少し手を入れてますがね。
食事は隣の新館でお願いします」古い建物を挟んで左側に新館、右側は新聞配達
所のようでした。多角経営なんだわ。

夕食が又豪華、温かいものは温かく出てきます。種類が多くて、勿体無いのです
が残しました。唯ね、皆個室で遍路の情報交換の場がありませんでした。

朝食は一緒でした。男の1人遍路さんが2組居ました。今までの道中の話に花が
咲いて楽しかったです。出発時女将さんが見送ってくださいました。

杖を持たないで出ようとした私達に「アラ、お杖は?}「わすれたわ!!」「そ
うでしょう、確か来られた時はお大師さんもご一緒だと思いましたから…」何と
言う良い言葉でしょう。心に残りました。まいったな~も~。


               三好旅館  (3泊目)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする