ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

肉筆浮世絵・美の饗艶

2015年06月03日 | 一寸そこまで
    
                             「チラシ」







                            「チケット」    
    

                           美術館入り口脇の 「看板」


6月2日(火)天王寺の大阪市立美術館に展覧会を見に行っていました。出か
けるのが10時過ぎていましたので、天王寺で、早めの「ランチ」を済ませました。

美術館は平日なのに、大勢の人でした。何時もは午前中に着くことが多いので
すが、美術館は午後のほうが、人出は多いのでしょうか?


上の説明でお分かりのことと思いますが、浮世絵=版画 と違って、直に絹、紙
に描いたものですから、地味目の色彩が多かったように思います。

「一人姿」が多かったのと、次に、「太夫とかむろ」が多かったようです。其の「か
むろ」が、太夫さんと同じ着物地を使っているのや、部分的に同じ生地を使って
いることが多いというのを始めてみたように思います。

「かむろ」の髪形が、今の「お下げ髪」ではなく、ちゃんと日本髪を結っているの
も、初めてと感じました。

「立兵庫=たてひょうご」は花魁の「髪形」と知っていましたが、それでない
髪形もおおく、身分の違いか、時間的なものかと色々疑問点が出て来ました。

動物ですが、「牛」はいいのですが「象」の耳などは垂れ下がりが、耳の穴の中
から垂れ下がっていたりして、見たことの無い動物を描いたのだな~と思いまし
た。それと「犬」「猫」が可愛さよりも「怖い」という感じでしたね。

このたびも、「表装」が凄いな~と思いましたよ。表装された「布」はそれ自体は
っきりと自己主張しているのですが、絵を引き立てこそすれ、邪魔になっていな
いのが凄いな~と思いました。何枚かは「刺繍」が施されていました。

それにしても132枚ですか、凄い収集数ですね。これで全て(数千枚)ではな
く、選んだ分を持ってきたそうですから…。

何はともあれ、見事な作品、ありがたかったですが、何時ものように「風景」あ
り「花」あり、「鳥」ありという変化が無かった分、より疲れました。


所々にこのような「人形がた」がたっておりました





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