ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

尼崎・白井市長の退任式

2010年12月10日 | 今日この頃




     


12月7日に「白井市長退任式のご案内」と言うファックスが入って来ました。午後
5時半から、市役所職員の方にお別れの言葉を残されるのですが、一般市民もそ
の場に居てもいい」とファックスは知らせて来ました。

2002年12月12日初登庁の時もご自宅の前から市役所へ、カメラを向けつつ
付いていきました。あの市役所にあんなに大勢の人が集まっているのに感激しま
した。そして、初めて市職員の方達にお話をなさるのまでを、ばっちりと写真に撮
り、1枚のCDにして持っています。2期目当選の時も1枚のCDを作り、市長にも
記念にお届けしました。

今日は寂しくて、悲しくて、心の震えが指先に伝わったのでしょうか、あまりいい
写真は撮れませんでした。でも思い出のCDにして、貰っていただきたいと思って
います。


  市長の登場を待つ人々 登場された頃にはこんなものではありません、びっしりと言う感じでした  
        私は最前列に出ましたので その様子を取ることが出来ませんでした




市長の挨拶が始まりました。あまりの人の多さに、感極まられたのでしょうか、ご
挨拶の始めから涙声になってしまわれました。そうだと思いますよ、「白井市制は
正しかったです、認めますよ」と言う心の現われですよね。私はそう思いますよ。

市長の寂しさと喜びが胸にいっぱいで、思わず涙声になられたのが分かります。
でも確り締めくくっていただきたかったし、私自身もらい泣きしそうになりましたか
ら「泣いたらあかん!がんばれ!」と言ってしまいました。勿論呟きですよ。でも
隣の人が私を見ておられました。

「今日の日がいつか来ることは分かっておりました。でもこなければいいな~、と
思うほど…」正しい言葉は忘れましたが、尼崎が、仕事場の市役所が、皆さんと一
緒に働くことから離れることが、辛いほど、好きになっていました。と言う事を言
われました。

副市長さんも、とても良い方のようにお見受けし、何故、白井市制を継続する為に
残ってくださらなかったのか、と思ってしまいました。


↑ 副市長さんも同時に退職されました   ↓ 市長として最後の階段を下りて退庁…


名残は付きませんが、ご近所の方と一緒に帰ることにしました。信号のところに秘
書課の方でしょうか、男性数人が、白井さんと、秘書の方をお見送りしているのが
見えました。

「帰宅されるようね、一緒に帰りましょうか?」と二人で走って追いかけました。
始めは走ったのですが、相手はお若い二人です、思わず声を掛けてしまいました。
「白井さ~ん」って…。

思いがけず初登庁の時とは反対に、市役所からご自宅まで、ご一緒に帰って来まし
た。「沢山の職員の方の見送りを受けて本当に嬉しかったので、思わず涙声になっ
てしまった。役所で泣いたのは8年間で今日が初めてです」と言われました。

私も嬉しかったですよ、最後の道を(実際は明日までが期限で、仕事の残りを整理
に行かれるそうですが…)ご一緒できて、お話が出来て。



帰る道は初登庁の時と違って、狭い裏道でしたからお訊ねしました「8年間この道
を通われたのですか?」「そうです」途中で、支援者のご夫婦の方が犬の散歩をし
ておられるのに出会いました。ご挨拶をなさっているところを撮らせていただきま
した。ご一緒に帰宅した証拠になりますでしょう? 抜け目が無いでしょう?

新しいあなたの門出に、もう一度貴女のお好きだと言う言葉を捧げます。

       There is always something you can do.

これからの人生も幸多かれと祈りつつ…




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