ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路  24回

2009年06月14日 | 思い出話
                第5回区切り打ち   
         第38番 金剛福寺 ~ 第39番 延光寺
              自 平成14年9月25日
              至 平成14年10月3日




             距離: 15K  土佐佐賀駅 ~ 民宿 うすき

                  平成14年9月25日(水)
                 大阪高知高速フェリー(1泊目)

9月25日 20:48  しょう  (送)  
げんき! 早いものね。香港(夏休みに彼と二人旅で香港に行った)から帰ってもう1ヶ月。今、船です。又四国に行きます。香港と違って、唯歩くのみです。徳井君(彼が土産を買った友達)と仲良くしてるかな? お土産のストラップ気に入ってくれたかな? 友達は大切にね。

20:58  ふじいさん  (送)
団体の人たちで満員です。こんな事は初めてです。テープを渡しましたお礼の印を預かりましたので、昨日投函しました。お若い人ですよ。(何のテープを何方に渡したのかさっぱり忘れています)

21:09  かずよ  (送)
フェリーです。もう10分で出航です。

21:10  かずよ  (受)
肌寒くなってきたので風邪引かないように気をつけて行ってきてください。おやすみなさい。

21:37  ひろあき  (送)
出航しました。送ってくれてありがとう。「鬼ばかり」(渡る世間は鬼ばかり)録っといてね。


前回と同様ひろあきにフェリーまで送ってもらった。少し行って「数珠」を忘れたのに気が付き取りに帰りました。それなのに拝む時に「数珠」を手にするのを忘れると言うお粗末を時々やっています。

1時間も前に着いたのに、観光バスが3台も乗っていたので満員でした。今回は今までと違って「こうち丸」と言う小さい方の船でした。定員もだいぶ違います。10畳ぐらいの禁煙の部屋があったので、その隅に詰め込んでもらいました。一晩中、団体の人の話し声で眠れませんでした。

朝、窓から高知港を眺めていますと、隣に居た人が話しかけてきました。「夕べはべたなぎでしたね。今は波は無いけれど、べたなぎの翌日は波が高いんです。今日は3mくらいの波になりますよ。私はず~っと船に乗っていたからね。昼過ぎにはポツポツ来るね。解るんです」自然を知らない私は感心して聞いていた。(数時間後、天気予報が彼と同じ事を言ったので、なるほど、経験って凄いものなんだと思いました)

JR高知駅から土佐佐賀駅行きの列車が2時間待ちで、その時間を利用して、駅のそばでモーニングを食べました。セルフサービスのお店で、サラダがいっぱい食べられて良かったです。「足摺2号」は途中から「土佐くろしお鉄道」になります。すると乗務員の交代で運転手も車掌も皆女性になリました。切符は下りると、車掌が駆けて来て受け取っていきます。下りたのは私達だけでした。

土佐佐賀駅で遍路姿になりました。前回、相江さんが歩いていった方向に歩き出すことは解っているのですが、その取っ掛かり口が見当たらないのです。聞く人が居ないので、走ってきた自動車を止めて聞くのですが、皆てんでバラバラの事を教えてくれるので、あっちに行って行き止まり、元にもどってしまったりで20分ぐらい駅の周りをグルグル廻ってしまいました。

やっとの思いで正しい道にたどり着きますと、間もなく、先輩遍路のお勧めの「土佐西南大規模公園」の前に出ました。予定では、此処で景色を眺めながらお昼を食べるつもりでした。しかし本当に大規模で公園と言う感覚ではなく景勝地と言う部類に入ると思いました。

午後から雨と言う予報にせかされるように、眼下を見下ろせる突き出た場所で眺めるだけで、浜辺に下りる事はしませんでした。

私は私達の兵庫県・赤穂御崎を思い出しました。「土佐西南大規模公園」の箱庭が『赤穂御崎」と思っていただければ良いと思います。要するに岩がごつごつしていると言う事です。

娘時代の思い出で定かではありませんが、岩の荒々しさが思い出させました。岩と岩の間を恐れ気もなく飛び移った20歳の頃を思い出しました。20歳過ぎといえば、唯でさえ背伸びをして大人に見られたい年頃なのに、丸顔で小柄な私は何時も10代に見られて悔しい思いをしていた時代です。

大方(おおかた)町の海岸を歩いていると、水平線の辺りで稲妻が走るのを見ました。雷の音も凄まじいもので、肝が冷えました。大雨になる前に宿に急ごうとした時、車が止まる音がして男性が近づいてきました。高知県企画振興部企画調整課「こころのふれあう遍路道作りアンケート調査」にご協力お願いしたいと言うのです。B5 とはいえ46ページもあり、36問の夫々に5.6問記入するようになっています。一見しただけでぞ~っとしました。○X方式ではない記入式なんです。主人は書かないだろう、全て私が書く事るだろうと、うんざりしました。「後から来るお遍路さんに役立てます」と言われれば断れませんでした。本当は紙切れ1枚でも余分に持ちたくないのです。その上ご丁寧にも1人1冊渡されました。書くのは私なんだからと、持つぐらい持ってもらおうと、主人のリュックに有無を言わせず詰め込みました。(帰宅後、返送しましたら、お礼にと「ぽん酢」他が送られてきました。美味しかったので、今でもそのポン酢を買って使っています


                私達を迎えてくれた花たち


        



        



井の御崎トンネルに入る頃、雨がポツポツ降り出しました。暫く行くと酒屋さんがあり食堂も兼ねているようでした。昼にしようと近づくと男性のお遍路さんがしゃがみ込んで飲み物を飲んでいました。関西の方で「今夜は日の出旅館に泊まるのです。通し(一度に1~88まで続ける)のつもりで出てきたが…出来るかな~」と心細そうに話された。

彼と別れて私達はお店に入りました。昼は麺類ぐらいが丁度いいので、「出来ますか?」とたづねますと、「蕎麦とそうめんなら一人前ずつあるが、付け出しが無い」と言う返事。「あるもので良い」と言いました。

調理場でなにやら刻む音がします。出てきたそうめんを見ますと薄焼き卵、かまぼこ、しいたけの千切りが乗っていました。そうめんの下には氷が敷いてありました。私はそうめんといえば水に入れて、ネギと下ろした生姜位で食べます。所変われば品変わるです。これぞ旅の楽しみの一つです。

出て行く私達にご主人が声を掛けました。「風が出てきたから、雨は降らないよ。この辺は雨が降ってもす~と通り抜けていくよ」仰せのとおり、その後雨は降りま船でした。

途中『日の出旅館」の前を通りました。さっきの人はもう投宿したのだろうかと思いながら、一晩ぐっすり寝て、又元気に遍路を続けてほしいな~と思いながら通り過ぎました。


           浮鞭(うきぶち)海岸 とっても奇麗な海でした  
サマーハウスは閉まりゴーストタウンのようでしたが 夏の賑わいが想像できました





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 遍路  23回 | トップ | 聞いたぞ!聞いた! »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

思い出話」カテゴリの最新記事