ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

命のありようの薄さ

2010年07月30日 | 気にかかる

       「宝石蘭」  どうにか葉脈が金色に輝いて見えますか?  (宝塚 10-7-27)


報道を見たり聞いたりしていますと情けなくなりますね。今の親子関係はどうな
っているのでしょうか? 親が子を、子が親を殺す。こんなことは他の国々でも
起こっているのでしょうか?あるにしても、日本のように3日にあげず新聞紙上
をにぎわすことは無いのではないでしょうか。

新聞によって子どもの年齢が違うのですが(○新聞では5歳と3歳、X新聞では
3歳と9ヶ月の女の子と男の子)、放置した母親が「子どもは小さいから放置す
れば死ぬことはわかっていた」と言っています。離婚していたそうですが、「食
事をさせたり、世話をするのが嫌ななった」から放置したというのです。

それならどうして離婚の時引き取ったのでしょうか?意地にでも相手方には渡
したくなかったのでしょうか?ご自分のご両親はいなかったのでしょうか?子
どもの命を絶つくらいなら、どうして人に相談し頼らなかったのでしょうか?

いまさら言っても詮無い事ですが、人の子の親になるのに何の資格も束縛もあ
りません。生まれた家が悪かったというだけですが、子ども達は何のためにこ
の世に生まれてきたのでしょうね。欲しくとも子宝に恵まれない夫婦は沢山い
るのに…。


大人になった子も又親を放置します。「即身仏」になりたいからと言う父親が「戸
を開けるな」と言ったからと言って、30年間も戸を開けず放置した。何も食べな
ければどんなに生きても数日でしょう。今日まで生きていれば111歳とか。現
に30年間生きていたことになっています。そして、その方の年金は支払い続け
られていたというのです。そのお金の大半は使われていたといいます。これは
もう親の年金欲しさとしか言いようがありません。

でも役所も死亡手続きが無ければ、延々と払い続けるのも如何でしょうか。
111歳の生存を確かめもしないなんて、年金と言っても始めは低額(国民年金)
だったそうですが、この何年かは何らかの規定で高額年金(妻が死亡、教師だ
ったので共済年金の遺族年金に移行)に移行していたそうですね。その時にも
家庭を訪れることなく、規定どおり引き上げたということでしょうね。

昨日「死刑反対論者」だったはずの千葉法務大臣が、サインをし死刑が執行さ
れました。彼女の、何かに対するパホーマンスだと囁かれていますが、そんな
ことがあっていいのでしょうか?人の命を奪った者は自分の命でしかその罪は
償えません。しかし、その執行が何らかの個人的事情によって行われたのが事
実とすれば、言語道断です。

二人のわが子の命を切り捨てた親はどうなるのでしょう。いかなる罪にも弁護
人が付いて出来るだけ刑期を短くするか、無罪を勝ち取ろうとします。命を奪
われた方の事は考えられていないような気がします。たとえわが子といえども
命まで奪う権利はありません。命は命でしか償えないと私は思っております。




       「バーベナ」  過って何度も育てたことがありますが この色は初めてです
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« この命、義に捧ぐ | トップ | 片岡鶴太郎展 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

気にかかる」カテゴリの最新記事