認知症を患って、死に至るまでを、長い期間の間患うことを「長いお別れ」って言うのですって。
「長いお別れ」と呼ぶのは、その病気を得て、少しずつ記憶を失っていく、
『ゆっくりゆっくり遠ざかっていくから』 書いてあります。
今の時代のように「認知症」と言う言葉が使われていない時代に、私は義母のお世話していますから、
今が死がどのような扱いになっているのか知りません。
お世話する年より、される年になっています。
この本を読んでいて、身にしみる、経験した描写が多々ありました。
年老いた親を身近に置き、世話した経験のある人なら「そうだったそうだった」と言う気持ちだと思います。
でも一人よりは施設に入って、人の輪に入ることを望み、家土地すべて処分して、良いと思った施設に
入ったのに、その人の全財産であろうとなかろうと、何千万円と言うお金を積んでも、「認知症」が
出てきたら、施設を出ることを迫られるとは、知りませんでした。
その上、お金が全部返ってくるとは限らないと言うのです。
代金を、土地、家をすべて売って、お金を作っているのに、どう生きよと言うのですか?
私は不自由なく生きてこれたのは、主人のおかげと思っていますし、私は主人より7歳下ですから、
死は年の順ではないかも知れませんが、私が残る可能性大だと思うので、見送る覚悟は出来ています。
そうすることが主人にとっては一番の晩年だとも思っています。
残った私? ピンピンコロリを目指します。
これから老親を見送る予定の方が、読んでいただくと良い本だと思います。