ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

禊の塔(羽黒山五重塔仄聞)

2011年08月12日 | 読みました

     「百合」   ほんとにほんとに 今度が最後です 今年の新顔です  (11-8-8)


今日も暑い! あと1ヶ月一寸、早く来い来いお彼岸さん! やっぱりお盆
の頃が一番暑いのでしょうか?

明日はお坊さんが来られるので、お供え物をしました。仏前に供えながら「わ
~、お下がりを食べるとまた太るな~」と心をよぎりました。

昔はお供え物は流していたのですが、今は衛生上禁止のようですね。神戸に
住んでいたときは中突堤に流しに行ったものですが、海が汚れるというので、
沖で船が待ち構えていて、回収すると聞きましたが、今は如何なっているので
しょうね。

近年は、我家では「お下がり」として食べることにしています。旧家は別として、
近頃の若い方のお家ではどのようにしておられるのでしょうか? 大勢が内外
の旅行に行かれる事を見ると、お盆行事もだんだん廃れているのでしょうか? 


        禊の塔 (羽黒山五重塔仄聞)     久木綾子 

仄聞(そくぶん)=人づてや噂などで聞くことだそうです。

有名な塔、無名な塔数え切れないくらいの、三重の塔、五重塔を見て来ました。
どの塔も何百年と言う月日にゆがみもせず、凜と、またはひっそりとたっている
のを見て来ました。

祖父が宮大工だったから、神社仏閣に立ち寄ると、祖父を思い出していました。
勿論私が物心ついた頃にはもう仕事はしていませんでしたが、「宮大工」だった
ということに誇りを持っていたように思います。

そんな祖父がとても大切にして、時々懐かしそうに取り出していた大工道具に
「墨つけ」と言う小さな道具がありました。それは一方に墨が、もう一方に糸車
が付いて、その墨の上を糸が通り、必要な場所に一方を錐などで固定し、もう
一方の場所まで糸をピーンと張ります。そうして、その糸を少し持ち上げてはじ
きますと、木面に線がひけるというものです。その線の上をのこぎりで切るとい
うことです。

お盆のお供え物を載せて流す船をくぎを使わずに造っていたのを思い出します。

何百年もの間に狂いもしない柱、それには立てるまでの手間が掛かっていたの
ですね。

材木は何年もかけて、そだてられる。そして、必要な大きさになれば、山の各所
にある沼に沈められて水中乾燥され、何年かごに、誰かが材木を揚げて、今度
は天日乾燥をした。それを繰り返すことによって癖の無い湿気にも乾燥にも強い
材料になるんだそうです。

だから大きな建造物は、思い立ったからと言って急には着手できないのです。
気の遠くなるような関係者の尽力と熱い思いがあって初めて実行できるのです。

又塔の屋根の反りも屋根の下に見える化粧の垂木はまったくそっていないし、
木葉(こば=檜・杉・槙などを薄い板のようにする。屋根を葺くのに使う)で、そり
を出しているのは見えないところにある野地葺き(屋根の葺き方の1種)と隅に
ある野隅木(宮大工の仕様)なのです。

つまり屋根の美しい線は、見えないところに反りを加工して棟梁の理想と、それ
にあわせて何万枚かの木羽(こば)を積んでいく葺師の技に掛かっているそうで
す。二人の呼吸がぴったりと合っていなければ出来ない美しさだそうです。

杉丸太を四つ割りにし、長さ1尺の下半円形の杉材に刷るまでが木挽き(こびき
)の仕事です。

葺師は、与えられた材の中心部を捨て、外縁の白い部分の、若く腐りやすいの
で切り離します。そして赤味のとこらだけを斜めに幅2寸の柾目取りにします。
その板の1枚をイ一分の厚さになるまで削っていく、これで木羽(こば)が出来
上がる、これを必要な寸法に全体がなるように尚削っていく。屋根を葺くまでに
はこの仕事がある。

色々の分野での仕事師が必要なのである。皆が力を合わせて出来上がったの
が、何百年と立ち続けている神社仏閣の建物の底力なのです。

茅葺屋根でも民家は大勢の力で一気に仕上げていきますが、神社仏閣など見る
目を意識するものは大きな屋根でも2~3人で葺きます。大勢でしますとピシッと
はそろわないからだと聞いたことがあります。

五重塔の屋根の葺き師を中心にしたお話です。89歳で文壇デビュー、ですから
この本は90歳を過ぎてから書かれています。凄いパワーですね。大きな字で、
分かりやすい文章ですから、お読みになっては如何でしょうか。



          「グロリオーサ」   今年は花が少ないです  (11-8-10)


コメント (8)
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