ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

終わらざる夏

2011年08月03日 | 読みました

   「睡蓮」 モネが睡蓮に魅せられて自国の自宅に睡蓮の池を造った気持ちがよく分かります
                 草津水上植物園     (11-8-2)







今日は昨日と違って、かんかん照り、「昨日は曇っていて良かったね。今日
だと歩き回れなかったな~」と話しました。その上にかんかん照りですと、色
が飛んでしまって写真が白っぽくなるんですよ。

楽しいことの9時間とは言え、身体の方は疲れたようで、意に反して、うとうと
ごろごろの一日でした。



     終わらざる夏 (上 下)     浅田 次郎

浅田さんの本は沢山読んでいますが、久しぶりです。

主人公達が東北の人が多くて、所謂「ずーずー弁」の会話なのが一寸読みず
らいことがあります。何しろ上下で1000ページはある長編です。

終戦直前の軍隊や、集団疎開児童のお話なんです。集団疎開の部分では
自分の疎開生活を思い出しました。

戦争の末期は本来なら召集されないはずの人、三人が主人公として書かれ
て居ます。極度の近視、闘いで指を欠損した傷痍軍人、年齢45歳以上の
人は終戦の時の通訳として、目的は明かされずに召集される。

終戦の8月15日には3人とも生きていました。しかし8月18日ロシアが不可
侵条約を破って、千島に上陸してきた。その思いもかけない戦いによって2人
が死亡した。

ロシア側も、自国の兵隊にも真実(ルール違反)を告げることなく秘密裡に軍
隊を侵攻させたようです。物語に登場する人物の一人のロシア人もこの戦い
によって死亡します。

老頭児(ロートル)主人が良く使う言葉でしたから「ロートルって何語}とカマ
をかけてみました「そんなこと考えたこと無いな~」「中国語らしいよ」「どん
な字書く?」「老いというじに、頭、そして児童の児だって。私は英語だとばっ
かり思っていたわ」と言う会話。

戦時中から、終戦後にかけて「人絹」「すふ」と言う素材で作られた布とか毛糸
を着たことがあります。伸縮性が無くだら~んとして、だらしの無い仕上がりに
なります。その原材料がパルプだとは今の今まで知りませんでした。紙の原料
のパルプが使われたために、今度は紙の原料が品薄となり紙が欠乏したそう
です。

集団疎開中にも、紙は品不足となり、私は持っていった本を破ってトイレットペ
ーパにした覚えがあります。勿論本と言っても、今のように良い紙ではありませ
ん、薄~いざらざらの紙でした。今でもその本のことは良く覚えています。「オ
モチャ箱」と言って、真っ赤な表紙で、大東亜戦争が何故起こったかと言う事を
子どもに分かりやすく書いた本でした。

集団疎開に先立って3ヶ月ほど居た富山の親戚の家では習慣なのか、戦争の
品不足の為なのかは知りませんが、紙が無くて、乾かした藁が紙代わりでした。
飼われている牛は家族同様、一つ屋根の下でしたが、お便所は家の外にあり、
夜一人でお便所に行くのは怖かったです。

キャラメルは軍隊では「元気食」っていったんですて。英語は敵国語だといって
一切使ってはいけないことになっていましたね。

本当に甘いものは無くて、親の目を盗んでお砂糖をなめたこともありましたね。
おやつはあっても干したバナナやサツマイモの干したものでした。
「欲しがりません、勝つまでは!!」の生活でした。  







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする