ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路 (54回)

2009年09月27日 | 思い出話
               平成15年3月9日
       第46番 浄瑠璃寺   第47番  八坂寺



       距離:14K   浄瑠璃寺 ~ 八坂寺 ~ 長珍屋  (3)



峠を若者遍路と追いつ追われつ歩いていきました。彼は足が痛いのか時々
止まって靴を脱ぎ、自分の足の裏を繁々と眺めておりました。「三坂峠」に入
る道で、彼は国道を行くと言うので分かれました。

峠への道を入って暫くして、私達は昼食を取る事にしました。歩いている時は
背中にリュックがあるし、身体が動いているので寒さを感じる度合いが少ない
のですが、森の中は日も差さないし、じぃ~としていると耐え難い寒さでした。
背中は寒いし、手先はかじかむし「歩いている方がましやね~」と急いでその
場を立ち去りました。

食べ始めた時、若者が追いついてきました。「国道沿いに食堂があると書いて
あったので、食べに行ったのですがお店はありませんでした。だからこの道に
来ました」と行って先に行きました。この道は峠ですからお店はありません。
峠を外れてもお店はありませんでした。あの若者は如何したかしらと何度か話
題に上りました。

道は氷が張っている部分もありました。溶けてぬかるんでいる部分もあったり
して、歩き難い事この上ありませんでした。十分に気をつけていましたのに、
つるりと滑ってしまいました。主人は振り返りざま「カメラは大丈夫か?」
「???」だってカメラを持っている私の事は聞かないで如何なのよ!! 
酷いよね!
(テレビのコマーシャルでこれに良く似た光景がありますよね。奥さんがこけたのを、
荷物が大丈夫で良かったって言う場面。あれを目にした時は何時もこの時の事を思い
出して話題にのせます)




峠の途中上の写真のように見晴らしのいい場所がありました。私が思わず
カメラを構えたその時に、折りたたみ傘が木の枝に寂しげに揺れているのに
気が付きました。傘の主も、奇麗な景色を写そうと手にしていた傘を枝にか
けて、写真を撮り、満足して傘の事を忘れていってしまったのではないでし
ょうか…。忘れた人は道中不自由しておられるのではないかと思いました。


               16日さくら (じゅうろくにちざくら)         

峠を抜けた人家のあるところで、上の桜を見つけました。今まで小さな彼岸
さくらばかり見てきた目には、この桜は八重で大きいのです。何と言う桜だろ
うか? と考えていました。上手い具合にその家のご主人が出てこられました
のでお伺いしました。「何と言う桜でしょうか?」「16日桜といいます。一番早く
咲く桜です」「16日桜?」聞いた事ありますか? 持ち主が言われるのですか
ら間違いないと思いますが… 23日お彼岸より早く咲くという事だと私は理解
したのですが。

☆  この度調べてみました。「16日桜」ありました。由緒正しき桜のようです。毎年旧
16日(1月16日頃)に咲く桜だそうです。『伝説では老いた父が桜を見てから死にたい
と言うので、孝行な息子吉平(きみへい)が水垢離を取って祈願した所、正月の16日に
咲いた事から名付けられた。この奇跡によって、その後父親は長命だったそうです』

この桜は戦災で焼けてしまったが、今あるのは実生から育てたものと言われている。色
は白というが、私の見たのは薄いピンクだったから、「流れを汲んだ桜」と言う意味かも
しれない。でも相当の大きさだったように記憶している。『松山指定天然物』である。

俳人達もこの地を訪れ、「16日桜」の歌を詠んでいる。

静かなる山下影に庵あり雪粧(よそ)わせて見る桜かな   西行

西に行き法師もいかに初桜しばしとてこそ杖とまりけり   一編上人

人の気を花に乗せいく桜かな   芭蕉

又たくひ世は梅さかり此の桜   一茶

うそのような十六日桜咲きにけり   子規

咲いて一輪ほんに一輪   山頭火

これだけではありません。小泉八雲が「孝子桜」として「怪談」に英文で載せたので
世界に知れ渡リました。



もう少し麓に下りますと、「お遍路さん道の駅」と書かれた所がありました。
小さな腰掛とテーブル、その上にはノートとおみかん。早速お礼を記帳して、
おみかんを頂きました。ありがたい事です。ところが周りが雑多なんです。
あまりに取り留めの無い感じだったので写真を撮るのを止めたのですが、
その中に等身大の娘遍路人形がケースに入って置いてあるのです。その上
人形は緩慢な動作で動いているのです。気持ちの悪い事この上なしでした。
どういうつもり? もし私が1人だったらここで休憩できませんでしたよ。

もう一つづつおみかんを頂いて立ち去ろうとした時、その場をお接待として提
供してくださっている男性が車で現れました。四方山話のうちに「石鎚山に上
りたい」と話すと、即、否定されました。「今の石鎚山? ダメダメ! 専門の
写真家が重装備で登るのもやっとの山で、今は普通の人は登れない。一般
は7月が山開きで(私は石鎚山は六甲山ぐらいだと思っていました)10月末
位までに登るんです。11月になり寒い日があれば、その日から昇れなくなり
ます」知らぬが仏とは此の事で、最後の二晩を此処に予定を組んできました。
もろくも夢は遠のきました。そういえば、眺める山は何山か知らないけれど、
皆雪を被っていましたね。


今日、こばやしいさをさんに初めてメールを入れてみました。一寸した悪戯心…
驚かれたことでしょう。

順調に進んで2時には第46番札所 浄瑠璃寺についてしまいました。此処
には「仏足石」があり、これを裸足で踏む事によって『足腰丈夫」になると言い
ます。私達も素足になって踏んで見ました。その大きい事5~6倍の大きさで
した。身の丈は? 雲突く大男としか考えられません。


                 第46番浄瑠璃寺  本堂

                      大師堂






予定では荷物を預けて第47番 八坂寺に行くつもりでしたが、あまりに時間
が早いので、リュックは背負ったまま行きました。「八坂寺」は四国遍路の元
祖といわれている、「河野衛門三郎」は此の寺から遍路に立ったと言われてい
ます。

謂れ話:長者であった衛門三郎は門前に現れた托鉢僧(弘法大師)に喜捨せず、鉄鉢を
投げ捨てた。鉄鉢は八つに割れ、翌日から自分の8人の子供が死んでいきました。衛門
三郎は自分の罪を悔いて大師のあとを追い、寺院を巡拝しました。これが遍路の始まりと
いわれています。



八坂寺は高台にある為、松山市の町が眼下に広がっていました。歩いている
時は気付きませんでしたが、写真機を覗いて気が付きました。砂の上に描か
れた波型(下の写真)こんなの初めてでした。幾人の人が気づかれたのでしょ
うか。どういう意味があるのやら…。マスクは風邪の為にしているのではあり
ません。寒かったからです。二人ともマスクをして目だけを出していました。

長珍屋さんは奇麗なお宿でした。お仲間は車のご夫妻、タクシー遍路のご夫
婦と運転手さん。女の子3人の車遍路と私達でした。

明日は松山と決めて居ましたし、距離も無いし、6時朝食と言うので、食事
をしてから出発する事にしました。

          3月9日  長珍屋  (2泊目)



      第47番 八坂寺  本堂   (此処にも 真民さんの句碑が…)

          箒目が美しくて  歩くのが憚られるようだ
コメント
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