サッカー日誌 / 2008年06月04日


長沼 健さんの思い出


クラマーが絶賛した勝ち越し点
(日本サッカー協会元会長、6月2日、病気のため逝去 )

★新潟の実業団選手権
 長沼健さんの業績と人柄は、いろいろな人が語っている。古河電工の黄金時代を築いた選手として、二つのオリンピックを率いて銅メダルを獲得した監督として、また2002年のワールドカップを招致し開催した協会の会長として……。
 ここでは、あまり知られていないエピソードを、一つだけ紹介しておこう。
 それは、1961年7月に新潟で開かれた第14回全日本実業団選手権大会の決勝戦のときの話である。
 この大会の決勝戦は、古河電工対日立本社で、前半は1対1。後半は古河が押されっぱなしだった。しかし古河は、後半26分に勝ち越し点をあげ、それがきっかけで劣勢を回復して、結局、3対1で優勝した。
 その勝ち越し点をあげたのがケンさんだった。
 
★プシュカシュやディ・シュテファノのよう
 この大会を、ドイツから来たデットマール・クラマーさんが観戦していた。クラマーさんは、ケンさんが勝ち越し点をあげたのを見ると、すぐ記者席のぼくのところに来て「いまのゴールを見たか。勝つチームにはああいうスター・プレーヤーが必要だ」とまくし立てた。「ヨーロッパで人気のあるプシュカシュやディ・シュテファノも、チームの中で長沼と同じ役割をしている」とオーバーなくらいの、ほめようだった。
 この大会の総評を、ぼくが協会の雑誌「サッカー」12号(1961年8月号)に書いているが、それにはクラマーさんが「長沼を全日本に入れていないのは誤りだった」と話したとある。この書き方だと、長沼を日本代表で起用しなかったのは、自分の責任だと言っているようにもとれるが、実は前から長沼起用を進言していたのに、サッカー協会の幹部が、30歳の年齢を理由に聞き入れないのに不満を持ち、それを記者席に来てぶつけたらしい。
 
★スター・プレーヤーの存在感
 当時は、夏の暑いさなかに5日連続5試合である。両チームとも疲労のどん底だった。
 後半、古河の選手たちが下がりっきりで防戦に追われているなかで、ケンさんは前線に残ってぶらぶらしていた。そこへ逆襲のボールが出た。ケンさんは、にわかに元気を出してドリブルで突進し、日立のバックをかわしてキーパーの頭上をカーブして越すシュートをネットの左隅に決めた。
 ケンさんに、クラマーがほめていた話をすると「偶然、偶然。センタリングするつもりが、つま先に当たって、まがったんだよ」と言っていた。
 しかし、クラマーがほめたのは、シュートのテクニックではない。ベテランとしてチームのなかにいることによって、チーム全体ががんばることができる。そして、ここぞというときに、ピシッと決める。そういう存在感が当時のレアル・マドリードのスーパースターと同じだというのである。

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