サッカー日誌 / 2014年04月25日


中条一雄さんを囲む会


日本サッカー史研究会
(4月20日 東京神保町・新世界菜館)

★戦中、戦後のサッカーを語る
 日本サッカー史研究会の4月例会は、JFAハウスの会議室がふさがっていたので、月曜夜の予定を変更して日曜の昼に「中条一雄さんを囲む会」として開いた。
 中条さんは、旧制の広島一中、広島高校、東大でサッカー選手だった。広島高校では昭和22年の旧制インターハイで優勝している。
 中条さんは、東大に進んだ後、一時、日本サッカー協会で事務のアルバイトをしていた。
その後、協会で働いていた縁で朝日新聞に入社してスポーツ記者になった。
 太平洋戦争中と敗戦直後の日本のサッカーを語ることのできる貴重なジャーナリストである。
 すこぶるお元気だが、ご高齢なので夜の会を避けて昼食会にして、お話を聞いた。

★広島原爆、奇跡の生き残り
 中条さんは旧制の広島高校在学中に原爆にあった。爆心地の近くだったが奇跡的に生き残った。勤労動員で運転していたトラックが故障し、工場の中でトラックの下に入って修理していたので、トラックが遮蔽物となって直撃を免れたのである。
 しかし自宅は跡形もなくなり、ご両親は行方不明だった。
 ご両親を探して数日間、焼け跡をさまよい歩いたすえ、ふらふらと足が学校に向かったという。
 旧制の広島高校(現在の広島大学)は爆心地から3キロの場所にあった。校舎は大破していたが焼失は免れていた。
 傾いているサッカー部の部室を開けてみたら、ゆがんだボールが出てきた。それを拾い出して壁に向かって蹴った。
 やがて、少しずつ生き残った仲間が集まってきてサッカーが復活した。
 周りは一面の焼け野が原である。住むところはない。食べるものも満足にない。そういうなかでボールを蹴り始めた話には驚くほかはない。

★敗戦直後の朝日の貢献
 中条さんは、自分の書いたものを『中条一雄の仕事』というタイトルのシリーズにして本にまとめている。その第5集に以上の話が掲載されている。
 『中条一雄の仕事』はご本人の意向で200冊~300冊しか作らない私家版だが貴重な資料である。
 敗戦直後から朝日新聞はいろいろな大会を後援し、競技団体では外貨が自由に使えなかった時期に欧州のチームを招くなど、サッカーを援助した。サッカーの記事の扱いも、もっとも大きかった。
 そのころ朝日新聞社には、日本最初のサッカー記者といっていい長老の山田午郎さん、敗戦直後の協会を取り仕切っていた宮本能冬さん、大阪運動部の大谷四郎さん、それに東京運動部の中条さんがいた。
 この人たちは、戦後の日本サッカー復興に貢献した功労者である。


中条さんを囲む会。

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