サッカー日誌 / 2007年05月23日


鈴木武士さんの思い出 (下)


日本サッカー協会75年史の編集

★サッカーに入れ込む
 鈴木武士さんは早稲田大学山岳部出身だった。
 新聞社・通信社のスポーツ記者は、自分がやったスポーツを担当するとは限らない。一人でいろいろなスポーツを担当させられる。しかし、多くの場合は、自分のやったスポーツを、とくに熱心に盛り立てようとする。報道の中立性には反するかもしれないが、それが人情というものだろう。
 ところが、鈴木さんは、登山出身でありながら、サッカーに入れ込んだ。これは、1970年のメキシコ・ワールドカップへ、ぼくといっしょに取材に行ったのが、きっかけになったのではないかと思う。彼もワールドカップの魅力のとりこになったのである。
 ぼくがサッカー協会の機関誌の編集を手伝っていたことがある。鈴木さんは、ぼくたちのあとを引き継いで協会の機関誌「サッカー」の編集を引き受けた。

★協会の編集の仕事に貢献
 『日本サッカー協会75年史』という立派な分厚い本がある。これは鈴木さんが責任者となって編集したものである。
 日本サッカー協会創立の功労者の一人である新田純興さんの業績を調べるために、ご遺族の家をお訪ねして遺品を拝見していたら、共同通信社の名取裕樹記者からの手紙があった。新田さんの資料を借りてお返ししたときの礼状だった。
 75年史を編集するとき、協会の保存している資料では分からないところがあって、鈴木さんが後輩の名取さんに依頼して新田さんの資料を調べさせたのだった。
 鈴木さんは、お酒を愛し、豪放でおおまかなように見えた。しかし、抑えるべきところは、きめ細かく抑えて仕事をした。名取さんの礼状を見て、そういう人柄を思い出した。
 『日本サッカー協会75年史』は鈴木さんのサッカーへの大きな貢献の一つである。
 
★おおらかだが、きめこまかい
 75年史の前の50年史は新田純興さんがまとめて『日本サッカーのあゆみ』というタイトルで1974年に出版されている。実は、ぼくが背後で工作して新田さんを引き出し、講談社の風呂中斉さんをたきつけて、出版にこぎつけたものである。新田さんの遺品を拝見しているとき、その当時の手紙も出てきて懐かしかった。
 鈴木さんは、75年史を編集するとき、ぼくをわざわざ訪ねてきて原稿を依頼した。しかし、ぼくは協力しなかった。当時のサッカー協会の幹部のなかに、かつて協会機関誌の編集を手伝っていたぼくたちへ、わだかまりを持っている(おそらくは誤解に基づく)人がいると聞いていたので、協会に協力する気になれなかったのである。
 いまにして思えば、まことに心が狭かったと反省している。鈴木さんは「協会との間に何かあるように感じていたよ」と言って、快く理解してくれた。カンがよく、人情に厚い人柄だった。
合掌。


コメント ( 1 ) | Trackback ( 1 )
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コメント
 
 
 
コメント差し替えお願いします~ (鈴木武士娘・シマコ)
2008-04-04 19:45:11
先日はありがとうございました!!
さて、大変いまさらですが、先のコメントでリンク先にしているのが、わたくしの(放置ぎみの)個人ブログなので、父の追悼ブログに差し替えたく、先のコメントを削除してこちらに代えていただいてもいいでしょうか?
また近々お邪魔させていただければ嬉しいです。
 
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