サッカー日誌 / 2010年12月16日


浅見俊雄さんの功績


審判向上のグランド・デザイン

サッカー殿堂入り祝賀会
(10月29日 東大山上会館)
(11月24日 東京ガーデンパレス「築地植むら」)

◇審判についての功績
 2010年度にサッカー殿堂入りをした賀川浩さんの功績を書いたので、同じく殿堂入りした浅見俊雄の功績についても紹介しておこう。
 賀川さんは,ジャーナリストだから、書いたものがサッカーの愛好者の間では広く知られている。その評価を、ぼくが紹介する必要はなかったかもしれない。僭越だったかもしれない。
 しかし、浅見表彰の対象になった審判についての功績は、サッカーの関係者以外では、あまり知られていないだろう。そういう業績を広く世に知らせることこそジャーナリストの仕事である。
 浅見は学生時代からの仲間である。4年生のときに彼がア式蹴球部(サッカー部)の主将でぼくが主務だった。その後は、新聞記者とその取材先として半世紀以上にわたる付き合いである。
 だから、お互いに名前を呼ぶときは呼び捨てとあだ名である。だから、ここでも呼び捨てで紹介することにする。

◇いろいろな分野で業績
 浅見は県立浦和高校3年生のとき全国高校選手権で優勝している。東大に入って1年生のとき全国大学選手権に優勝し、ずっとレギュラーで選手生活を送った。Jリーグも、その前身である日本リーグも生まれる前で、大学が日本のサッカーの中心だった時代である。
 スポーツ科学の研究者になり、母校の教授になり、東大サッカー部の監督も長く勤め、御殿下グラウウンドで少年サッカースクールの組織、運営もした。協会では日本ユース代表の監督を務め、スポーツ科学委員会の運営もした。
 審判員の経歴も長かった。1964年東京オリンピックのとき、秩父宮ラグビー場で試合中にフィールドの一部が陥没して穴があく珍事があった。その試合で浅見が線審(いまの副審)を務めていた。旗を持って穴を覗いている写真が新聞に掲載された。功績とは関係のない話だが、長い間、仕事をしていると面白い経験もするというわけで、祝賀会の席で、その写真も披露された。

◇数字に表せない功績
 国際審判員として国際試合の笛を何試合吹いたというような数字に表せる記録も大事にしたい。しかし、数字に表せない業績も重要である。
 浅見は、審判委員長として、審判技術向上のための大きな設計図を書いて後継者に実行させた。
 審判員の資格を認定するための方法と組織を作った。日本だけでなくアジア連盟の役員として、悪い習慣のはびこっていたアジアの審判の規律を正し、体力検定などを導入してレベル向上の基礎を作った。
 南アフリカのワールドカップで、日本の西村雄一さんをはじめ、アジアの審判員がいい仕事をしたのは、浅見の描いたグランド・デザインの結実である。
 浅見の殿堂入りを祝って東大関係で2つの祝賀会を開いた。一つは東大の関係者全体のフォーマルなパーティーだった。もう一つはサッカー部でいっしょに過ごした仲間が集まって「浅見をサカナに飲む会」をした。どちらの会でも、ぼくが数字に表れない功績を紹介した。


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