サッカー日誌 / 2013年02月22日


サッカー専門誌の変遷


読者はプレーヤーからファンへ

サッカー史研究会2月例会
(2月18日 JFAハウス会議室)

★国吉好弘さんの報告
 サッカー史研究会の2月例会で、国吉好弘さんのお話を聞いた。
 国吉さんは「サッカー・マガジン」「ワールド・サッカー・マガジン」の編集長をへて両誌を統括する「スーパーバイザー(主幹)」をつとめた。『サッカー・マルチ大事典』(ベースボール・マガジン社刊、2001年、改訂版2006年)をまとめ、サッカーの「もの知り博士」としても知られている。サッカー史研究会の常連である。
 「サッカー・マガジン」の創刊は1966年。日本ではじめてのサッカー専門の商業誌だった。
 国吉さんは1983年にベースボール・マガジンに入社し、最初から、ずっと「サッカー・マガジン」の編集に携わってきた。その間に、編集方針が移り変わった様子が、国吉さんの話から、うかがえた。

★創刊当時の編集方針
 創刊当時のことは、ぼくが補足して話した。1966年2月の創刊準備号から寄稿していたので、ある程度、事情を知っているからである。
 サッカー専門の商業雑誌発刊を思い立ったのは、ベースボール・マガジン社創立者の池田恒雄社長(当時)である。
 メキシコ・オリンピック銅メダルより2年前だから、日本代表チームの活躍に触発されたわけではない。
 Jリーグの前身である「日本サッカーリーグ」(JSL)の2年目で、その将来性に着目したものだった。池田社長の先見性のアイデアである。
 とはいえ、会社チームによる当時の日本リーグの観客は僅かだった。したがってファン層を対象に雑誌を発刊するのは無理だった。
 池田社長の指示は、少年を含むプレーヤーと指導者を対象に技術講座を入れることと、国内ニュース重視だった。

★海外情報収集へ貢献
 国吉さんが入社したころから様子は変わってきていたらしい。欧米のサッカーについての関心が高まり、国吉さんは語学力を生かして海外情報の収集にも貢献した。
 国内ものから海外ものへ、技術・戦術ものからスター・プレ-ヤーものへ、読者はプレーヤーや指導者からサポーターやファンへ。
 そういう変化にともなって、編集方針も変わった。
 編集長の好みによっても変わったようだ。
 出来事(事実)をだいじにするニュース報道よりも、描写で読者を引きつける文学的表現を好む編集長が出てきた。
 つまり、サッカーは競技者、あるいは指導者だけのものでなく、見て楽しむ、あるいは読んで楽しむ大衆のためのものになった。
 サッカー専門誌の編集方針の移り変わりを、そういうふうに受け取った。

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