サッカー日誌 / 2015年01月14日


日本女子サッカーの誕生


クラブの組織が可能にした
(1月7日付けの時評の訂正)

★実業団スポーツ
 皇后杯決勝について書いた、ぼくのブログ(ビバ!サッカー時評)の記事について、二つのご意見をいただいた。
 一つは、浦和レッズ・レディースの前身は、三菱重工サッカー部ではなく民間のクラブだった、という指摘である。
 この点は、ぼくの書き方が、不十分だった。
 ぼくの考えは、ベレーザもレッズ・レディースも「始まりの背景には人工芝のグラウンドとクラブ組織があった」ということである。
 1980年代ころまでの日本のスポーツは、学校チームと実業団(企業)チームによって成り立っていた。
 多くの場合、実業団が新たに女子の社員チームを作るのは、難しかった。
 三菱が会社の組織外の女子サッカーを受け入れることができたのは、三菱養和会が、三菱グループの範囲内ではあるが会社単位ではなく、クラブ組織だったからである。

★三菱養和のクラブ組織
 三菱重工の男子のサッカー部は、東京の本社と神戸の三菱造船所のチームから始まったと記憶している。
 一つの会社の社員によって構成されたチームという意味で当時の典型的な実業団(社員チーム)だった。
 しかし、三菱養和会は三菱系列の各社がお金を出し合って所有、運営している「クラブ」である。だから、利用者は一つの会社の従業員に限られてはいなかった。
 そのために三菱関係の会社の従業員ではないメンバーを含む民間のメンバーを入れることが出来たのではないか?
 ちなみに、現在の浦和レッズ・レディースの前身である三菱女子サッカーの初代監督は、ぼくの出身大学のサッカー部の1年後輩である。彼は、れっきとした三菱重工のエリート社員で経理部門の担当だった。三菱の財政支援を期待して、彼を監督にしたという話を聞いている。

★勘違いを訂正
 というわけで、浦和の女子サッカーの始まりは、クラブ組織と関係があるというのが、ぼくの考えである。
 もう一つ、ぼくのブログの誤りを指摘されたのは「皇后杯の名称が2014年度から始まった」という記述である。
 これは、まったく、ぼくの勘違いによる間違いである。
 決勝戦の会場が、2014年度から「味の素スタジアム」に変ったのと混同してしまった。
 慎んで、お詫びして、訂正する。
 2015年6月には、カナダで女子サッカーのワールドカップがある。
 この機会に「なでしこジャパン」の歴史を、ベレーザとレッズ・レディースを含めて本にまとめたい。
 印刷物にして残すことが、記憶に頼る勘違いを防ぐ重要な方法だと思う。
 関係の皆さまのご協力をお願いする。

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