南アフリカW杯 / 2010年07月19日


「ビバ!ハウス」を撤収


南ア・ワールドカップ旅日誌(36)
7月14日(水)
(プレトリア→東京)

◇安全、快適だった40日
 南アフリカの首都、プレトリアに開設していた「ビバ!ハウス」を撤収して、日本に帰る日が来た。40日間にわたる滞在だった。ずっと庭に掲げてあった「鯉のぼり」は収納して、邸宅のオーナーの一族が経営している保育園に寄付した。
 11回目のワールドカップだが、滞在も取材も、こんなに快適で楽だったことはない。警備のしっかりした大きな邸宅で仲間たちと暮らし、邸宅のオーナーの家族や友人がアルバイトで車を提供、運転してくれ、一番心配していた安全と移動が確保された。
 いっしょに宿泊した仲間に料理の専門家がいて、食事作りを引き受けてくれた。これが非常に助かった。期間中、ずっと元気でいられたのは、しっかり食べ、適度に飲んだからだろう。飲むほうは、ときには適度ではないこともあったけれど。
 「ビバ!ハウス」の開設・運営に努力してくれたすべての人たちに感謝する。

◇人種差別とサッカー
 「ビバ!ハウス」の生活にも欠点があった。それは南アフリカのサッカーを支えている一般大衆の生活に触れる機会が少なかったことである。
 借りた邸宅は、旧白人居住区の高級住宅地にあって、オーナーの一族はみな白人、レストランやショッピングに行っても、お客さんの大部分は白人、働いている人たちは、みな黒人だった。車を運転してくれたオーナーの義理の息子とその友人は、ワールドカップ休暇中の学生だが、ラグビーが好きでサッカーには、あまり興味がなかった。一方、移動の車や列車の中からは、郊外の学校の校庭で、黒人の子供たちがサッカーをして遊んでいるのを見かけた。といって、南アフリカで「サッカーは黒人のスポーツ。ラグビーは白人のスポーツ」と割り切ってしまうのは正しくない。
 人種差別とスポーツ問題は複雑なので、もう少し調べてから、考えてみたいと思う。


左が牛木、右が世話をしてくれた邸宅のオーナーの息子バイロン。



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南アフリカW杯 / 2010年07月15日


南アフリカ大会の残したもの


南ア・ワールドカップ旅日誌(35)
7月13日(火)
(プレトリア ビバ!ハウス)

◇アフリカへの見方を変えた
 「海外からのファンが、友好的な南アフリカを賞賛」
 閉幕の翌日、地元の新聞にこんな見出しの記事が掲載されていた。アムステルダムから来たファンが「こんなに道路網が整備されていて、ホテルもちゃんとしているとは思わなかった。オランダよりもいい」「南アフリカの人たちは、みな明るく親切だった」と語ったという。日本から行ったぼくたちも同じ感想を持った。テレビ報道による影響も含めて、アフリカへの見方を変えたという点で今回のワールドカップの役割は大きかった。
 「南アフリカは殺人が多い」「交通事情が悪く移動がたいへんだ」という大会前の報道は、かなり偏見や先入観に影響されたものだった。ワールドカップに絡んだ凶悪犯罪や大事故はなかった。競技場付近で盗難やひったくりがあったが、これはいつのワールドカップにもつきもので、南アフリカの土地柄のせいではない。

◇大衆の誇りと自信
 「スペインがチャンピオン。すばらしい大会になったのは南アフリカの功績」という見出しの記事もあった。これまでに比べて勝るとも劣らない運営で大会をやり遂げたことは、南アフリカの人々に誇りと自信を与えたに違いない。競技場で地元の人から「4年前のドイツ大会に比べて組織と運営はどうか?」と質問された。「ドイツに負けないくらい、しっかりやっているだろう」という誇りが口ぶりからうかがえた。
 運営の成功を支えたのは、あらゆる部門で働いていたボランティアだった。これほど多数のボランティアが動員された大会は、これまでになかっただろう。
 ボランティアのほとんどは、それほど恵まれてはいない階層の黒人だった。海外から来たサポーターやメディアの人びとに、笑顔で親切に応対してくれた。大会の成功にもっとも貢献したのはVIP席のお偉方ではなく、サッカーの好きな大衆だった。


ボランティアの登録に行列する人たち(左側の列、右側はメディアの登録)。


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南アフリカW杯 / 2010年07月13日


的中者なしの決勝戦予想


南ア・ワールドカップ旅日誌(33)
7月12日(月)
(プレトリア ビバ!ハウス)

◇今井カメラマン募集のトト
 31日間のワールドカップが終わった。その間、首都プレトリアの高級住宅地に借りた「ビバ!ハウス」を根拠地に競技場通いを続けた。今回はフォトグラファーの今井恭司さんと、ずっといっしょだった。今井さんは1982年スペイン大会以来、ワールドカップを撮り続けているベテランである。
 準決勝が終わると、あと1試合となって、多忙だった今井さんにも多少の余裕ができたようだ。Eメールで「決勝戦予想」を募集した。勝者、スコアを延長戦、PK戦を含めて予想し、的中者には今井さんが賞品を出すというわけだ。フォトグラファーのほかに、今回、いっしょになったビバ仲間などを含めて65人が応募した。
 決勝戦の翌朝、今井さんが結果を整理した。スペイン優勝予想が38人、オランダが27人。しかし延長1対0でスペイン勝ちを予想した人はいなかった。的中者なしである。

◇奔放な攻め合いを期待したが……
 スペイン優勢は一般的な予想だった。欧州選手権優勝チームだし、華麗なパスのサッカーが評価されていたからである
 しかし、スペインは強い相手からは、あまり得点をあげていない。決勝トーナメントに入ってからは、みな1対0の辛勝である。だから、延長1対0でスペインの勝ちという予想はありそうなものだが、なかった。多くの人は奔放な攻め合いを期待していたようだ。延長0対0でPK戦という予想は2人あった。互角の守り合いという考えである。
 ぼくは内心では、1対0でスペイン勝ちを予想していたが、投票では3対0でオランダ勝ちとした。穴狙いである。3対0ほどの力の差があると考えたわけではない。オランダが先取点をあげ、スペインが総反撃に出て、その裏を突いた逆襲でオランダが得点を加えるという試合展開を想定したわけである。


パソコンを叩いて予想を整理する今井恭司さん。

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南アフリカW杯 / 2010年07月13日


延長の熱戦、スペインが初優勝


南ア・ワールドカップ旅日誌(33)
7月11日(日)

決勝戦 スペイン 1対0(延長) オランダ
(ヨハネスブルグ サッカーシティ)

◇観客専用列車で競技場へ
 決勝戦。お偉方が来るため高速道路が閉鎖されるというので、プレトリアから列車 Metro Rail でサッカーシティまで行くことにした。決勝戦の切符を持っている人のための専用列車で無料、1時間余りということだった。午後4時8分発、試合は午後8時30分からなので、十分間に合う計算だった。
 ところが、列車の出発が30分遅れ、さらに、あとわずかで競技場駅というところで停まったまま45分間も動かなかった。サッカーシティの駅のプラットフォームに人があふれているためという車内のアナウンスだった。サポーターが駅構内で気勢をあげているのではないか、と想像した。
 競技場に着いたのが午後7時15分。午後6時30分に始まった閉会式には間に合わなかった。でも公共の乗り物を利用し、大会運営の一部を垣間見ることができた。

◇内容は60点、スリルは満点
 決勝戦は好試合にはならなかった。1か月余の連戦の疲れと、優勝を目前にしてのプレッシャーのためだろう。パスにも、シュートにも、ミスが多かった。
 両チーム合わせて14枚ものイエローカードが出た。オランダの守りのかなめ、ヘイティンハは延長後半になってから2枚目の警告で退場になった。その後、終了間際にスペインの決勝点が生まれたので、オランダは反則で自滅したようなものである。相手の突進を中盤のファウルで止めるのは、この大会で多くみられた。よくない傾向である。
 スペインは優勢に攻めながら、枠を外したシュートが多かった。19本のうち13本が枠外である。内容としては60点の試合だった。
 しかし、1点を争う緊迫した激闘だったのでスリルは満点だった。サポーターたちは、はらはら、どきどきし続けだっただろう。


列車で決勝戦へ。スペイン応援の地元のお嬢さんたちと。プレトリア駅で。

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南アフリカW杯 / 2010年07月13日


解放感が生む奔放なプレー


南ア・ワールドカップ旅日誌(32)
7月10日(土)

3位決定戦 ドイツ 3対2 ウルグアイ
(ポート・エリザベス)=テレビ観戦=

◇テレビの影響で好試合?
 3位決定戦は「気の抜けたビールのようなもの」というのが、これまでの考えだった。決勝めざして精も根も使い果たしたあとだからである。ところが最近のワールドカップでは、ようすがちょっと変わったようだ。3位決定戦でも面白い試合がある。
 今回もそうだった。前半、ドイツの先制にウルグアイが追いついて同点。後半ウルグアイが勝ち越し、ドイツが反撃して再び同点。残り7分にドイツが勝ち越すとウルグアイは最後の力を振り絞って総攻撃をかけ、最後までわかせた。
 テレビマネーのおかげで賞金額が大きくなったから3位でも一所懸命やるんだ、という説がある。活躍を認められれば欧州のクラブで価値が上がるから若い選手が頑張るんじゃないか、とも思う。テレビの世界中継があるから手を抜けないのかもしれない、という気もする。いずれにせよテレビの影響だろう。

◇ウルグアイの2点に感心
 試合は3対2でドイツが勝ったが、ぼくはウルグアイの得点のほうに感心した。
 前半28分の同点ゴールは、中盤でガルガノがボールを奪ったところからの速攻だった。
ドイツの中盤の主軸、シュバインシュタイガ―にスライディングタックルし、立ち上がりながらパスを出した。これがよかった。他のプレーヤーがすばやく反応して走り出して、それを生かした。呼吸の合った守から攻への切り替えだった。
 後半6分の勝ち越しゴールは、右サイドでアレバロがすばやく巧みな動きで突破し、ゴール前へ低いクロス。待ち構えたフォルランがぴたりと合わせたボレーシュートで決めた。シュートもみごとだったが、アレバロの精妙なクロスがものを言った。
 優勝をめざす重圧から解放されて、選手たちがのびのびとプレーし、自分たちのいいところを出す。その点は決勝戦より面白い。


カメラマン。スタンドにも撮影場所がある。


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南アフリカW杯 / 2010年07月10日


ブブゼラ考


南ア・ワールドカップ旅日誌(31)
7月9日(金)

◇南ア独特の応援用具
 南アフリカ独特の応援用具「ブブゼラ」は、その騒音とともに、日本のテレビ視聴者にも、すっかりおなじみになっただろうと思う。細長いラッパのような形をしているが、中は空洞のただの筒で特別な装置は何もない。ちょっと慣れれば高い音、低い音を吹き分けられる。お土産品として、いろいろな長さや色のものを売っているが、長さ1㍍ほどで、黒い色が標準的なようである。
 巨大な蜂の羽音のような騒音を、所かまわず吹き散らす人もいるので、ショッピングセンターのなかなどに「ブブゼラ禁止」の掲示がある。
 競技場近くの街路で、ブブゼラと耳栓をセットにして売っているのを見かけた。ユーモアのつもりだろうか?
 欧州や南米の人たちにも珍しいようで、お土産に買って帰る人が多い。

◇これも一つの文化だ
 最初のころは、試合の展開に関係なく勝手に吹き鳴らしているように感じていたが、聞き慣れてくると、そうではないことが分かってきた。
 コーナーキックのとき、フリーキックのとき、単調な攻め合いのときなど、それぞれの状況に応じた吹き方があるようだ。
 スタンドのあちこちで、いろいろなリズムで吹き始める。はじめのうちはバラバラだが、そのうちに一つの吹き方が主流になってきて、やがて一つのハーモニーがスタンド全体を蔽う。一人が適切な音を出せば、ほかの人たちがそれに唱和する。自称リーダーが「おれに従え」と応援の仕方を強制する私設応援団よりは、ずっと成熟したサポーターである。
 それにしても、うるさいことはうるさいが、欧州の人が「これも一つの文化なんだから認めなくてはいけない」と言っていた。異文化理解が必要だというわけである、


ショッピングセンター内の「ブブゼラ禁止」の掲示。

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南アフリカW杯 / 2010年07月10日


準決勝のための移動と宿泊


南ア・ワールドカップ旅日誌(30)
7月8日(木)
(ダーバン→プレトリア移動)

◇プレトリアの宿舎へ帰着
 準決勝2試合を見る旅を終え、ダーバンからヨハネスブルグに飛び、車で出迎えてもらってプレトリアの宿舎「ビバ!ハウス」に無事、帰着した。3泊4日の旅だったが、ファンフェストの会場を覗き、サポーターたちとともに観光に付き合うこともできてよかった。
 スタジアムとメディアセンターの中だけで過ごしていては、ワールドカップのごく一部しか見ていないことになる。選手やチームの戦いぶりがすべてではない。それを楽しむ世界の人々のお祭りとしてのワールドカップ、世界最大のイベントを開催・運営する地元の大衆の誇りと努力を多少でも垣間見ることができた。
 ダーバン空港ではダイヤが乱れ、軒並みに出発が遅延、欠航も出ていた。前日から混乱が続いているという。前夜の試合のために飛来したプライベート機のパイロットが管制官の指示に従わないで駐機したのが原因だと新聞が伝えている。

◇予約は困難、キャンセルは続出
 準決勝2試合は別の日に、別の都市で行われるため、2試合とも見ようと思うと宿泊と移動がたいへんである。今回は南部の海岸沿いのケープタウンとダーバンでの試合だった。
 どちらも世界有数の大きな港町でホテルも多いのだが、準決勝のカードが決まらないうちから自国の進出を期待して予約するサポーターが多く、敗退するとキャンセルするため、当日には予約できないのに当日には空室が出るという状態になる。
 また、今回は多くの人が航空機で移動するため航空便の事前確保も困難だったが、カードが決まるとキャンセルが出て、それがすぐ埋まるという状況になった。地元は最大限の努力をして、臨時便を増発したが、それが遅延などに輪をかけたかもしれない。
 準決勝を同じ日に2都市で行えば、サポーターもメディアも分散される。テレビにとっては具合が悪いが、そのほうが運営はスムーズになるのではないか?


ダーバン・スタジアム。古いラグビー場の隣に新設。

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南アフリカW杯 / 2010年07月09日


スペインが決勝に初進出


南ア・ワールドカップ旅日誌(29)
7月7日(水)

準決勝 第2日
スペイン 1対0 ドイツ
(ダーバン競技場)

◇ダーバンへの移動
 前夜、ケープタウンでの準決勝が終わったあと、2時間半ほど競技場のメディアセンターで仕事をして、メディアバスで空港にもっとも近いメディアホテルまで行く。そこに宿泊しているわけではないが、ホテルのバーでビールを飲んで時間をつぶし、午前3時過ぎ、タクシーを呼んで空港へ。午前5時発の早朝便でダーバンへ飛んだ。深夜のホテルのバーにも、早朝の空港ロビーにも、同じようなことをしているメディア仲間がおおぜいいた。
 準決勝を2日続けて、別の都市で行うのはテレビ中継の都合だが、2試合とも現場で見ようとすると移動がたいへん。飛行機の便がなかなかとれない。深夜便でヨハネスブルグへ飛び、ヨハネスブルグの別の飛行場へタクシーで行って、ダーバン行きの早朝便を捕まえようとしている仲間もいた。準決勝2試合を、同じ日に別の都市でやって、両方は見られないようにしたほうが、いっそ、いいと思う。

◇「ベッケンバウアーが欲しい」
 2日目の準決勝は、スペインがドイツを1対0で破り、はじめてワールドカップの決勝に進出した。力強い守りのドイツ、多彩なパス攻撃のスペインと、同じ欧州勢だがスタイルの違うチームの対決で、その点では興味深かった。
 ドイツは、むかしながらの基本に忠実なプレーだが、中盤ではスペインのテクニックを止めきれず守りに追われた。守備ラインのメルテザッカーがカバーリングに奮戦した。しかし攻め手はほとんどない。「ベッケンバウアーが欲しいな」と思う。
 スペインはすばやいテクニックとパスで攻めるが、とどめを刺す力がない。シュート13本を放ったが、ゴールの枠を外したのが多い。後半28分の1点はコーナーキックからディフェンダーのプジョルのヘディング。華麗な攻めが実を結んだものではなかった。
 決勝はともに初優勝を狙うチームの対決。その意味では歴史的な大会になった。


ダーバン競技場の記者席。準決勝では大幅に拡張されていた。

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南アフリカW杯 / 2010年07月09日


オランダが32年ぶりの決勝進出


南ア・ワールドカップ旅日誌(28)
7月6日(火)

準決勝 第1日
オランダ 3対2 ウルグアイ
(ケープタウン グリーンポイント競技場)

◇オレンジ一色のファン・フェスト
 プレトリアの宿舎(ビバ!ハウス)を一時、留守にして、前日にヨハネスブルグ空港からケープタウンに着いた。町の中心部のホテルのすぐ近くに「ファン・フェスト」の会場があった。パブリック・ビューイングの巨大なスクリーン(ここでは3面)を中心に、飲食やイベントのさまざまな屋台やコーナーがあって「サッカーのお祭り広場になっている。入場無料だが入口で競技場に入るのと同じように、持ち物検査、身体チェックがある。準決勝の行われる日の昼過ぎに覗いてみたら、オランダ・サポーターのオレンジ色であふれていた。泊まったホテルもオランダ人でいっぱいだ。
 パブリック・ビューイングを中心にした「サッカーのお祭り広場」は4年前のドイツ大会のときに開催都市で「ファン・フェスタ」の名称で行われたが、今回はFIFAの主催で、世界の主要都市で行っている。

◇3度目の正直になるか?
 夜の準決勝では、オランダがウルグアイに勝って32年ぶりに決勝に進出した。
 ワールドカップを初めて取材に行ったのが1970年。その次の西ドイツ大会と、さらにその4年後のアルゼンチン大会でオランダが決勝戦を戦ったのを見た。そのころのオランダの新鮮なサッカーに驚いた記憶がよみがえってくる。オレンジのサポーターも、その当時からおなじみだ。過去は2度ともオランダは開催地元のチームに敗れたが、今度は第3国の南アフリカでの大会。3度目の正直になるだろうか?
 オランダの超ロングシュートによる先制点に、前半のうちにウルグアイがミドルシュートで追い付いて面白くなったが、後半に入ってオランダの2点目がウルグアイに不運だった。記者席から見ていて明らかにオフサイドだったが審判はとらなかった。
 南米勢が消えたのは、ワールドカップとしてはちょっと残念。


ファン・フェスト会場のオランダ・サポーター。


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南アフリカW杯 / 2010年07月04日


一転、欧州勢の大会に


南ア・ワールドカップ旅日誌(27)
7月3日(土)

準々決勝 第2日
ドイツ 4対0 アルゼンチン
(ケープタウン)=テレビ=
スペイン 1対0 パラグアイ
(ヨハネスブルグ エリスパーク)  

◇アルゼンチンも消える
 前日のブラジル敗退に続いて、アルゼンチンも姿を消した。ラウンド16までは南米勢のワールドカップの様相だったが、準々決勝になって一転、欧州勢の大会になった。
 ケープタウンで行われたドイツ対アルゼンチンは、ヨハネスブルグ・エリスパーク競技場のメディアセンターのテレビで見た。南米対欧州の第2ラウンド、優勝争いのヤマ場だというので、500人ほど収容できる報道人の仕事場で、17台のテレビに各国の記者がかじりついている。ドイツ人の記者のグループもいて、ドイツのゴールに飛びあがって歓声をあげる。
 ドイツが立ち上がり3分にフリーキックのチャンスを生かして先制、後半に左サイドから反撃の裏側を突いて3点を追加、意外な大差になった。ドイツがしっかりとアルゼンチンを研究して対策を立てた成果だろう。

◇スペインがパラグアイに苦戦
 スペインは思いのほかにパラグアイにてこずった。短いパスをすばやくつなぐ攻めでは、パラグアイのゾーンの網による守りを崩せない。スペインは欧州のAクラスで有力な優勝候補、パラグアイは南米のBクラスだがスペインにとっては相性の悪い相手のようだ。
 後半16分ごろ、パラグアイがPKを得たのにカルドソが失敗して貴重な勝機をのがした。その直後にスペインがPKを得てシャビ・アロンソ決めたように見えたが、味方がペナルティエリアに入っていて「やり直し」となり、今度はゴールキーパーに取られて失敗。2分ぐらいの間に3度のPKがあり、全部得点にならないという珍ケースがあった。
 後半38分のスペインの決勝点も珍ケースだった。イニエスタのシュートが左ポストに当たって跳ね返ったのをビジャが拾って再シュート、これも右ポストに当たったが、跳ね返ったボールがゴールに中に入った。


勝利を喜ぶスペインのサポーター。

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