KAORU♪の「気ままなダイアリー」

KAORU♪が見つけたステキな風景、出会ったおもしろいできごと、おいしい料理などを“気が向いた時”にご紹介します。

★マルタの嵐

2009年10月20日 | 旅の物語
             【翌日、静かなセントジュリアンの港】

英語の授業は午前9時から午後12時半まで。
午後からはフリーとなる。

受付の前の掲示板には、
毎日オプショナルツアーが開催されていて、
参加したい人は名前を書き込むことになっている。

「Monday、Welcome Party」

「Tuesday、サルサレッスン & パーティ」

「Wednesday、Blue Grotto(青の洞門) へのバスツアー」

などなど、レッスン終了後に参加できて、
しかもホームスティのディナータイムには
ちゃんと間に合うスケジュールや、
夜スタートの夕食付のナイトクルーズやら、ミュージカル
土日には朝から夕方までのゴゾ島ツアーや、
コミノ島の美しいビーチツアーなど
バラエティ豊かな内容が用意されていて、
アフタースクールも充実している。

学校だけの企画は、10人満たないと
開催されなかったりすることもあるが、
ほかのツアー会社とのコラボで斡旋してくれたり
さまざまな形態があり
少しリーズナブルで、なにしろ安心である。

私とYOSHIKOさんは毎日のように
申し込み欄に名前を書き入れた。

*************************

月曜日の午後はYOSHIKOさんと、ホームスティで一緒の
ペルー人のLeyla(レイラ)と、レイラのお友だち
ドイツ人のKatja(カティヤ)と4人で中世の古都
Mdena(イムディーナ)へ。
ローカルなボンネットバスに乗って約30分。

私たちは城壁に囲まれた
静かなたたずまいを、ゆっくりと散歩した。

細い路地から見える青空と
ベージュの石造りの建物のコントラストが美しい。

4人で話すときには英語で。

そしてYOSHIKOさんと日本語で話していると
ドイツ人のカティヤは
「2人が話してると本当におもしろい!
“そうそうそうそう!”“ウンウン、そう!”
って早口でおかしい~!」と
何度もマネをしては笑っていた。

*************************

誰もが観光客の私たちは、
配られたバスの路線図やらMALTA MAPやら、
それぞれの国の言葉で書かれたガイドブックを持ち
お互いの情報を交換する。

最終日、一人で日曜朝市へと出かけた時は
たくさんあるBUS STOPで迷ってしまい、
ベンチに腰掛けていたカップルに、
「マルサシュロック行きはここでいいのかしら?
私は10時半発のバスに乗りたいんだけど、
もう行っちゃったかしら?」と聞くと
「私たちも同じバスを待っているの。まだだと思うよ。
この停留所で大丈夫だと思う。私もそう願いたい。」と
答えるので、あれ?と思うとその人たちも、
しっかりとガイドブックを
握り締めていて、お互いが不安げな顔になる。

そして、バスが来たときには
笑顔を交わして、お互いにホッとしながら乗り込み、
隣に座って目的地に到着するまでの時間会話を楽しんだ。
スロバキアから彼と一緒に英語留学に来たのだという。

年齢は私と同じぐらいだろうか。

1年前から勉強し始めたのだそうだ。
自分が子どもの頃は英語の授業がなかったから
ちゃんとしゃべることができない。
いろんな国の人と話が出来るようになりたい、と思って
バカンスを利用して2週間ほど学校に通っているのだという。


そのほかにも、
「ゴゾ島ツアーに参加するんだけど、
待ち合わせ場所はここでいいの?」と
聞いてきた黒人の女の子。

「フェリー降りたら、ちゃんとバス
待っててくれるかしらね?
どのバスか知ってる?」と肩を叩かれて
確認してきたロシア人の若い女の子たち。

そんな会話をいろんなところで、
いろんな国の人々と交わしてきた。

国籍を問わずみんなストレンジャー(よそ者)同士、
気軽に聞きあって助け合うのがマルタスタイル。


*************************

そして水曜日は、青の洞門 
Blue Grotto(ブルーグロット) へ。

バスをチャーターして学校の生徒ばかり
10数名と担当スタッフとのショートツアー。

数千年もの風や波に削られた岩と、
深くて青い海。透明感あふれるエメラルドグリーンの海。
小船に乗って、陽気な船長さんが英語でガイドしながら
見所を案内してくれる。

私よりレッスン数の多いYOSHIKOさんが終わるまで、
VALLETA(ヴァレッタ)の街並みを一人で
のんびり歩いてみたり、買い物を楽しんだり
午後は別行動で、夜のツアーで待ち合わせをしたり、
短い時間をめいっぱい、とにかくフル稼働で動き回った。

*************************

木曜日の夜は、学校で募集していたツアー
コミノ島へのナイトクルーズに申し込んでいた。

もちろん、すでに月曜日か火曜日にはすかさず
一番上の欄にKAORUとYOSHIKOの名前を
記入していたから、当日の参加費締め切りとなる
休憩時間AM11:00には真っ先に支払いに行ったのだった。

申し込み用紙を見ると、9名の申し込みで
斜線が引かれている。
今回のツアーはどうやら早々と満員になったようである。

「よかったね!私たち早めに申し込んでおいて。」と言いながら
支払いの手続きをとっていると、
ドヤドヤっと若い生徒たちが受付に押し寄せた。

そして、クラスメートのスペイン人の女の子たちが
交渉し始めた。

私たちもナイトクルーズに参加したいのだと言う。

受付の女性は、掲示板の申込用紙に記入した?
ううん、まだ。と答えると今回は9名で締め切ったから
ムリだわ!と答えているのだが、
後に引かずに、参加したいと言っている。

何人ぐらい希望なの?電話して聞いてみるわ。と
受話器を持ちながら渋々質問すると、
「23人!」
「・・・! 23人???」と絶句している。

その後、私たちは教室に戻ったので
どうなったのかわからずに、
集合時間の午後6時を迎えた。

*************************

クラスメートをはじめ、全員の許可が降りたらしく
受付に詰め寄っていたほかのスペイン人たちも
港に集まっていた。

出発予定時刻を30分ほど過ぎた午後7時過ぎ、
木製のかわいい帆船に乗り込むと
ノリのよい音楽が船内を包み、いきなり乗客たちは
踊り始めていた。

9人の予定にさらに加わること23人。
その他にもたくさんの人数が集まっていて
あきらかに定員オーバーじゃないの?
大丈夫?この船沈まない?と思うほど
熱気に溢れていたのだった。

何語の曲かわからないまま、
ひとまず一緒に楽しんでいると、
スペイン語の曲になると異様に盛り上がる。
スペイン人のクラスメートが、ここでは
低くなって!ここで高く伸びて!と
振り付けを教えてくれる。
その盛り上がりで、この船のほとんどが
スペイン人で占められていることを知った。

*************************


学校には、ヨーロッパ人が多く
スペイン人、ドイツ人、スイス人、フランス人の順で
日本人はじめアジア人はほとんどいない。

スペイン街があるほど、たくさんの
スペイン人がいたのだが、
今回のこの旅で、私は初めて
多くのスペイン人と出会い
その国民性に触れるにつれて、
愛すべきその人柄が大好きになってしまったのだった。

それは思いがけない収穫である。

*************************

最初のうちは、遠ざかる美しい夜景を楽しみ
歌や踊りに酔い、異国の夜の風を満喫していた。
こんなことって、学校のツアーじゃなかったら
参加できないよね!
個人旅行だったら、ちょっとコワイって思うかも。
日本の旅行会社のツアーだったら、
もっと日本人が多いだろうし。

この雰囲気って、今回の醍醐味のようなカンジがしていた。

出発して約1時間。
船は速度をゆるめ、
なにやらアナウンスが流れ始めた。

どうやら、バッドコンディションのために
コミノ島に上陸できない、と言っている。

そういえばさっきから遠くの空で稲妻が光っていた。
時折、雨が降っては止んでいる。

たしか、学校でスイス人の男性のクラスメートに
明日のクルージング行くの?って聞いたら
明日は天気が悪いからやめておくよ!と言っていたけど、
本当に荒れるのかしら?
上陸できないほど、悪いとは思えないのにな~。
と軽く考えていた。

ツアーはフリードリンク、フリーフードという内容だったが
いったいどうなるのかしら?と話していたら
しばらくしてアナウンスが入った。
友人たちが、取りに行こう!と誘ってくれる。
ワインと、冷えたサンドイッチをいダンボールの中から
取り出し、大勢が手を伸ばし、
船員がまるで配給のように配っている。

白ワイン?赤ワイン?
肉と魚、どっち?(といっても肉はハム、魚はツナである。)

踊ったり、話したりしてすっかりお腹がすいていたし、
少ない選択肢の中から選び、
真っ暗な夜の海の上を漂いながら
私たちは、ひとまず夢中でほおばった。

しばらくすると、
数名の男性がデッキで服を脱ぎはじめ
水着姿になり、手すりに立ったかと思うと
時折小雨の降る、真っ暗な海に飛び込んだ。

Waooo!という歓声が上がり、
一気に海に視線が集まった。
 
夏真っ盛りとは言え、夜は結構冷える。
まして、雨が降っていつもよりも寒いのに、
どんどんと水着姿に変身していくのだ。

そのうち、若い女の子たちも惜しげもなく
ビキニ姿となって、どんどん飛び込んでいく。

深さはどのぐらいか検討がつかない。

地中海の夜の海にぷかぷかと
楽しそうに浮かぶスペイン人たち。

その様子を写真に撮っていると、
写してくれ!とピースサインで声をかけてくる。

「どこから来たの?」と聞かれ

「日本からよ!」と答えると、

「Oh!ポッケモ~ン! ドラエモ~ン!」と
みんなで口を揃えて答える。

「一緒に泳ごうよ!」と誘いにくるが
ゼッタイにムリ。
若さと体力が違うし。


船体の横についてるハシゴを
登っては、またザッブーンと飛びこみ
クラゲみたいにたくさん浮いている。

お酒も飲んでるし
もし、心臓マヒとかおきたらどうするの?
夜の海で帰ってみたら一人足りない、とかって
なったら誰が責任取るの?

日本だったら、ツアー会社やら船会社の
責任になるから、必死で止めるのだろうが、
そんな気配はいっさいない。

あくまでも、自己責任において
だれのせいでもなく、最終的には
個人の意思が尊重されるのだろう。

海外のそんな気質というか慣習を
聞いてはいたが、やはり驚きである。


*************************

2時間ほどたっただろうか。

予定よりも1時間ほど早く切り上げて
船は帰路についた。

あんなに盛り上がっていた彼らも
そんな時にはすみやかに引き上げるらしい。

船内はすっかり更衣室と化し、
ビショぬれになったカラダをバスタオルで
拭いて、大胆に着替えている。

そして、着替えたら
また歌って踊る。

疲れを知らない若者たちで
デッキは熱気に溢れていた。


すると、
雨がだんだんと強さを増し、
風も強くなってきた。
相変わらず雷も時折とどろいている。

さすがのスペイン人たちも
耐え切れなくなったらしく、
どんどんと船内に入ってくると、
まるで満員電車のように身動きが取れなく
なってきてしまった。

帰るのに、約1時間。
ずっとこの格好を続けるのはかなりツライ。

ロープの張っている地下へ行く
階段に移動して、かろうじて
座ることができて、ひざをかかえたまま
すぐに眠りに落ちた。

その間中、窮屈な船内では
音楽もかかっていないのに
ひとりが先導して歌い始めると
それに合わせて大声で歌い続けている。

*************************

ふつう、どんなに若いとはいえ
日本人でも帰りはぐったりとして
おとなしいだろうな、と思うと同時に
ラテンの底力をみたような気がした。

どんな悪条件でも、
天変地異が起ころうとも
最後の最後まで楽しみきってしまう。

きっと後悔なんてしないほど
エンジョイできる
エネルギーを持っているのだと思う。


それが、ラテンの明るくたくましいパワーなのだ。

本当にすごいな、と感心しながら
一瞬の間、深い眠りについた私を、
またまた知らないスペイン人の女性が
「着いたよ!」と腕をトントンとして
起こしてくれた。

*************************

バケツをひっくり返したような雨の中、
カサもないし、小さなタオルをかぶったところで
ムダな抵抗のようである。

道路には洪水のように水があふれている。

ワンピースのすそを持ち上げ、
つま先で歩いたところで
もはやなんの意味もない。

こんな洪水みたいな道路って、
子どもの時に経験した台風みたい!

あの時はプールみたいになった
家の前の道を長靴で歩いて、
大はしゃぎしたよな~と子ども頃に
一瞬タイムスリップしたような気分。

満月直前、
嵐のSliema(スリーマ)の街を
わざと、水を蹴って遊んでみた。

わ~!もうビショビショ!!!

私自身の迷いや、戸惑いや不安といった
必要となくなった何かも、
最後の最後まで一緒に
洗い流してしまうような気持ちで
夜の空を仰いだ。


*************************

あとから聞くと、
乾季が続いていたMALTAで、
久々の恵みの雨だったのだという。

それにしても気持ちの良いぐらい激しい嵐だった。

「あのStorm(ストーム)の夜に
船に乗ってたの???大丈夫だった?」と
多くの人が心配するほどの激しさ。

穏やかな地中海性気候のはずなのに、
よりによってクルージングの日だけ、大荒れ。

それって、まさに浄化されに行ったのかしら。

だとしたら、ホントにスゴイ。

そして、本気の楽しみ方を
本場のラテン民族に
教えてもらうことができたのだ。

*************************

どんな場所でも、
どんな状況下でも、
なんにもなくても、

幸せは生み出せる。

喜びは共有できる。

昔からの知り合いとでも、
たとえ、今知り合ったばかりでも。

少しの言葉と、笑顔。
そして歌と、踊りがあれば
人生ってまだまだ楽しめる。

そんな、大切なことに気付いた
マルタ、嵐の夜。




*************************
学校の掲示板
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/80/b71f388a15fbc6e63923af604151d392.jpg
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2 コメント

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マルタの嵐の夜。。。 (YOSHIKO)
2009-10-21 23:50:39
確かに、「マルタの嵐」はハンパではありませんでした。
KAORUさんは、船から降りて地元スリーマへ帰って行きましたが、
私たちヴァレッタ組は、この嵐の中どうやって帰るか???

バスはもちろんタクシーもあるわけもなく、
お風呂のシャワーより元気な雨と、紫の稲光の中、
本当に私たちは、もう「笑う」しかありませんでした!?
先日知りあったばかりのペルー人のレイラと、
今、ほとんど命からがら、ゲラゲラ笑いながら嵐の中を走っている。。。
お互いを気遣う気持ちと、不思議な連帯感で、飛躍的に二人の距離が縮まった夜でした。

ほんとに奇跡的に停まってくれて乗り込んだタクシーには、先客の少年が、、、!
日本では考えられないそのアバウトさに、嵐のその夜は救われました。

おまけにそんな中、タクシーに乗り込めただけでも、私は御の字なのに、
レイラったら、ヴァレッタまで約2000円で、と提示した運転手に、
「高い!空港からヴァレッタまででも2500円だった!」とか、掛け合ってる!
恐るべし!ラテン人!
んでまた、運転手は、「こんな天気だし・・・!」とかこれまた日本ではあり得ない言い訳!

そして、先客の少年が降りる際に、5ユーロ(700円ぐらい)持ち金が足りないと言い(!)、
運転手は、ふっつ~に私たちに、持ってないか?と訊いてきて、
渋々なぜか5ユーロ払ってあげて、少年は礼を言うでもなく、
それぞれ無事帰宅できたのでありました。
(パンツまでずぶ濡れでした・・・!)

ほんっとに、超アバウトで、でも困ってたら何とかするのが、優しさでもなく「普通」の、
マルタ人、、、のようです。


KAORUさんの「マルタの嵐」で、また
マルタが鮮やかに蘇ってきました。
(でも実は、マルタのことを考えない日は、ないんですけどね♪)
返信する
ヴァレッタに住んでいたYOSHIKOさんへ! (KAORU♪)
2009-10-22 12:19:27
コメントありがとう~

そうそう、私はすぐに家に戻れたけど、
その後の物語があったのよね、
YOSHIKOさんとレイラには_en2/}


私も、何かあるたびに
思い出してるよ、マルタのこと。
たくさんの思い出たちこと。

返信する