磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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愛と死の戦場-ベトナムに生の意味を求めて-

2010年04月06日 | 読書日記など
『愛と死の戦場-ベトナムに生の意味を求めて-』
   オリアーナ・ファラーチ(著)/
     河島英昭(訳)/朝日新聞社1974年

すさまじい証言が続くが……。
その時にベトナムにいた著者は知らなかったというのが印象的だった……。



チャーリー中隊の兵士ヴァルナード・シンプソンの証言から……。下「」引用。

「《に入った者たちはみな頭のなかに殺すことばかりがあった。最後の一羽の鶏に至るまでミイライを破壊すること、それが命令だった。生きているものは何ひとつ残してはならなかった。しかしぼくたちにとって彼らは民間人ではなかった。彼らはベトコンであり、あるいはベトコンの共鳴者たちだった。ぼくが着いたときに見たのは小屋に向かって逃げてゆくひとりの女とひとりの男とひとりの子供だった。彼らの言葉で止まれとぼくは言ったが、彼らは止まらなかった。それで、撃てという命令を受けていたから、ぼくは撃った。そう、それがぼくのしたことだ。ぼくは撃った。そう、それがぼくのしたことだ。ぼくは撃った。彼らを殺した。その女も子供も、子供は二歳ぐらいだったろう》」

チャーリー中隊の軍曹マイケル・バーンハートの証言から……。下「」引用。

「-略-生きている村人のなかにはもちろん、死体のなかにも、カリーの部下たちは奇妙なことをしていた。小屋に火をかけ、農家に爆薬を仕掛けて、村人たちが出て来るのを待ち構えて殺していた。それはまぎれもない殺人行為だった、ぼくたちのかなでそれを拒否した者は少ししかいなかった。ぼくは拒否した。こんなばかな話はない、ぼくは仲間に入りたくない、ぼくはしない、と言った。ぼくたちは命令を受けてはいたが、正当な命令ではなかった》」

殺戮の証言が続く……。

手紙を書いた兵士……。下「」引用。

「-略-ソンミイの大量虐殺に罪を負うべき人間たちが罰せられる姿を見たいからではなかった。世界じゅうの人々の目の前に、特殊な事実をさらすことによって、戦争の野蛮さを示すことに少しでも役立つだろうと確信したからだった。ぼくは三○通の手紙を欠き、それらを投函したが、二週間は何の音沙汰もなかった。それから陸軍参謀本部の査察官として、ひとりの大佐が訪ねて来た。-略-それでもう一通の手紙を書き、もしも事態がこれいじょう進展しなければ通信社にせるだろう、と通告した》(元兵士ロン・ライデンアワーとのインタビューから、『エウロペーオ』誌収録)」

アメリカ人は一年半隠蔽した。そのころ、著者はサイゴンにいたが何も耳にしなかったという。ベトコン側との接触は彼等が捕まった時だけだったという。

従軍神父ウォーターズは875高地で没、次にビル神父。十字架のついたテントにいたという。

index

1968年10月、メキシコ・オリンピック取材中に撃たれた著者。下「」引用。

「-略-彼女は政府軍隊による学生と民衆のデモ弾圧に遭い、学生の指導者たちとともに、ヘリコプターから銃撃を受けて倒れた。彼女は血にまみれて、生死の界をさまよいながら、真実の井戸の底に触れた。そのとき彼女が見出したものは、人間への愛と正義の側の死であった。-略-」








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