磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

湯川秀樹とアインシュタイン-戦争と科学の世紀を生きた科学者の平和思想-

2009年02月24日 | 読書日記など
『湯川秀樹とアインシュタイン-戦争と科学の世紀を生きた科学者の平和思想-』
   田中正・著/岩波書店2008年

--どうも、湯川朝永などを述べていれば、平和主義者かといえば、それは大間違いだろう……。
どうして、チェルノブイリ事故があったのに、それを無視できるのか?
さっぱりボクにはわからない……。湯川などの後輩は、読売新聞社の正力松太郎が全部悪かったように書くが……。
--アインシュタインは「原爆開発」のことで、ヒトラーが悪いなどという言い訳はしなかった……。
それが言い訳になるわけがないことを彼は理解していた……。
--そして、現在は東大京大は国策に組み込まれているとまでいわれている……。
アインシュタインの人格とその理性は、やはりいい意味で手本だろう……。人間は間違うものだ……。だが、反省も改善もできる……。



「アインシュタインとロマン・ロランの齟齬」下「」引用。

「アインシュタインと、かつての平和運動の盟友であったロマン・ロランとの間に齟齬が生じる。例えば、当時アインシュタインの立場を支持する数少ない一人の「若いカナダ人」から送られてきたロマン・ロランの著者『革命によって平和』(一九三六)について、-略-」

(暴力)革命によって平和はこないとボクは思います……。過去の間違いよりも、平和への思考をボクは重視します。平和なシステムをつくりあげることが大切ですね。どちらの側のクラウゼヴィッツ人を認めても平和はこないだろう……。

「G・F・ニコライ-アインシュタイン宣言の先見性と今日のEU」下「」引用。

「ここで右に述べたニコライ-アインシュタイン宣言の歴史的・今日的意義を振り返っておこう。それはまさに「戦争と科学の二○世紀」が本格化する前夜、第一次世界大戦へ突入する瀬戸際であった。-略-一九一四年の「ニコライ-アインシュタイン宣言」は、それからほぼ一○○年を経て、今日なおさまざまな課題を抱えながらも(第四章1参照)、ようやく本格的に始まった「ヨーロッパ連合」EU構想の先駆であったことに気づく。」

「朝永振一郎「科学者の戦争観--ニコライ『戦争の生物学』をめぐって」
--朝永振一郎著作集第四巻末に一四頁にわたって収められているという。

「京大事件と滝川事件」下「」引用。

「「山本宣治年譜」によると、「一九二五年、京大学連事件のため一二月家宅捜索を受く。一九二六年、京大、同大より追放さる」とある。このとき、同じく家宅捜索を受けた河上肇(一八七九-一九四六)は、一九二八年、京大教授を辞職している。湯川朝永が大学を卒業するのが一九二九年、こうして治安維持法が次第に暗い影を落すなかで、京大の滝川事件が起きるのは一九三三年五月、当時二六歳の湯川が東北大学の日本数学物理学会年会で中間子論への第一歩となる「核内電子の問題に対する一考察」(第二章C・2参照)を発表したのが同年の四月三日であった。」

そして、戦後も言論の自由などあったとは思えない日本。

湯川朝永を批判するさいにも、このことは大切なことだろう……。すべてではないが……。

戦中の湯川の原爆研究のことは『昭和史の天皇4』や『原爆投下前夜』をこえる知識を筆者はもっていないと書く。

湯川にとっても、福竜丸事件が大きな転換点だったようだ。下「」引用。

「湯川が帰国して八カ月の一九五四年三月一日、その後の湯川の行動に大きな影響を与えることになるビキニ(水爆、死の灰)事件が起きる。-略-」

やはり、核兵器と原子力発電は密接になのに、それを無視することはできないとボクは思う。

原発の総てを廃止したら、核兵器もなくなっていく……。

そう考えている人たちもいる……。

--実際、核保有論者と原発推進者は重なる……。

それから学部はちがうが、七三一部隊は京大関係者といわれる……。






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