磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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岩波ブックレットNo.627 「原爆の絵」と出会う 込められた想いに耳を澄まして

2006年06月19日 | 読書日記など
『岩波ブックレットNo.627
 「原爆の絵」と出会う 込められた想いに耳を澄まして』
          直野章子・著/岩波書店2004年

著者は2003年から広島平和記念資料館資料調査研究委員を務めておられる方です。



いろいろな思いが1枚の絵にあることは理解できますね。

しかし、それだけではなく、それぞれの方にそれぞれの人生があり、それを大切にできる社会であってこそ、本当の民主主義社会ではないでしょうか?

その対極にあるのが原子爆弾であるとも思います。

著者が絵を書かれた方に聴き取りに出かけて、沈黙と出会ったという。下「」引用。

「「原爆の絵」の作者たちを訪ねて意外に思うことがある。私が聴かせてもらうような話は、それまで誰にもしたことがないという人が大半を占めるからだ。「あの日」や亡くなった家族について話さない被爆者が少ないことは、身近な例からも知っていた。しかし、絵の作者たちは、その記憶や想いを絵に託して私たちの前に届けてくれたのだから、他の被爆者に比べれば自らの体験を語ってきた方だろうと思っていた。聴きとりを初めてすぐに、私の考えは間違っていたことに気づかされた。」


被爆者の方は8月6日だけでなく、デパートのマネキンの肌が全身火傷の死体と似ていると当時のことを思いだされるという。

記憶にのぼるのは、月日よりも、そういうことの方が実際に浮かんでくるのではないでしょうか?

何かの運動で八月六日という日を特別な日にしてしまったことよりも、被爆者の心に近づくほうがより大切なことのように、この本を読んでも思いました。

被爆者の人たちは、八月六日をどう思われているのか? この本だけでなく、下「」引用のように思われている方は多いのではないでしょうか?

「毎年八月六日に平和公園で繰り広げられる光景を「お祭り騒ぎみたいだ」という被爆者は多い。亡くなった人たちに思いをめぐらせて、ゆっくり参りたいと思っても、マスコミ、反核、平和運動関係の団体、観光客たちがひしめく平和公園は騒々しく、静かに死者たちと対話することなどできない雰囲気だと。だから、人がいなくなったころを見計らってひっそりと参るか、平和公園には近づかないという被爆者は多い。」


著者は外国の方とも交流があるようです。
「米アメリカン大学に入学。大学卒業後、米学生が広島で原爆について学ぶ特別講座を同大学に創設。スミソニアン博物館での原爆展論争を受け、被爆五○年の夏、アメリカン大で原爆展を開催。」

絵をかかれた方たちとの話が書かれてあります。

これは実に貴重なものです。大切に研究していただきたいと切に願います。



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